1800年の7月31日は、尿素の合成で有名なドイツの化学者フリードリヒ・ヴェーラー(Friedrich Wöhler、1800-1882)が誕生した日です。
現在のフランクフルトに生まれたヴェーラーは、当初は医学を志していたものの、化学の道へ転向します。鉱物の成分の化学的分析や有機化合物の合成が彼のおもな研究分野でした。36歳のときに、彼はドイツの名門大学・ゲッティンゲン大学の化学教授に抜擢されています。
ヴェーラーの主要な業績の1つに、シアン酸アンモニウムからの尿素の合成が挙げられます。尿素は、今では保湿クリームなどに添加されていることでご存じの方も多いと思いますが、この業績のポイントは尿素が有機物であるという点にあります。
無機物であるシアン酸アンモニウムから有機物である尿素を合成できたという事実は、「生命に命が宿るのは動物精気のおかげである」という「生気論」を覆すこととなったからです。
尿素の合成に加えて注目に値するのが、すでに発見されてはいたものの、単体分離できていなかった金属元素「ベリリウム」の単離成功です。ベリリウムとは、いったいどんな元素なのでしょうか。
この世界を形作る構成要素「元素」と人間の深遠な関係を主軸に、118の元素が織りなす物語を、『元素118の新知識〈第2版〉 』の編著者で、『生命にとって金属とはなにか』の著者でもある桜井弘氏に、このベリリウムの発見の経緯や、元素としての特徴を紹介してもらいます。
*本記事は、科学に関する歴史的な出来事を紹介する「科学、今日は何の日」シリーズとして、『 元素118の新知識〈第2版〉 』を再編集・再構成してお送りましす*
本記事の執筆者 桜井 弘(さくらい・ひろむ) 【ブルーバックスを代表するロングセラー『元素118の新知識〈第2版〉』の編著者】1942年、京都市生まれ。京都大学大学院薬学研究科博士課程修了。京都薬科大学名誉教授。専門は生命錯体化学・代謝分析学。『生命にとって金属とはなにか』、『元素118の新知識〈第2版〉 引いて重宝、読んでおもしろい』(いずれも講談社ブルーバックス)ほか、編著書多数。詳しくはこちら。
史上はじめてのレアアースを発見したガドリン
ベリリウムは、緑柱石ベリル(3BeO・Al₂O₃・6SiO₃)の成分として天然に存在することから、これにちなんでドイツのクラプロートが命名したものである。
緑柱石の美しい結晶は、エメラルド(深緑色)やアクアマリン(淡青色)の宝石である。
フランスのヴォークラン*は1798年、当時は未知であった金属酸化物を発見したが、元素を単離できなかった。この化合物が甘みをもつため、彼はギリシャ語のglykys(甘い)からglucina(グルシナ)とよんだ。1828年にドイツのヴェーラーとフランスのビュシー**は、緑柱石から単体金属を分離した。ベリリウムの命名は1943年のことである。
*ヴォークラン:ルイ=ニコラ・ヴォークラン(1763〜1829年)。フランスの化学者・薬剤師。ベリリウム発見の他、クロム、有機物質(アスパラギン、リンゴ酸、ショウノウ酸、キナ酸など)の発見などの功績を残す。
**ビュシー:フランスの化学者・アントワーヌ・ビュシー(1794〜1882年)。マグネシウムの単離などの功績がある。
ベリリウムは、塩化ベリリウム(BeCl₂)と塩化ナトリウム(NaCl)の加熱融解物を電気分解してできる、もろくて硬い金属である。空気中では表面に酸化被膜ができて安定だが、金属微粉末を加熱すると光を放って燃え、酸化ベリリウム(BeO)や窒化ベリリウム(Be₃N₂)になる。
ベリリウムの原子半径は1.12Åと小さく、原子核の正電荷の影響が電子に及びやすい。このため、ベリリウムは電子を放出しにくく、完全にBe²⁺となっている結晶性化合物は存在しない。電子を引きつける性質が強い酸素原子の塩(えん)である酸化ベリリウム(BeO)中でさえ、ベリリウム原子のイオン性は乏しく、共有結合性をおびている。
