2024年10月31日に文部科学省が発表した「問題行動・不登校調査」によると、2023年度の不登校児童生徒数は過去最多の34万6,482人と発表された。不登校の生徒数は、11年連続で増え続けている。SNSやネットには、不登校についていろいろな意見があふれている。「早期対応が大事」「放っておくともっと大変なことになる」そんなふうに、「学校に行かせること」自体をゴールとして、その方法を紹介しているものも多い。しかし、子どもはひとりひとり違う。学校に行けない理由も、感じ方や特性もさまざまだ。それなのに、まるで同じ方法でうまくいくかのように語られるのは、少し無理があるのではないか。では、親はどんなふうに子どもと向き合えばいいのか。誰に相談し、どう考えていけばいいのか。
そんな問いに向き合い、さまざまな環境で悩み苦しむ子どもと親を支えてきたのがNPO法人『福祉広場』代表の池添素さんだ。不登校や発達障害の子どもと親にかかわり続けて40年。親たちに「素さんがいたから私たち親子は生きてこられた」と感謝される。
池添素さんに子どもの不登校の現状についてジャーナリストの島沢優子さんが取材し、具体的なエピソードと共にお伝えする連載「子どもの不登校と向き合うあなたへ~待つ時間は親子がわかり合う刻~」。第18回では、3歳で保育園に行けなくなった息子と向き合う大学教員のシンペイさんの話を紹介する。突然の不登園に、何が正解かわからず、SNSやネットの情報に翻弄される日々。そんな中、池添さんに相談したことで、息子の特性や向き合い方が少しずつ見えてきた。息子の変化に、シンペイさんはどう向き合ったのか。具体的なエピソードとともにお伝えする。
連載は大きな話題を呼び、池添さんのもとにも相談が相次いでいる。そんな中、連載に大幅な加筆修正を加えた書籍『不登校から人生を拓く――4000組の親子に寄り添った相談員・池添素の「信じ抜く力」』(講談社)が、2025年9月2日に発売されることとなった。発達障害や不登校などに悩む親子と40年以上向き合い、4000組以上の親子に寄り添ってきた池添素さんの高い専門性に裏付けられた池添さんの実践と珠玉の言葉の数々を、約20年追ったジャーナリスト島沢優子さんによる渾身のルポルタージュ。不登校の親子だけでなく、子育てに迷うすべての人に贈る一冊だ。
3歳の不登園
長い助走の末に、3歳の不登園が始まった。
大学教員のシンペイさんは、会社員の妻とともにひとり息子のリンタくんを育てている。現在小学4年生。当時保育園に連れて行くのは妻の役目だった。
3歳、年少組の4月のことだった。家に戻ると妻が暗い顔で「リンタ、保育園がイヤなんだって。行かないって」と言った。嫌がるリンタくんを自転車の後ろに乗せ、なんとか連れて行こうとしたが、妻の背中をバンバン叩きながら「イヤだ、イヤだ。保育園行きたくない!」と叫んだという。
登園拒否の前兆はあった。保育園は、0~2歳児クラスから3~4歳の年少組に移ると、途端に保育士の数が減る。それまでは泣けば抱っこしてくれたのに抱き上げてもらえない。運悪く、異動で職員の交替もあった。リンタくんにとって過酷な変化だった。なぜならば同じ先生、同じ仲間という「恒常性」(不変の環境)は子どもを安心させる。友達と遊べない、言葉が出ないといった特性があったリンタくんにはいづらい環境だった。
妻は会社の理解もあって在宅勤務に切り替えた。時に会社に連れて行くなどし、リンタくんと一緒に過ごすことができたものの「本当に大変だったと思う。僕も交替で見たりしましたが、妻のほうが負担が大きかった。すごく参ってました」と振り返る。
夫婦は混乱した。最初は「もう無理やりでも連れていったほうがいいのかもと思ってみたり。何が正解かわからなかった」(シンペイさん)。ネットで調べると「泣いても、力ずくでも連れて行ったほうがいい」とSNSやブログに書いている親もいた。どうすればいいのかと途方に暮れるうちに、妻のこころが折れ、5月になると無理に連れていくエネルギーは尽きてしまった。
行き渋りから見えた息子の特性
シンペイさんと妻はネットで発達障害について調べた。リンタくんには、自閉症スペクトラムの特徴である「視線が合わない」「バイバイしない」「回転するものをひたすら見る」などは見られないように感じた。その一方で、保育園に行けなくなってから、外に出るのを嫌がるなど過敏な面があった。例えばマンションの敷地より外には出られない。加茂川で魚をとったり、祖父母の家の近くの海で遊んだかと思えば、買い物や公園にすら行けない日もあるなど浮き沈みがあった。
