40年以上にわたり、不登校や発達障害に悩む4000組以上の親子に寄り添ってきた相談員・池添素さん。その実践と言葉を、ジャーナリストの島沢優子さんが丁寧に取材した渾身の一冊が『不登校から人生を拓く――4000組の親子に寄り添った相談員・池添素の「信じ抜く力」』(講談社)だ。同書は、反響が大きかったFRaU webでの連載「子どもの不登校と向き合うあなたへ~待つ時間は親子がわかり合う刻」に大幅な加筆・修正を加えて書籍化されたもの。
本書から抜粋した前編・中編では、2021年当時に取材した母・ユメノさんの言葉を通して、不登校の親子の姿をお伝えしてきた。学校という枠組みに合わなかった息子・カナタくんと、そのありのままを受け入れようと模索し続けたユメノさん。理解者・池添さんとの出会いをきっかけに、親子は「学校に行かない」という選択肢を選び取ることになる。
後編では、カナタくんに直面した現実をたどる。取材はカナタくんの気持ちを最優先に行われた。彼が経験した出来事をもとに、島沢さんが丁寧に記録した内容をお届けする。
とれなかった電話
2024年初夏。その日も暑かった。私は首都圏で仕事があり車を走らせていた。マナーモードにしていたため、池添さんからのコールに気づかなかった。目的地についてスマホを見て少し嫌な予感がした。数分時間を空け、二度も電話が入っていた。
後に来たSNSのダイレクトメッセージでユメノさんの訃報を知った。
「忙しい朝にすみません。悲しい報告があります。カナタくんのお母さんが亡くなりました。ユメノさんは入院していたのですが、数ヵ月前に持ち直して、その後(カナタくんが)中学を卒業した後は広場で対応していました。でも再入院されてそのまま会えないままでした」
すぐに電話を入れたが、今度は池添さんの手がふさがっていたようですれ違いになった。
ユメノさんとは記事掲載後も数回やり取りをした。別取材の協力をしてもらい、カナタくんの近況を聞いた。私たちはともに宵っ張りで夜中に電話し合った。ショートメールでの最終記録は2023年5月11日。夜に電話をする約束をしておしゃべりをした。中学3年生になったカナタくんは通信制の高校へ行くことも考えていると話していた。受験もあってこの夏は忙しいはずなので、次の年の夏休みに「京都に遊びに行きますね」と私は伝えた。一度も会ったことはない。電話とオンラインのやり取りだけだったから、会うのを楽しみにしていた。
池添さんからメッセージが入った。
「島沢さんに書いていただいたのが、彼女の生きた証になりました。ほんとによかったです。昨日葬儀が終わり、ひと段落ついて、島沢さんに報告しなくちゃと、感謝を伝えたいと思い連絡しました。電話は、またあらためてにしますね」
このシングルマザーの親子は事情があって、祖父母やユメノさんのきょうだいとは縁が遠い。カナタくんはどうやって過ごしているのだろうか。最愛の母を亡くし天涯孤独の身になった彼の心中を思うと胸が詰まった。
「僕がいっぱい苦労かけたからや」
この数ヵ月前のこと、池添さんの電話にユメノさんから着信があった。久しぶりの電話だったのでドキドキしながら折り返すと、以前と変わらない高いきれいな声が聞こえてきたそうだ。
「池添先生、私ね、今入院してるの。ちょっと病気でね。でも、もうすぐ退院できるから大丈夫やから」
時期的に中学3年のカナタくんの進路も気になったので池添さんは「明日、お見舞いに行っていい?」と尋ねた。ユメノさんは「えーっ、先生来てくれるの?」と嬉しそうだった。聞けば、ユメノさんは闘病でカナタくんの進学どころではなかったようだった。
それでも一時的に回復したユメノさんは、池添さんに付き添ってもらって中学校へ行き、息子が通信制の高校へ行けるようさまざまな手配をする途中で、再び容態が悪化。再入院となった。
池添さんはユメノさんのために着替えやタオルを買って持って行くなどしたが、すぐに面会謝絶になった。またもや自宅にひとりになったカナタくんのために食事を運んだりした。