中性子の速度を落とすベリリウム…そのしくみとは
原子核まわりの電子が4個しかないベリリウムは、電子を原子核に強く引き寄せた安定な原子構造をもつ。そのためベリリウムは、X線が電子と相互作用することが少なく、X線をよく通す。この性質から、X線管からX線を取り出す窓部分に使われている。
一般に、原子核反応で生じた中性子は高いエネルギーをもつので、連鎖した核分裂をウラン(²³⁵U)に起こさせるには、中性子の速度を落とす必要がある。ベリリウムは軽水(H₂O)や重水(D₂O)、高純度の炭素(¹²C)とともに、中性子線の減速材として原子炉に使われる。
減速材となる原理は、次のとおりである。
静止した十円玉に別の十円玉を当てれば、当てた十円玉は止まり、当てられた十円玉は飛んでいく。すなわち、中性子が、同じくらいの質量の原子核に当たれば、中性子はほぼ静止し、原子核が飛ばされる。
一方、重い原子核に当たれば、(はね返されていろいろな向きに変わるが)運動エネルギーは変わらない。したがって、できるだけ中性子の質量に近い原子核質量数をもった元素が減速材となりうる。中性子に最も質量の近いものは水素である。
また、減速材としては、軽い原子であることに加え、中性子吸収が少ない*ことも条件となる。
*中性子吸収が少ない:中性子吸収は、中性子と原子核の相互作用であるため、原子の電子状態には関係しない。中性子を吸収しやすいのは、それによって、より安定な原子核になるためと考えられる。一方、中性子を吸収しにくい原子核は、もともと安定な原子核なので中性子を吸収しにくいと考えられる。
2021年12月に打ち上げられ、驚異的な宇宙画像を地球へ届けているジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡では、55K(マイナス218℃)の低温でも形状を保つことができるベリリウムが主体反射鏡に使われている。
ベリリウムにα線(ヘリウムの原子核)を当てると、核反応によって中性子が発生するので、実験室内の中性子線源に使われる。
酸化ベリリウム(BeO) や水酸化ベリリウム(Be(OH)₂)は酸、アルカリ水溶液の両方に溶ける両性化合物である。
水酸化物を強熱すると酸化物(BeO)になる。酸化物は化学的に安定で耐火性にすぐれ、原子炉材料やロケットエンジンの燃焼室に使われる。炭酸ベリリウム(BeCO₃)は不安定で、二酸化炭素中でのみ安定である。
取り扱いに「慎重さ」が要求されるベリリウム
ベリリウムとその化合物には甘みがあるが、わずかな量で死にいたる強い毒性もある。しかし、なぜ毒性をもつのかはまだよくわかっていない。
ベリリウムの利用が始まった1950年代後半に、ベリリウムを分離、加工、利用する工場の従業員に、ベリリウム症とよばれる慢性および急性の食欲不振、呼吸困難、肉腫などが見られた。生体分子中にあるリン酸塩の部位に結合して、その機能を変えたためと考えられている。
安全対策の結果、現在ではベリリウム症は見られなくなったが、加工作業での取り扱いには慎重さが要求される。
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このように取り扱いに注意を要するベリリウムですが、科学の進歩に多大な貢献をした元素でもあります。特に原子の構造が明らかになるにつれ問題となった中性子の存在において、その証明には欠かせない元素でした(この経緯については、【関連記事】をご覧ください)。
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さて、元素をめぐるまた新たなストーリーについては、物理学者アーネスト・ローレンスにちなむ「ローレンシウム」を取り上げます。
*こちらのローレンシウムについての記事は、8月7日(木)の公開予定です。
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