『青い花』『放浪息子』などで知られる漫画家の志村貴子さんが、新作『そういう家の子の話』(小学館)で宗教2世の日常を描いている。
“ふつうの家”に生まれたかった——。同じ宗教を信仰する家庭に育った幼馴染み、恵麻、浩市、沙知子の3人が28歳で迎えた人生の岐路に立ち、それぞれが「家の事情」を抱えながら、仕事や結婚といった人生の選択と向き合う群像劇だ。
自身も宗教2世(厳密には3世)であることを2年前に公表している志村さん。本作を描くに至るまでの逡巡について聞いた前編に続き、後編となる本記事では、初めて家族に「宗教に対する拒絶」を示したときのエピソードとともに、志村さんが考える「宗教との理想の距離感」について語ってもらった。
家族に思いを伝えたきっかけは「アポなし訪問」
——志村さんは自身の家の宗教について、30歳過ぎまでご家族に嫌と言えなかったそうですね。ご家族に思いを伝えられたきっかけは何だったのでしょうか。
志村貴子(以下、志村):私の家の宗教には、引っ越しをする時に地域の担当に連絡するシステムがあるんです。見知らぬ土地に行っても、その宗教の信者がいるから温かく迎えられるという仕組みです。私は宗教2世であることを隠して生きていきたいと思っていた。でも困ったのが、アポなしで「この地域の担当の○○です」と言って挨拶に来ることでした。
――引っ越す先々に来るわけですか。
志村:はい。20年前くらいの話ですが、当時はアナログ作業で、アシスタントさんが来てくれていました。原稿制作中に手が離せない時、アシスタントさんが代わりにインターホンに出てくれることがあったんですが、そのアポなし訪問に出くわして「変な人が来た」と思われるのがすごく嫌で。
当時は家の宗教を拒絶する思いはあっても、完全には断ち切れない状態でした。なので、来ないでくださいとは言えず、「事前に連絡をください。急に来るのだけはやめてください」とお願いしていました。でも、「申し訳ありません、気をつけます」と言いながらも、なぜか次の月にまた突然来るんですよ(苦笑)。
——それは困りますね(苦笑)。
志村:それで私、ブチ切れてしまって。そもそも私の引っ越し先を宗教団体に教えているのは親なんです。家族には引っ越し先の住所を教えないわけにはいかないので教えるんですけど、そうすると「住所変わるんだ。じゃあ、〇〇(宗教団体)にも連絡しなきゃ」と、親は良かれと思ってやるんですね。
最初はやんわり教えないでと言っていたんですけど、それでも「教えないと娘が困るから」とやめないので、「絶対に教えるな!」と強く言って、なんとかやめてもらいました。
渦中にいる時は「おかしい」と気づけない
——それが初めて家族に対して宗教を拒絶した瞬間だったのですね。
志村:はい。それまでは嫌だなと思っているのに、受け入れてしまっていました。渦中にいる時って、後になってみると「どう考えてもこれはおかしい」ということに気づけないんです。
なかでも一番「あの時の私、すごく異常だった」と思ったのは、漫画の連載を始めたばかりの20代の頃に新聞配達をやらされていたことです。別に絶対やらなきゃいけないわけじゃないのに、地域の信者の方に「毎週木曜日は志村さんが担当してもらえる?」と言われて、「え、嫌だな」と思いながらも、「あ、はい」と。
――徹夜も多いであろう漫画の連載をやりながら、早朝に新聞配達……相当大変だったのでは?
志村:はい。疲れ果てた締め切りの朝に新聞配達をしていたんですよ(苦笑)。それで「なんでこんなことをやらなきゃいけないのか」から「もうやりたくない」になって。でも、それを切り出す勇気がなかった。その後、引っ越し魔になるんですけど、なんとなく逃げたい思いで、引っ越しを続けるということもありました。
——それでも、引っ越し先に信者の人が訪問してくる……。そういった繰り返しのなかで前述のブチ切れ事件があったわけですね。
志村:はい。アシスタントさんなど第三者に宗教2世であることを知られることが恐怖でした。
その宗教以外の人がいない空間だと、誰もそれをおかしいと指摘する人がいないので、自分はここにいるのは嫌だなと思っても飲み込めるんです。
でも、そこに第三者が加わると、家族や宗教そのものを否定することが自分の中で受け入れきれていないのに、「私は嫌です」というのを家族だけじゃなく、他の信者の方に向かって突きつけるような罪悪感があって。「嫌だ」という思いと、「この人たちを傷つけたくない」という思い、どちらにも苦しめられていました。
宗教をネタ化する90年代と、宗教に優しいけど冷たい現代
——志村さんが青春時代を過ごした90年代は、宗教がネタにされる風潮がありましたよね。知られなくないという思いは、そういった時代背景もあって強まっていったのでしょうか?
