「義実家との付き合い方」に悩む人々
筆者は「家族のためのADRセンター」という民間の調停センターを運営している(民間機関ではあるが、いわゆるADR法に基づき、法務省が管轄する制度である)。取り扱う分野は親族間のトラブル全般であるが、圧倒的に多いのが夫婦の離婚問題だ。ADRは、「夫婦だけでは話し合いができない。でも、弁護士に依頼して裁判所で争いたいわけではない」という夫婦の利用が多いため、裁判所を利用する夫婦に比べると紛争性が低い。また、同席で話し合うことも多く、その夫婦の「らしさ」というか、人間味のあるやり取りになることも多い。そこで「ADR離婚の現場から」シリーズと名付け、離婚協議のリアルをお伝えする。
今回のコラムでは、「義実家との付き合い方」をテーマにする。大きく異なる夫婦の価値観を前に、ベテラン調停人がいかに協議を進めていくかに注目して読んでいただきたい。
監修:九州大学法科大学院教授・入江秀晃
<夫婦の経過>
東大出身官僚の夫とバリキャリの妻
太一と美幸は結婚相談所を介して知り合った。太一は長野県の田舎町出身だ。高校時代は名の知れた秀才で、見事東京大学に入学したときは、地元の集落で祝賀会が開かれたくらいであった。大学卒業後は、国家公務員試験に合格し、総務省に入省した。その後は、中央と地方を行ったり来たりしながらキャリアアップを重ねた。30歳を過ぎ、実家から半ば強制的に結婚相談所に入会させられ、美幸と出会うに至った。
一方、美幸は、東京生まれ東京育ちの都会っ子だ。美幸の両親は夫婦共に上場企業で働いており、それなりに収入が高かったことから、海外留学も経験させてもらった。海外の大学を卒業した後は、外資系金融機関で働き、美幸はいわゆるバリキャリだった。30歳手前で、5年間付き合った彼氏に振られ、男性不信に陥ったが、結婚や出産の夢をあきらめきれず、一番近道だと思われた結婚相談所の門をたたいた。
二人は、結婚相談所の中でもハイスペックカップルだった。互いの興味関心や知的レベルも合致し、真剣交際開始3か月で成婚退会となった。
実家訪問でおぼえた「違和感」
しかし、結婚までの道のりは決して順風満帆ではなかった。結婚の挨拶の際、美幸は初めて太一の実家を訪問したが、なんとも言えない違和感があった。両親の他に近所に住む親戚も集まっていて、品定めをするようにじろじろ見るのだ。「本家、分家」という言葉が飛び交い、同じ姓の親戚も多い。その後の結婚式の準備も揉め事が絶えなかった。美幸は、ごく少数の親族を招待し、海外で挙式したかったが、太一の親族のために長野で挙式してほしいと言われたのだ。美幸は納得がいかなかったが、最後は太一に押し切られた。
新婚当初は、忙しいながらも穏やかな新婚生活を送ることができた。平日は、一緒に夕食を食べられる日も少なく、それぞれが仕事にまい進した。その分、休日は二人でゆっくり過ごし、レストランで食事をしたり、日帰り旅行を楽しむこともあった。
しかし、美幸の妊娠が発覚した後、状況が一変した。太一の実家がやたらと干渉してくるのだ。まずは、贈り物だ。健康食品や地元でとれた野菜などが送られてくる。最初は美幸もありがたく受け取っていたが、段々と負担になってきた。嗜好も違うし、つわりもある中で仕事が終わった後に野菜を調理して夕食を作るという気力も体力もなかった。電話も頻繁にかかってきた。大して話すこともないのに、体調はどうか、胎児の成長は順調かと聞いてくるのだ。困った美幸は太一に相談し、それとなく両親に控えるよう言ってほしいとお願いした。すると、太一は驚くべき行動に出た。その場で両親に電話をしてくれたのはいいが、「美幸が嫌がっているから、贈り物や電話はやめてほしい」と言ったのだ。美幸にしてみれば、太一が盾となり、うまく両親との間に入ってくれるものと思っていたため、大きく失望した。案の定、翌日、太一の母から電話があり、何が嫌だったのか、嫌なら直接言ってほしいと問い詰められることになった。それでも、一時期は贈り物や電話がおさまっていたが、お腹の子が男の子だと分かると、再度連絡が頻繁になった。
義実家での衝撃のルール
その後も同様のことが続いた。出産直後の病室に太一の両親はじめ親族一同がやってくるというので、せめて退院して落ち着いてからにしてほしいと太一にお願いしたいところ、太一からは、「家に来られると、ややこしいし。君は寝てるだけでいいから」と押し切られてしまった。何より辛かったのは、無痛分娩で産んだ美幸に対し、義母から「痛みを感じないお産では母親になれない」といった価値観を押し付けられ、出産直後の美幸に対し、「お疲れ様」の一言もなかったことだ。
また、盆と正月は太一の実家を訪問していたが、美幸は衝撃のルールに悩まされることになった。小さい赤ん坊がいても、風呂は舅や太一が入った後でしか入れなかったし、帰省する度に近隣の親戚が集まり、夕飯を食べていくのだ。美幸は慣れない台所で準備に追われ、自分の家にいる何倍も疲れた。女性が男性にお酌するのも、田舎の濃い味付けも、本家や分家という考え方も、美幸にとっては受け入れがたかった。極めつけは、近隣以外、外出禁止であることだ。実家の息苦しさから逃れるため、実家を拠点に一泊旅行をしたり、宿泊はしないまでも、遠出をしたいと提案したこともあった。しかし、太一は、「一応、本家の長男だから、実家に帰っているときはあまり家を空けられない」と言うのだ。太一が気にしすぎているのではと思い、それとなく美幸が親族の前で「長野にはいい場所があるので遠出もしてみたい」と話題にしたこともあったが、「せっかく帰ってきているのだから、太一を家でゆっくりさせてやってほしい」と却下された。
