絶滅危惧種指定の「ゴリラトレッキング」
アフリカのサファリで、今最も注目されているのが「ゴリラトレッキング」だ。
ゴリラは大きくは、ニシゴリラ(ローランドゴリラ)とヒガシゴリラに分けられるが、目的とするのは、ヒガシゴリラの亜種、絶滅危惧種に指定されている「マウンテンゴリラ」である。
ニシゴリラは日本の動物園などでも、当たり前のように見られるために、その緊急度は伝わりづらいが、マウンテンゴリラは世界のどの動物園にもいない。地球上で会えるのはルワンダ、ウガンダ、コンゴ民主共和国のみで、実は直近の調査では、3カ国合わせても、1000頭足らずしか存在していない。
ゴリラが棲むのは、ライオンやゾウのいる比較的平らで見晴らしのいい、車で観察できるサバンナとは異なり、森の中の車の入れるようなところではないため、ツアーは自らの足で歩く「トレッキング」しか許されていない。
こうした希少種と出会える体験の貴重さと、アクセスの難しさから、「ゴリラトレッキング」は、サファリ経験者や“一生に一度”を求める富裕層ハネムーナーの冒険心を強く刺激している。
だが、金持ちの道楽と批判する前に、この傾向がゴリラの生息数回復を後押ししている事実を知ってもらいたい。
それは、なぜなのか。
リゾートや文化、野生動物を独自の視点で紹介する旅行作家の山口由美さんの寄稿でお届けする。
万が一ゴリラが威嚇してきたら
ゴリラトレッキングの朝は早い。ルワンダのヴォルカノ(火山)国立公園では午前7時に公園事務所に集合する。
まずはガイドによるブリーフィング。最低7mの距離をおくこと、ゴリラに出会ったらマスク着用などのルールが説明される。以前からゴリラが人間の感染症に罹る懸念はあったが、コロナ禍以降徹底されたルールだ。
悪路に備えて、泥はね防止のゲイターなど万全の装備をしてきたが、道はフラットで思いのほか歩きやすい。出発地から50分程歩いたところで、ガイドが振り返り、目の前の茂みを指さした。
「この先にゴリラがいます」「彼らに会う前に大切なことを練習します」
そう言うと、ガイドはいきなりゴリラの生態模写を始めた。
「ウッホ、ウッホ、ウッホ」
私を含めた参加者たちはしばし、あっけにとられた。
「さあ、皆さんやってみて。万が一ゴリラが威嚇してきたら、こうやって仲間であることを示すのです」
「ウッホ、ウッホ、ウッホ」
冗談のような行為の理由を理解した私たちは真剣にゴリラになりきった。
「ウッホ、ウッホ、ウッホ」
伝説の研究者に倣う「ゴリラの生態模写」
ウガンダでもゴリラトレッキングに参加したことがあったが、ゴリラの生態模写を習うのは初めてだった。もしかして、と思った私はガイドにたずねた。
「これは、ダイアン・フォッシーが始めたことですか」
「そうよ」
ダイアン・フォッシーはマウンテンゴリラの研究者として知られる伝説的な人物だ。アメリカのカリフォルニア生まれ、マウンテンゴリラに魅せられ30代で単身アフリカにやって来た。1988年にシガニー・ウィーパーが主演した映画「愛は霧のかなたに」のモデルだ。研究の拠点としたのがルワンダのヴォルカノ(火山)国立公園の山深くにあるカリソケの調査研究センターだった。
彼女の最大の功績は、ゴリラと信頼関係を築き、人に馴れる道筋をつけたことにある。
ダイアンは自らゴリラになりきって彼らに近づいていった。そのフィールドワークが原点となって、今、私たちは野生のゴリラと対面することができる。
野生のマウンテンゴリラは家族単位で行動する。長年の調査研究により、同国立公園に暮らすゴリラの家族はほぼ把握されていて、そのうち10の家族と観光客は会うことができる。それぞれの家族は十数頭から三十数頭で構成され、背中に銀色の毛が生えていることから「シルバーバック」と呼ばれる成熟したオスが1頭から数頭含まれる。
その日、私たちが出会ったのは「アマホロ」という家族だった。シルバーバックのUbumwe(ウブムウェ)は穏やかな性格だという。
ゴリラが人間と会っていいのは、きっかり1時間と決められている。