志村:特に私がどっぷり浸かっていた90年代のサブカルチャーは、あらゆるものをネタにして揶揄する側面があったので、宗教は“おもちゃ”にしていいネタのような扱いでした。自分の家の宗教をネタにして乗り切っていた子も周りにいました。いじめられている子どもの心理と似ていると思うんですけど、自分がいじめられていることを認めたくないし、知られたくないから、おどけてしまったり、自分には何も起こっていないと考えようとしていたんだと思います。
でも、私は自分の家のことをネタにするまでに振り切れなくて。いっそそこまで振り切れたらすっきりしたのかもしれませんが、ネタにすること自体に自分自身もうっすら傷ついていた。だから、深いレベルで人とつながれず、どんどん殻に閉じこもっていきました。
――オウム真理教も地下鉄サリン事件(1995年)が起こる前は散々いじりの対象になっていましたが、その事件を境に、新興宗教全般を取り巻く空気が変わりましたよね。
志村:「カルト」で一括りにされる感じがありましたね。当時、自分の家の宗教の名前が聞こえるたびにビクッとなっていたのを覚えています。
——そうした時期を経て、宗教2世であることを公表されてから、ご自分の中で変化はありましたか?
志村:ちょっと肩の荷が下りた感覚があります。私が発信したことで「私も私も」とSNSで声を上げてくださる方々がたくさんいて、知り合いの人も別の宗教の2世だということが分かったりして、改めて、自分だけじゃないんだなと感じられました。
――宗教2世の方たちがSNSで発信するようになったことでハードルが下がった部分もあるのでしょうか。青春期に90年代の揶揄的な時代を過ごした志村さんから見て、公表しやすくなった今の若い世代を良いなと思うこともありますか。
志村:どうでしょう……。自分はサブカルに救われた部分もありますし、今のほうが周囲の受け取り方が優しいけれど、冷たい優しさというか……。より複雑で難しい時代だと思うところもあります。
家族のグループLINEで私以外は幸せそう
——現在、ご家族との関係はいかがですか?
志村:私が宗教と距離を置いても、家族との関係は大きく変わってはいません。ただ、家族のグループLINEに入れられているんですけど、私以外全員幸せそうなんです(笑)。家族に良いことがあった時、例えば兄から「見て○○(子ども)がこの間こういう賞をいただけて」といったメッセージが来ると、「これも功徳だね」みたいな話をしていて。私はスタンプでちょっと「おめでとう」とかリアクションするんですけど、すごく温度差があるんです。私以外の人たちの平和なやりとりを見ていた時に、「私だけ幸せじゃないな」と思いました。
――違和感や気づきがなかったら、志村さんもご家族と同じように幸せで穏やかな気持ちでいられたなと思ったりしますか。
志村:それはあるかもしれません。でも、一度違和感を抱いてしまったら家族と同じような温度感にはなれない。かといって、宗教と自分を完全に切り離すこともできない。そういったつらさを抱える宗教2世の人は少なくないと思います。
宗教2世の私は、宗教2世じゃない私を知らない
——作品の中でも、特に宗教的な活動をしているわけではない2世の若者が、自分に信心はあると思いつつも、それも思い込みや刷り込みにすぎないだろうと考え、「なにしろ宗教2世のオレは、宗教2世じゃないオレを知らない」と心の中で言う場面があります。
志村:本当にそうで。いろんなカルチャーに触れて自分の中で消化して、「こういう感覚があるのだな」と学んだ上での宗教2世じゃない人の感覚は、あくまで自分が想像するものにすぎないんです。
同じ宗教2世の人に、私は「(宗教的な活動を)別に強制されたり、絶対こうやれと言われてきたわけではない」と話したら、「いや、でもそれも結局洗脳ですよ」と言われた時に、「やっぱりそうなのか」と立ち止まってしまいました。
その人は途中で親御さんが入信したのを見てきた人なので、宗教にはまる前の親とその後を知っている。でも、私はそれを知らないんです。
理想は、「お天道様が見ている」ぐらいのカジュアルさ
——距離をとりたいけれど、完全には切り離せない。そんな宗教との理想の距離感について、志村さんはどう考えますか。
志村:以前書いたnoteの中で、「お天道様が見ているぐらいのカジュアルさ」と表現したんですが、本当にそういう感じです。一回宗教アレルギーのようなものを起こしたんですが、それでもやっぱり宗教そのものを否定したいという気持ちはないんです。無宗教の人でも、危機的状況で神様に祈ってしまう瞬間とかあるじゃないですか。
――無宗教の人もみんな初詣とか神社の参拝など、都合の良いときだけ祈ったりしていますよね。
志村:その都合の良さが私はむしろ憧れだったんです。大人になってから、神社に行ってお参りをするということの楽しさを知りました。子どもの時は神社に行くことなどもダメだと言われていたので、作法がわからなかったんですが、スマホで調べて。「二礼二拍手一礼って?」「あれ? お寺と神社どっちがどっちだっけ?」みたいに(笑)。なんとなく日本人だったら知っていることを知らないで来てしまったので、それをやった時にちょっと感動がありました。
一緒に初詣などに行っている人も家がクリスチャンで、お互い宗教アレルギーを発症した者同士なんです。本当はこのくらいカジュアルでいられたらと思います。何か不安な気持ちになった時や病気になった時、何かにすがりたくなるような時に、何かしらの対象があるということ自体は、あまり否定したくないというのが根底にあります。