おしゃれに老いる、素敵に老いる、小さくて快適な暮らしのための、スッキリする断捨離。ところでお金は? 住まいは? 親の介護は? お墓はどうしよう?
日本でしばしば話題になる「老い支度」だが、ドイツ人はどうしているのか? 合理的で節約を重んじているのか? 親子関係はどのようなものだろう?
日本とドイツにルーツを持つサンドラ・ヘフェリンが、実際のインタビューをもとに綴る実用エッセイ、 『ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる』 より、一部を抜粋・編集してお届けする。
『ドイツ人は飾らず・悩まず・さらりと老いる』 連載第43回
『母親の新しい彼氏は亡き夫と「同じ名前」で「91歳」!? そして突然に訪れる別れ…「最後の恋は死ぬ間際まで」を体現するドイツ人の“驚愕の生き方”』より続く。
歳を取ってからの恋愛
「歳を取ってからの恋愛のいいところは、『神色自若としている』(“Über den Dingen stehen”)ということ。つまりいろんな経験をしているから、なんだか『超越』しているのよね。嫉妬もセックスもなさそうだったし。そもそも男性は歳を取ると女性っぽくなると思うの。亡くなった父も、昔は泣いたりしなかったのに、クリスマスの時、家族みんなに会えたことに感激して泣き出したことがあった。歳老いてからの恋愛もいいものよね」
カトリンさんはこう言います。ドイツ人に「親の恋愛」について聞くと、肯定的な意見の人が多い印象です。
「好きな人ができていいんじゃない? (恋している親は)かわいいし」
このあたりの感覚は、日本人と違うなあと感じます。もちろん日本にも親の恋愛を応援する人はいますが、「親のそういう部分は見たくない」といった意見もよく聞くのです。
「そういう部分」とは、性的なことも含めて「恋愛をしている親の姿」を指します。既に成人している子どもでも親のことを「あくまでも親」というまなざしで見ている日本に対し、ドイツの場合、成人した子どもは親のことを「一人の人間」として見ている気がします。人間だからいろんな欲望があるだろうし、それに正直に生きることが自然だという考えが浸透している気がするのです。
年齢にこだわらないドイツ人
また、日本は「年齢にこだわる社会」ということも関係している気がします。「いい歳をした大人が」という言い回しがあるように、どの年代においても「年齢にふさわしい」ふるまいが求められるところがあります。「高齢者の恋愛」、特にそれが「親」である場合、「ふさわしくないこと」「本来あってはならないこと」とうつるようなのです。
「80代の男性がストーカー化した」などと報じられることもあり、こういった事例も「高齢者が恋愛をすると厄介なことになりがちだ」というイメージに拍車をかけているのかもしれません。プレジデントオンラインの「狂おしく燃え上がる老人ホーム恋愛の末路」という記事のなかで、ケアマネージャーさんがこう話しています。
「私が見てきた高齢者の恋愛で、ハッピーエンドで終わったケースは残念ながらほとんどありません。人生の最後で見つけた相手という思いがあるのか、執着が強いからです。どちらかが執着心に駆られるとふたりの間に温度差が生じトラブルに発展する。ストーカーのような異常行動に走る人もいます」
ただ……考えてみれば、ストーカー事件は高齢者に限ったことではありません。20代にもストーカーはいますし、中年のストーカーだっているのですから、高齢者のストーカーがいるのは「当たり前」ではないでしょうか。つまりどの年代にも問題行動をする人はいるわけです。
ところが私たちは無意識のうちに、高齢になると、恋愛や執着とは無縁のはず、いや、そうであってほしい、と思っているところがあるため「高齢者なのにストーカー」と思ってしまい、事実が受け入れられないのかもしれません。
ちなみにドイツの高齢者にも、この手の問題がないわけではありません。しかし、だからといって「高齢者に恋愛はやめてもらいましょう」という動きはありません。
ある程度の注意は必要ですが、子ども世代が「自分の気持ち」を優先して、親の「人間としてのそういう部分」までやめさせる権利は果たしてあるのか……? と思います。
『 超富裕層ドイツ人(86)が「クーポン片手に」奔走! “ビール1L”軽々飲み干す元気を支える「超倹約家」の生活 』へ続く。