ある日の夜中。ユメノさんの父親と名乗る人から突然電話があった。ユメノさんが亡くなったので、カナタくんを病院に連れて来て欲しいとのことだった。タクシーの中でカナタくんは無言だった。病院で亡くなったことを聞かされると、叫ぶようにして泣き出した。
「僕が、いっぱい苦労かけたからや。僕が悪いんや」
立っていられず床にへたり込む彼を、池添さんと広場のスタッフが両脇から支えた。池添さんは「あんたは何も悪うない。悪ない、悪ない」と繰り返すのが精一杯だった。
ユメノさんが遺した言葉
私のパソコンにユメノさんを最初に取材した際の音声が残っていた。オンラインで取材を始めたが、途中で上手くいかず電話に切り替えたのだ。その音声が残っていた。聞くのがつらく、頭のほうしか再生できなかった。しかし、池添さんが書いた「彼女の生きた証」という言葉がこころにあった。カナタくんに聞いてもらってはどうかと提案した。
池添さんは「そんなん残ってたんや。嬉しい。ぜひ聞かせてあげたい」と喜んだが、「でも、カナタの状態次第やな。あの子がもう大丈夫、ってなるまでタイミングを見よう」と私たちは待った。
ユメノさんの一周忌が近づいたころ、池添さんから「新しい児童施設に移ってかなり落ち着いてる。1年遅れだけど高校にも通うことになった。いいタイミングかもしれない」と連絡をもらった。
16歳に成長したカナタくんと、入所している児童施設で初めて会った。マスクの上から澄んだ瞳がのぞいていた。スマホに移したインタビューの音声データを聞いてもらった。
「どうも、よろしくお願いいたします」
ユメノさんの明るい声が部屋に響いた。ハキハキとインタビューに答えていた。記事にしなかったので忘れていたが、私は最後に「お母さんはこれからのカナタくんの将来とかについてどういうふうに思ってますか?」と尋ねていた。彼女は「もう、なんかね、好きを追求して欲しいなって思ってる」と言った。希望に満ちた声だった。今思えば、目の前の子どもが不登校の母親に対し、我ながらよくぞこんな質問をしたものだと驚く。だが、彼女がこころの底から息子を信頼していると感じたからこそつい聞いてしまったのだろう。
39分13秒のエール
39分13秒の音声が終わった。
何度も目をしばたたかせるカナタくんに「どうでしたか?」と問いかけた。
「久々に会えた感じがしました」
ホッとした。緊張した面持ちだった池添さんも顔を緩めた。
「そうやな。声だけでもな。有り難いよな」と何度もうなずいた。
カナタくんは「あと、話を聞いていくうちに、昔のこととかいろいろ思い出した。あんまり記憶に残ってなかったことも、ああそうだったなって。いろいろなこと……」
池添さんがやさしく話しかけた。
「お母さんが亡くなった時、いっぱい苦労かけたからって言ってたけど、お母さん、本当にあなたのいろんなことを乗り越えてゆく力を認めてたんやな。お母さんがプレゼントしてくれた時間だったり、待ってくれたりする気持ちだったり。そんなんが(カナタくんを)支えてたんとちゃうかな」
カナタくんは「なんかすごい愛されてたなって(思う)」と小さくつぶやいた。
池添さんがカナタくんにかけた言葉に、私は泣きそうになった。
「あなたが好きなことをすればいいっていうのは、お母さんからの最大のエールや」
カナタくんのスマホにユメノさんの音声データを送り、私たちは施設を後にした。帰り道。いつかは親が先に逝く。私たちだってこの先何があるかわからない。親が先立ったあと、子どもが何を支えにどう生きていくのか。そんな話をした。
池添さんは「自分がいなくなっても、その子にプレゼントできるエールって何だろうと考えるとさ、今学校に行くためにとにかく頑張れっていうことだけじゃないね」と言った。 「ユメノさんがやってきたことは、これからのカナタの人生を間違いなく照らすね」
夕暮れの空を見上げて「池添先生がほめてくれたよ。良かったねえ」と報告した。