人一倍敏感な特性があるHSP(Highly Sensitive Person=ハイリー・センシティブ・パーソン)ではないか。息子の特性を2人は日々話し合った。
6月。池添さんに会いに行くと妻が言い出した。通っていた保育園での講演を聴いたことがあったからだ。その際、近づいて息子の話をしたら「お母さんも、子どもも、もっと楽にしたらええねん」と言われたという。妻は「どうすれば楽になるかまったくわからなかった。池添さんに相談したい」と言った。
妻が息子を連れて福祉広場に行き「HSPじゃないかと思ってます」と告げたら、「そうか。じゃあ一度検査してみようか」と言って、その場で簡易的な検査をしてもらった。そこで「これは自閉症スペクトラム(ASD)じゃないかな」と言われた。他の発達相談では「自閉症ではない。お母さんの気にしすぎ」と言われたが、シンペイさん夫婦は池添さんを信じた。
そこから2年数ヵ月後、年長組になっても不登園は続いた。リンタくんは「小学校に行く!」とランドセルを両親と一緒に買いに行き、入学を待ちわびた。卒園式にも出た。
小学校に入学。入学式は楽しそうだった。それなのに、その後は行き渋りが始まった。妻が学校にまで付き添い、廊下で椅子に座って見守った。リンタくんは授業中、母親がいるかを確かめるように何度も振り返った。シンペイさんも大学の授業のない日などは「見守り役」を交替した。朝の会だけ、もしくは1時間目、2時間目の授業だけ受けて帰った。
子どもの急激な変化には注意
5月の終わりのことだ。一度だけ授業を最後まで受けることができた。給食を食べ、午後の授業も受けて、クラスメイトと同じ時間に学校を出た。担任の先生がすごく喜んでくれた。妻も「ずっと学校にいられたんだよ」と笑顔で教えてくれた。次の日は2時間目くらいまで教室で過ごせた。次の日も行けた。
このまま学校に行ってくれるのかも――。淡い期待を抱いた6月、リンタくんは「学校、行きたない」と動かなくなった。シンペイさんは、リンタくんが保育園のときに池添さんと会ったときに言われた言葉を思い出した。
――低空飛行でええねん――
「保育園に行ったり、行かなかったりするのが続くほうがもしかしたら良かったかもしれないね。急激にS字カーブで良くなるみたいなことは、基本的にはこの種のタイプの子にはないんだよね。そこを期待するよりも、すごくいいわけでもなく、すごく悪いわけでもなくみたいなのを何とか続けていくほうがいい。長い目で見たらいいよ」
急激な変化が見えたときは、それが良い方向でも、悪い方向でも、あまりいいことでないことが多い。不登校だった子どもが突然学校に行ったり、最後まで授業を受けると、大人は皆大喜びする。ただし、急激に良くなるのはあまり良い兆候とは言えない。子どもがかなり頑張った結果なので、多くの場合は反動が生じる。そういったことを説明してくれた。
当時の池添さんの説明がこころに蘇り、ストンと落ちた。シンペイさんは「低空飛行がいいかぁ、なるほどねと思いました。急激な変化よりも、長い目で見て緩やかに改善していくことを目指そう。それが大事なんだと学びました」とうなずきながら語ってくれた。
彼らをサポートした池添さんは、「どの日の面談だったかははっきりしませんが、大丈夫だよ、絶対に出口はあるからと伝えました」と振り返る。
「確信があったわけではありません。ただ、これまで多くの子どもたちを見てきた経験から、子どもは成長するにつれ私たちがいる世界に慣れていくことを知っていたので、この子も決して例外ではないと考えました。それがお父さんやお母さんの希望になったんだと思います」
池添さんによると、リンタくんは発達障害の特性から来る過敏さがあり、からだの中にあるものが外へ出るのを嫌がる傾向があった。トイレに行けない。つまりうまく排泄ができないところがあった。そのこともあって、外出ができなかったり、電車に乗れなかったりした。保育園や小学校に行く以前の難しさが横たわっていた。
「それでも、ご両親が丁寧に育ててきたおかげで不安が減ってきました。特にお母さんの努力や献身は、私たちから見ても頭の下がる思いでした」と池添さんは2人をねぎらった。
後編【「これをやれば学校に行ける」は本当?不登校ビジネスに葛藤した父親がたどり着いた結論】では、「これをやれば劇的に改善する」という不登校ビジネスに直面したシンペイさんの葛藤を描く。「子どもにとっての幸せ」とは何か、親として感じたこと、学んだことをお伝えする。