こんなことが数年続き、美幸はもう実家には帰りたくないと太一に相談したこともあったが、その度に太一は不機嫌になり、美幸が折れるまで無視をするのだ。普段は優しい太一であるが、その価値観から美幸がはみ出そうとすると、無視をしたり、不機嫌な態度で美幸を従わせた。美幸は、何度か離婚を考えたことがあったが、太一の度々の転勤に対応するために仕事を辞めており、簡単に決断できなかった。美幸は、太一には単身赴任をしてほしいと思っていたが、太一や太一の両親から「子どもが小さいうちは両親が揃って育てるべき」と言われ、やむなく辞職していたのだった。
離婚を決意した、ある出来事
そんな生活の中で、あるとき、美幸の気持ちを大きく離婚に傾ける出来事があった。太一の異動先が長野になったのだ。長野に転居するとなれば、太一の両親や親族との関係が密になることが想定され、絶望的な気持ちになった。しかも、その異動は太一が希望したと告げられたのだ。美幸の中で何かがプチンと切れた。長男が5歳のときであった。
美幸は、自分が太一の実家と折り合いが悪いことを知っていながら、長野への異動を一存で決めたことは大きな裏切りであり、そもそも長野へ転居することも希望しないので、長野へはひとりで行ってほしい、ひいては離婚してほしいと太一に伝えた。
太一はそれに納得しなかったが、無理に美幸を長野に連れていくこともできず、また、異動命令に背くこともできず、渋々、一人で長野に転居していった。そして、転居後、美幸から民間調停であるADRが申し立てられた。
美幸は、海外の生活や制度に慣れ親しんでいたため、即裁判所ではなく、その手前の制度であるADRという選択肢になじみがあったし、そもそも、太一と裁判所で争いたくはなかったのだ。一方、太一も地元長野の裁判所で離婚調停や裁判を行うのは苦痛でしかなく、ADRに応じることにした。
<ADRによる話し合い・1>
対照的な印象の2人
既に太一が長野に転居して2か月が経過しており、話し合いはzoomにてオンラインで行われた。調停人を務めるのは女性弁護士だ。この弁護士は、離婚の法律に詳しいだけでなく、調停技法も習得しているベテラン調停人であった。
調停人は、画面上に現れた二人から対照的な印象を受けた。美幸は、白を基調とした明るい雰囲気の都会的なリビングを背景に、すっきりとした表情で前を見据えていた。一方、太一は、どうやら実家から参加しているようで、築古の黒っぽい和室を背景に、暗い表情をしている。
冒頭、調停人より、この場で話し合いたいことを共有してほしいと双方に伝えたところ、美幸は、「太一さんと離婚したいと思っています。理由は何度も伝えていますが、価値観の違いと実家の干渉です」と話し、いくつかの実家にまつわるエピソードを加えた。
次に太一の番だ。
「一度結婚して子どももいるわけですから、離婚はすべきではないと思っています。嫌いだから離婚したい、これは親のエゴです。それに世間体もあります。離婚したなんて、親族にも職場にも恥ずかしくて言えないですよ。自分は家族のために働いてきました。なぜ、このような仕打ちをされなければいけないのか、全然納得がいきません」
それぞれがいま考えていること
この後、「離婚したい」「いや、すべきでない」と同様の議論が続いたが、どんなに話しても平行線だった。調停人は、二人の価値観が大きく異なることを理解し、次のような進行を提案した。
「別居や離婚に対する意見が異なる場合、双方の意見を更に掘り下げていくことで、互いの理解が深まり、結果として妥協点を見いだせることがあります。しかし、お二人の価値観や考え方の違いは大きく、これ以上掘り下げたとしても、その違いが先鋭化されるだけではないかと思います。そこで、離婚するしないについては、このまま話をしていても前に進まないので、別居中という現状を前提に、現在困っていることから解決していくのはいかがでしょうか」
これに対し、美幸は「離婚協議ができないのは残念ですが、夫がそう簡単に離婚に応じないのは想定内でもあります」と述べた上で、別居中の困りごとの解決として、太一の実家と断絶したいと切り出した。
「子どもにとっては大切な親や祖父母であることは理解しています。しかし、夫の実家には数々の謎のルールがあり、それに苦しめられてきました。なので、子どもにも同じ思いはさせたくありません」
これを聞いた太一は急に激高し、「それは許しがたい。なぜ君にそんなことをする権利があるのだ」と声を荒げた。
美幸は、いかに太一の実家の考え方が古いかを説明し、その価値観の中に長男を置いておくことはできないと話した。これに対し、太一は、親族のつながりこそが財産であり、断絶はあり得ないと反論した。
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