母子ゴリラの可愛らしいこと。私たちのことを気にも留めずにいるようでいて、ふいに茂みの奥に消える。追いかけようとすると、今度は突然、目の前を別の群れが横断する。息つく間もない1時間だった。
保護活動に使われるトレッキング費用
マウンテンゴリラが生息する3ヶ国はいずれの国でもゴリラトレッキングを実施している。コンゴ民主共和国は治安面の不安があり、人気が高いのはルワンダとウガンダだ。
いずれもゴリラトレッキングは国の組織が管轄している。ルワンダの場合はRDB(ルワンダ開発庁)。オンラインや旅行会社、宿泊するロッジを通じて申請する。
許可証は1人1日1500USD。ガイド料が含まれているとはいえ、かなりの高額だ。ゴリラの保護活動に使われるほか、収益の10%は、地域社会に還元されている。ゴリラが農作物に被害を与えた場合の補償金もここから支払われる。
ウガンダの許可証は1人1日800USD。管轄するのはUWA(ウガンダ野生生物局)だ。許可証のシステムやゴリラトレッキングの手順はほぼ同じだが、ルワンダが体力に応じて歩く時間をリクエストできる(最短1時間程)のに対して、ウガンダは何時間でゴリラに出会えるかは運次第である。
いずれの国も「トラッカー」という専門家のチームが前日にゴリラがいた場所からその日の生息地を探すのだが、ルワンダのほうがゴリラのいる場所を特定するモニタリングの精度が高いようだ。
許可証を高額に設定するワケ
有利な条件があるとはいえ、許可証の料金がウガンダの倍近いするルワンダに観光客が集まる理由は、高級なラグジュアリーロッジが多く、富裕層に人気が高いからだ。きっかけとなったのが2017年に開業したウィルダネス ビサテだった。
ウィルダネスは、アフリカ各地にロッジを展開する老舗のサファリ運営会社である。サステナビリティへの配慮や地域貢献への意識も高い。2024年には最新の最高級ロッジであるビサテ リザーブを開業した。
富裕層を呼び込む意味を再確認したのは、エレン・デジェネレス・キャンパス(アメリカ人タレントのエレン・デジェネレスの寄付によって2022年に設立されたゴリラ研究の拠点)を訪問した時だった。
ここにダイアン・フォッシーの遺品や功績の展示がある。入館料は20USD以上。最低限が20USDで、寄付を歓迎するという意味だ。意識の高い富裕層旅行者の善意をゴリラの保護研究にしっかりつなげていく明確な姿勢があった。
ダイアン・フォッシーは1987年12月27日、拠点だったカリソケで何者かに襲われて謎の死を遂げている。いまだに真相はあきらかでないが、映画では、彼女が密猟者と厳しく対峙した事実が背景として描かれている。
ゴリラの棲む森にはバトゥワ族という狩猟採集で暮らす先住民がいて、動物(シカなど)を仕留めるために仕掛けた罠にゴリラがかかってしまうこともあった。映画ではバトゥワ族も彼女の敵として描かれていた。
ダイアン・フォッシーの業績は偉大で、今もルワンダのマウンテンゴリラトレッキングを語るには欠かせない。
だが、先住民もまた森の住民ではないか。ルワンダでは語られなかった、森を追われたバトゥワ族の話を聞いたのはウガンダでのことだった。
◇1人1500USDというあまりに高額な許可証! だが、その収益は保護活動や地域社会に還元され、住民にとって「ゴリラがいる方が得」という仕組みを作る。観光客数を制限しつつ高収益を確保できるため、生息地の負荷も抑えられる。富裕層を対象にしたラグジュアリーロッジを呼び込め、研究施設も寄付が期待できる。
つまり、高額な値段設定はツアー客数を絞り込むことで、ゴリラ・地域・観光産業の“三方よし”を成立させているのだ。皮肉なように聞こえるが、合理的な高額設定こそが、絶滅危惧種を守る鍵になっていたのだ。
後編「マウンテンゴリラが紙幣になっているルワンダとウガンダ。地球上1000頭しかいない幻の野生生物のいま」では、ウガンダのコミュニティを訪ねた山口さんが、ゴリラ保護の影で森を追われた先住民バトゥワ族をはじめ、ゴリラ・ツーリズムの背景についてお伝えする。