今年5月28日、JR西日本が「Wesmo!(ウェスモ)」のサービスを開始した。「Wesmo!」は新しいキャッシュレス決済サービスで、3つの決済方法(QRコード提示・QRコード読み取り・NFCタグへのタッチ)に対応している(NFCタグはICタグの一種)。
現在、国内では多くのキャッシュレス決済サービスがあり、競争が激化している。なぜJR西日本は、その競争に入り込んだのか。そもそも「ICOCA(イコカ)」などの交通系ICは今後どうなるのか。それらの真相に迫ってみた。
移動を価値にする
結論から言うと、「Wesmo!」は、JR西日本のDXの一つだ。つまり、同社がデジタル技術の活用を積極的に進めた結果、新しい決済サービスとして誕生したのだ。同社は、「Wesmo!」を、クレジットカートの「J-WESTカード」や交通系ICの「ICOCA」に次ぐ3本目の柱と位置づけている。
「Wesmo!」のコンセプトは、移動を価値にすることを意味する「Moving is Value.」だ。旅客輸送を担う鉄道会社らしい言葉だ。
筆者は実際に「Wesmo!」を使い、2つのことに驚いた。1つ目は「ロゴマークの動き」、2つ目は「アプリのフォント」だ。
1つ目の「ロゴマークの動き」はユニークだ。アプリを立ち上げると、右側から歩いてきたロゴマークが中央でいったん立ち止まり、飛び跳ねる。
筆者はこれを見て、「Wesmo!」の開発者による基調講演を思い出した。この基調講演は、昨年12月5日に大阪で開催されたJR西日本グループの総合展示会で行われたもので、開発に携わったデザイナーが「使う人にワクワクしてほしい」と言っていた。おそらく、その思いを具現化したものの1つが、このロゴマークの動きなのだろう。
2つ目の「アプリのフォント」は、会員登録でメールアドレスを入力するときに気づいた。英数字(欧文)フォントが、「Wesmo!」とロゴと同じだったのだ。
これは、「WESTERX Sans(ウェスターエックス・サンズ)」と呼ばれるオリジナルフォントで、「Wesmo!」のために開発された。部分的に丸みを帯びており、スマートフォンでよく見かけるフォントとは印象が異なる。
JR西日本によると、世界的には、サービスやブランドの開発のためにオリジナルフォントを作成するケースが増えているそうだ。ただし、国内ではメルカリなどが同様の試みをした例があるものの、事例は多くないと認識しているという。
3つの決済方法に対応
「Wesmo!」は、先述したように3つの決済方法(QRコード提示・QRコード読み取り・NFCタグへのタッチ)に対応している。スマートフォンをNFCタグにタッチすると、アプリが自動的に立ち上がる点はめずらしい。同社の指定券・乗車券予約サービス「e5489」にも対応しており、その予約完了画面からWesmo!アプリを起動して、きっぷの料金を支払える。
決済方法を増やしたのは、加盟店舗を増やす工夫だ。現在は、キャッシュレス決済の利用者が増えているものの、QRコードやICカードの情報を読み取る装置は高価で、中小店舗では導入がむずかしい場合がある。一方、「Wesmo!」では、「NFCタグ」と「QRコード読み取り」に対応した「BLUEタグ」を店舗に設置するだけでキャッシュレス決済を導入できる。JR西日本は、「BLUEタグ」を「Wesmo!」加盟店に無償で配布している。店舗が支払う手数料は、業界最安レベル(同社2024年12月調べ)の1.9%(税別)だ。
なお、「Wesmo!」が対応するNFCタグは、スマートフォンでよく使われるNFCタグの一種で、「BLUEタグ」と呼ばれている。見た目は青くて平らなプレートで、内部にNFCタグが埋め込まれている。その下部には、読み取り専用のQRコードもあり、NFCタグ未対応端末でも読み取れる。また、先述したように、JR西日本は「Wesmo!」加盟店に「BLUEタグ」を無償で配布しているので、中小店舗にとっては導入が容易だ。
スマートフォンを「BLUEタグ」にタッチすると、「Wesmo!」が自動的に立ち上がる。そのあと決済金額を入力し、確定する操作をすると、キャッシュレス決済が完了する。他のQRコード決済のように、カメラや決済のアプリを立ち上げる必要はない。
JR西日本によると、NFCタグ(BLUEタグ)タッチに対応する決済サービスは、かなりめずらしいという。また、NFC読み取りが可能なスマートフォンであれば、「BLUEタグ」を使えるそうだ。ただし、「BLUEタグ」タッチ後の動作は、スマートフォンの機種やOSで若干異なる場合がある。
