「凄まじい破壊力」はどこから生まれるのか?
核分裂の発見(1938年)から原爆投下まで、わずか6年8ヵ月。「物質の根源」を探究し、「原子と原子核をめぐる謎」を解き明かすため、切磋琢磨しながら奔走した日・米・欧の科学者たち。多数のノーベル賞受賞者を含む人類の叡智はなぜ、究極の「一瞬無差別大量殺戮」兵器を生み出してしまったのでしょうか。
近代物理学の輝かしい発展と表裏をなす原爆の開発・製造過程を、予備知識なしでも理解できるよう解説したロングセラーが改訂・増補され、『原子爆弾〈新装改訂版〉 核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』として生まれ変わりました。
ブルーバックス・ウェブサイトでは、この注目書から、興味深いトピックをいち早くご紹介していきます。今回は、中性子の発見でジェームズ・チャドウィックに先を越されてしまったジョリオ゠キュリー夫妻の、新たな発見について解説します。
*本記事は、『原子爆弾〈新装改訂版〉 核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
本記事の執筆者 山田 克哉(やまだ・かつや) 【ブルーバックスを代表する人気著者の一人】米国テネシー大学理学部物理学科大学院博士課程(理論物理学)修了。Ph.D.。元ロサンゼルス・ピアース大学物理学科教授。アメリカ物理学会会員。講談社科学出版賞を受賞。詳しくはこちら。
チャドウィックの中性子発見…マリー・キュリーは、どう反応したか
1932年にチャドウィックが中性子を発見した翌1933年10月、第7回ソルヴェイ物理学会がベルギーのブリュッセルで開催された。
この頃、ジョリオ゠キュリー夫妻の妻イレーヌの母であるマリー・キュリーの体はすでに放射線に侵され、衰弱していたが、この学会にはチャドウィックやジョリオ゠キュリー夫妻に加え、マリー・キュリーも病身を押して出席していた。
チャドウィックの名は中性子の発見者としてすでに知れわたっており、誰もがノーベル賞間違いなしと確信していて、この学会における花形スター的な存在であった。
学会開催中のある日、昼食の席でたまたまマリー・キュリーはチャドウィックと隣り合わせになった。マリーは二言三言チャドウィックと挨拶の言葉を交わしたが、すぐに顔を背(そむ)けてしまっ た。マリー・キュリーは、ごくわずかな差で娘夫婦がチャドウィックにしてやられたと思ってい たのだろうか?
なお、中性子発見のきっかけとなった反応、すなわちアルファ線をベリリウム元素に吸収させ るとベリリウムが中性子を放出して炭素に変換される原子核反応は、現在でも手頃な中性子源として広く使われている(※)。
※編注:ベリリウムについては、関連記事〈ほんのり甘い、凶暴元素。死にいたる危険性も…じつは、核反応さえ制御してしまう、金属元素「ベリリウム」驚愕の性質〉も併せてご覧ください。
ジョリオ゠キュリー夫妻の新たな試み
中性子発見の件では無念の涙を飲んだジョリオ゠キュリー夫妻はフランスのパリで、なおも放射性元素ポロニウムから出てくるアルファ線を用いて、原子核反応の研究を続けていた。
ポロニウムは、ジョリオ゠キュリー夫妻の妻イレーヌの両親であるキュリー夫妻によって発見された放射性元素であり、母マリーの祖国ポーランドにちなんで命名された元素である。
ポロニウムには二つのアイソトープ*があってともにアルファ崩壊するが、一方の半減期が138日であるのに対し、もう一方の半減期は1万分の1秒ほどと極端に短い! 1万分の1秒といった短い半減期の元素からは、多数のアルファ粒子がほとんど同時に放出されることになる。
ジョリオ゠キュリー夫妻は、アルミニウムにポロニウムから出てくるアルファ線を当てて、その原子核反応を観測する実験を開始したのである。
実験の結果、夫妻はアルミニウムから中性子と陽電子が出ていることを観測した。アルミニウムに入り込んだアルファ粒子とアルミニウム原子核との原子核反応が起こり、その反応から中性子と陽電子が飛び出したものと考えられた。
*アイソトープ:原子番号が同じで、中性子数あるいは重さの違う2種類以上の元素を「アイソトープ(同位元素)」とよぶ。また、そのうち放射性を持つものを「放射性アイソトープ(放射性同位元素)」という。原子核を発見したアーネスト・ラザフォードの門下生、フレデリック・ソディ(1877~1956年)が発見した。現在では、ほとんどの原子にアイソトープが存在することが知られている。
出所不明の陽電子
アルミニウム自体は、決して放射性崩壊することのない元素なので、アルファ線源であるポロニウムを装置から取り外してしまえば、アルファ粒子がアルミニウムにぶつかることはない。
そうするとアルミニウム内ではなんの反応も起こらず、中性子や陽電子がアルミニウムから出てくるはずもない。アルファ線源であるポロニウムを装置から外したとたん、中性子も陽電子も検出されることはないはずである。
ところがある日、ジョリオ゠キュリー夫妻に「おやっ?」と思わせる出来事が起きたのである。
彼らは、アルミニウムから出てくる陽電子の検出にガイガー・カウンターを使用していた。アルファ線源のポロニウムを装置から完全に取り外した後も、アルミニウムの後ろに置いたままになっていたガイガー・カウンターが、3分間ほど「ガ、ガ、ガ」という音を発し続けるのを観測したのである。
ガイガー・カウンターは、荷電粒子が入らないかぎり音を発することはない。
少し詳しく説明しよう。
アルミニウムは放射性物質ではないから、アルミニウムになにも入ってこないかぎりはなんの反応も起こらず、アルミニウムが放射線を出すはずがない。
したがって、ポロニウムが装置から完全に取り外されれば、アルファ粒子がアルミニウムに入ってくることはないので原子核反応は起こらず、アルミニウムから陽電子が出るはずはない。
つまり、陽電子検出器であるガイガー・カウンターが、音を発するはずがないのである。
「前代未聞の反応」が起きている!
