「彼女との約束に間に合うためには、昼休み返上で働いて早上がりするしかない!」
そんな個人的な理由から職場を勝手に早退しようとする部下に、上司や同僚はあ然とするばかり。従業員の労働時間は、はたしてそこまで柔軟に運用できるのか。
働き方の認識のギャップが表面化した事例をもとに、社会保険労務士の木村政美氏が解説する。
定時上がりでは、彼女とのアポに間に合わない…!
大阪出身のA川さん(30歳)は、地元の大学を卒業後、都内の食品メーカーに入社。総務部に所属し、主に新規採用業務全般を担当してきた。
退職後、新たなステージとして選んだのは、都内に本社を構えるホームセンター運営会社・甲社(従業員数はパート・アルバイト社員を含め約1,000名)。6月上旬、同社の総務課で主任クラスの社員が退職したため、後任として中途採用された。
甲社でのA川さんは、本社で総務主任として「社員の新規採用促進」と「社員教育」を担うことになり、直属の上司であるB田総務課長(40歳)から業務の引き継ぎを受けた。経験者ということもあり、理解も早く、1か月後には自らの業務をほぼ問題なく遂行できるようになった。
A川さんには現在遠距離恋愛中のC子さんがいる。7月に入ると、大阪に住む彼女から、LINEが入った。
「7月中旬に夏休みが取れたから、3泊4日の予定でそっちに行ってもいい?」
「もちろんOK! ウチに泊まりなよ。行きたいところがあったら連れて行ってあげる。どこがいい?」
7月中旬の木曜日。仕事を終え東京駅の新幹線ホームまで迎えに来たA川さんの顔を見るなり、C子さんが「神田にあるインドカレーの人気店に行きたい」と言った。職場のグルメな同僚におすすめされたのだという。
「よっしゃ、まかせとけ。早速予約を入れよう」
店に電話をし、予約を入れようとしたA川さん。ところがさすがに人気店で、3日後の日曜日まで満席だった。しかし……。
「あっ、お待ちください。たった今、明日の18時からでキャンセルが出ました。この時間のお席ならご用意できますがいかがですか?」
「18時ですか……」
甲社の勤務時間は9時から18時で昼休みは12時から13時まで。職場から店に直行しても1時間はかかるので、18時まで仕事をしていたら間に合わない。しかし彼女の喜ぶ顔が見たいので、どうしても連れて行きたい。
「入社したばかりだから有休は取れないし。マジどうしよう……」
一瞬悩んだA川さんだったが、ある考えがひらめいた。明日の予約はそのまま入れてもらい、C子さんとは店の前で待ち合わせをすることにした。
上司、同僚があ然とした「お先に失礼します」
翌日の昼休み。総務課のメンバーたちは一斉に部屋を出て休憩室に向かった。しかしA川さんは持参したおにぎりを素早く口に運びながら、休憩を取らずにパソコン作業を続けている。キーボードを叩く音が静かなオフィスに響く。その様子を見たB田課長は、A川さんの席へと歩み寄った。
「もうお昼だから一旦終わりにしたら?」
しかし、A川さんはキーボードを打つ手を止めず、画面を見つめたまま答えた。
「課長、昼休みを取っていたら今日の仕事が終わらないんです」
「どうして?」
B田課長の問いかけにも応じず、A川さんはなおも無言で打ち込みを続けた。
「A川君、これは今片付けないとまずい仕事なの? 急ぎの仕事じゃないのなら、昼休みはちゃんと取りなさい。無理をすればかえって効率が下がるぞ」
時計の針が17時を指した。A川さんは即座にパソコンに退勤記録を打ち込み、バッグを肩にかけた。
「お先に失礼します」
オフィスのドアへ向かった瞬間、B田課長はあわてて大声で呼び止めた。
「おいA川君。まだ会社は終わってないぞ。一体どうしたんだ」
A川さんは振り返ると、
「私は今日昼休みを返上して8時間働きました。だからもう帰ってもいいでしょ?」
と言い放った。その言葉にB田課長や他のメンバー達は一瞬言葉を失い、オフィスの空気が張りつめた。
「待って。会社の終業時間は18時だよ。それまでは残りなさい。今日の仕事が終わったなら来週の準備をするなりやることはあるだろう?」
「どうしてもはずせない急用があるんです。前にいた会社では、その日の仕事さえできていれば、早帰りを認めてもらえましたけど……」
「前の会社がどうであろうと、ここでは私が許可しない限り早退は認めない。早く帰るなら理由を教えてくれ」
理由を説明していたらどんどん時間が過ぎ、C子さんとの約束時間に遅れてしまう。元の職場と同じように早上がりできると思っていたA川さんは、想定外の展開に腹を立て、B田課長に食ってかかった。
「そうですか。じゃあ仮に今日、私が定時まで勤務したとすれば、17時から18時まで1時間分余計に働いたことになります。その分の残業代は払ってもらえますよね?」
「残業? この会社では就業規則で『残業するには上司の許可が必要』と決まっている。君の場合私が『昼休みに仕事をしろ』なんて言ってないから、残業代が出るわけがない。勝手に考えてもらっては困るよ」
B田課長の言葉を最後まで聞かないうちに、A川さんは急いで会社を後にした。
* * *
休憩時間の最低基準は法律で決まっており、1日の労働時間が6時間を超える場合は45分、8時間を超える場合は1時間である。
実際の職場では、社員の休憩時間中に業務が集中するなどしてその日の休憩時間が確保できなかった場合、上司の判断で特別に早上がりを認めるケース、A川さんが以前勤務していた会社のように慣例として早上がりを認めるケースもある。
ただし、休憩時間がないかわりに早上がりを認めることが慣例となっている場合、労働基準法違反になる可能性があるため、きちんと休憩時間を確保できるように業務方法を改善する必要がある。A川さんの例では、転職前に勤務していた会社は労働時間の運用方法や業務手順等に不備がある可能性が高く、対するB田課長の考え方は正しいと言える。
つづく記事〈彼女のために「昼休み返上」→「勝手に早退」した30歳部下…40歳課長がとるべき正しい対処法〉では、休憩時間に働いた場合の正しい対応、上司の許可を得ていない早退の問題点、A川さんの気になる「その後」などをお伝えする。