背景にある鉄道利用者数の減少
ここまで読まれた方の多くが、こう思うであろう。「JR西日本には、すでにキャッシュレス決済ができるサービスとして『ICOCA』がある。にもかかわらず、なぜ今になって別の決済サービスを始めたのか?」と。
その理由の背景には、日本の鉄道事業者が直面している危機がある。日本では、コロナ禍を機に、鉄道の利用状況が大きく変化した。国内の多くの鉄道事業者では、鉄道利用者数がコロナ禍前の水準に戻っていない。
JR西日本も例外ではない。ただ、同社の場合、同業他社とくらべて業績の落ち込みが大きく、鉄道事業だけに頼って経営することがより難しかった。同社デジタルソリューション本部が今年2月21日に公表した「JR西日本グループデジタル戦略について〜4年間の軌跡と将来の持続的な成長に向けて〜」のp5には、同社の主要な鉄道(山陽新幹線と近畿圏在来線)の利用者数の推移や同業他社との業績対比のグラフが載っており、一番下に「鉄道一本足打法ではダメだと認識」と明記されている。
そこで同社は、DXを企業戦略の基本とし、2020年11月にデジタルソリューション本部を発足させ、2023年3月に開始した「WESTER(ウェスター)サービス」を開始した。「WESTERサービス」は、決済や列車予約、日常サービス、旅行などを1つの共通IDで処理できるもので、利用するとポイントがたまる。同社の狙いは、このサービスが受けられる経済圏「WESTERワールド」を拡大し、同社の成長につなげる点にあった
その結果、「WESTERサービス」はポイントの魅力が多くの人に支持され、会員数がサービス開始から1年間で1,000万人を突破した。これによって、鉄道を核とする「WESTERワールド」が広がった。
そこで同社は、「WESTERワールド」の領域をさらに広げるため、「Wesmo!」を開発した。3つの決済方法に対応して、決済システム導入のハードルを下げ、中小店舗をふくめた加盟店を急拡大させるのが狙いだ。
いっぽう利用者視点で見ると、「ICOCA」と「Wesmo!」には、大きなちがいがある。その代表例は、扱える金額だ。「ICOCA」ではチャージ金額の上限が2万円だったのに対して、「Wesmo!」では100万円まで扱える。
また、「Wesmo!」では、「ICOCA」では不可能だった個人間送金や企業間送金、出金(現金化)が可能だ。つまり、親が子どもに小づかいを渡すときや、複数人で飲食費を割り勘するときも使える。もちろん、「WESTERサービス」のポイントをスマートフォンの画面で確認することができる。将来は、デジタル給与払いにも対応する予定だ。
JR西日本によると、これらの柔軟なサービスの実現を目的として、金融庁が定める第二種資金移動業者の登録にチャレンジしたという。鉄道事業者が第二種資金移動業者になるのは、国内では同社が初めてだ。
将来は鉄道でも使えるか?
ここまで充実したサービスならば、ぜひ駅の自動改札機にも対応してほしいところだ。しかし、現時点ではまだ対応していない。
その点をJR西日本に聞くと、「鉄道は交通系ICが基本であり、まずはモバイル含めたICOCAをより磨き上げて鉄道含めた交通向けのキャッシュレス決済としてお客様に支持し続けていただくことが最優先と考えています」との回答が返ってきた。
ただし、同社は今年1月8日にQRチケットサービスの詳細を発表しており、同社の観光ナビゲーションサービス「tabiwa(タビワ)」や、関西7社の広域型MaaS「Kansai MaaS(カンサイマース)」がそれぞれQRコード決済に対応している。実際に一部の駅には、QRコードに対応した自動改札機が設置されている。
ならば、将来「Wesmo!」で鉄道を利用できるようになるのではないか? そう思ってJR西日本に聞くと、「コード決済での鉄道利用は、先般発表したQR チケットサービスをベースに、さらに高度に改良していく必要があると考えていますが、将来的に『Wesmo!』で改札を通過できるように検討していく考えです」との回答が返ってきた。
この回答には「自動改札機」という言葉はないので、決済方法はわからない。ただ、「Wesmo!」によって、「WESTERサービス」のポイントを貯めることが容易になるだけでなく、お金のやり取りの自由度が上がるのはたしかだ。ぜひ鉄道でも利用できるようになり、鉄道全体における「移動の価値」が高まることを期待したい。