そこで夫妻は、「なにか前代未聞の反応が起きているに違いない」と直感した。二人はまず、なぜこの反応から陽電子が放出されるのかを考え、その結果を次のように解釈した。
ポロニウムを置いた場合、そこから出たアルファ粒子がアルミニウムに入り、アルファ粒子とアルミニウム原子核との原子核反応が起きる。すなわち、原子番号15のリンという原子の核が生成され、同時に中性子が放出される。天然に存在するリンは、その核に16個の中性子を持っており、したがってリンの質量数は31で、放射性ではなく陽電子など放出することはない。
夫妻は、次のような疑いを持つようになった。
「もしかしたらこのリンは、リンの放射性アイソトープなのではないか?」
実際に陽電子が検出されている以上、このリンはプラスのベータ崩壊を起こし、陽電子を放出するはずである。プラスのベータ崩壊は陽子が中性子に変換する反応であり、原子番号が一つ減る代わりに中性子数が一つ増える。
その結果、原子核はリンより原子番号が一つ少ないケイ素(シリコン)に変わる。原子核がプラスのベータ崩壊を起こすということは、その原子核は陽子が過剰気味(中性子が不足気味)になっているので、天然のリンの原子核には16個の中性子が含まれているが、夫妻の実験で生成されたリンの原子核には16個よりも少ない中性子が入っているはずだ。このリンが放射性で、プラスのベータ崩壊を起こすのである。
人工放射性元素の発見
結局、ジョリオ゠キュリー夫妻が検出した陽電子(ポジトロン)は、次の2段階にわたって起こった原子核反応の結果であった。
- アルファ粒子+アルミニウム原子核 → リン原子核+中性子
- リン原子核 → (正のベータ崩壊) → ケイ素+陽電子+ニュートリノ
天然に存在するリンは放射線を出さないし、ましてやプラスのベータ崩壊など起こさない。
一方、同じリンでもアルミニウム内に生成されたリンは放射線(プラスのベータ線)を出す放射性のリンであり、リンの原子核内の陽子1個が中性子に変わって陽電子を出し、その結果、原子番号が一つ減ってケイ素(シリコン)になる(陽電子が創成される)。
崩壊後にできたケイ素は原子番号14、質量数28で、その原子核には中性子が14個入っている。これを逆にたどると、崩壊を起こす前のリンの原子核には中性子が15個入っており、このことからリンの質量数は30ということになる。
しかし、天然に存在するリンの質量数は31である。この実験結果は何を意味するのか?
質量数30のリンの存在など前代未聞であり、それ以前の元素周期表には載っていない。既知の放射性元素はすべて、すでに天然に存在しているものばかりだったので、ジョリオ゠キュリー夫妻は「質量数30の放射性元素リン」を人工的に作り出したことになる!
こうして夫妻は、人工放射性元素の発見者となったのである。なお、イレーヌの両親(キュリー夫妻)は天然放射性元素の発見者である。「人工」と「天然」の違いに注意されたい。
あと一歩のところで中性子を発見し損なった夫妻にとって、喜びもひとしおであったことだろう。イタリアの物理学者エミリオ・セグレ(1905~1989年)は、「これは世紀の大発見だ」と絶賛した。
中性子発見の件で地団駄を踏んで悔しがったであろう夫妻は、これで鬱憤(うっぷん)を晴らすことになった。
フェルミの着想
この人工放射能発見に結びついた実験で、夫妻はポロニウムから発せられたアルファ線を使用している。
しかし、アルファ粒子はプラスに帯電している。さらに、どんな原子の核も同じくプラスに帯電している。
したがって、アルファ粒子が物質(たとえばアルミニウム)に入り込んで原子核に近づくと、大きな電気反発力を受けることになり、アルファ粒子は容易には原子核に接近することができない。アルファ粒子が原子核と接触するくらいまで近づくためには、電気反発力に打ち勝つだけの相当に大きな運動エネルギー(あるいはスピード)がアルファ粒子に要求される。
ならば、アルファ粒子の代わりに中性子をターゲット原子核にぶつけてみたらどうだろう?
ジョリオ゠キュリー夫妻の人工放射能発見のニュースを耳にして、そう考えたのはイタリアの物理学者エンリコ・フェルミ(1901~1954年)である。
*
原子核物理学の歴史にその名を刻む偉大な物理学者、エンリコ・フェルミが登場しました。彼が得た着想とはいったいどんなものでしょうか。じつは、フェルミの着想と、それに続く一連の実験結果や発見は、現在の原子力発電のベースとなっているといいます。
次回は、フェルミの着想と実験について見ていきます。
原子爆弾〈新装改訂版〉 核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで
核分裂の発見から原爆投下まで、わずか6年8ヵ月ーー。
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