上方落語『はてなの茶碗』と江戸落語『茶金』
『はてなの茶碗』という落語がある。
上方の落語である。
舞台が京都の落語である。
大坂から来て京都で働いている小商人(こあきゅうど)と、京都の茶道具屋さんとのやりとりが見どころになっている。
「京都商人がおもう大坂商人の心意気」と「大坂人が想像している京都の狭さと深さ」が描かれていて、そこもまたおもしろい。
京都と大阪の違いを描いて、現代にも通じる話である。
だから演出も細かい。
京都言葉と大阪言葉の違いを出さないといけないし、途中からお公家さんを始め高貴な人々がでてきてセリフをいうのだが、このあたりの言葉もむずかしい。
呼吸もふくめて細かい喋り分けが必要となる。
そもそも徳川期が舞台の古い世界でもある。
でも、これは東京にも移されている。
「茶金」というタイトルで演じられることも多い。
桂米朝の推察によると「明治の中ごろに東京に移されたようです(たぶん、橘家圓喬によって—-)」(「米朝落語全集」第六巻 136p)ということだ。
橘家圓喬が高座にかけていたので、弟子を自称していた古今亭志ん生もよく演じていたようである。東京方ではこの古今亭志ん生の録音と、その息子で弟子、古今亭志ん朝の録音がいくつか残っている。
もちろん「京都の商人と大坂の商人」という構図は取られず、「京都の商人と江戸の商人(というより口ぶりからはほとんど職人)」という構造になっている。
江戸と京都の文化や気質の差について、おもしろおかしく対比される話を私はあまり聞いたことがない。
そもそも世界が違いすぎるわけで、だから、ただ大坂を江戸に変えただけの「ぞろっぺえな構造(大雑把な構造)」になっているなと感心するばかりである。
こんな勢いのいい喋りの江戸ッ子が、(しかもいまより人が行き来しない徳川期に)、高級茶道具のお店に入ってきはったら、京都人はすぐ「ぴしっ」と扉を閉めるとおもう。できれば店の扉を閉めたいが、それでも入ってきたなら、心の扉はぴしっと音を立てて閉めて、そういう応対しかしない。まったく親身に話さないとおもう。
江戸落語で変更された茶屋の地名
上方の『はてなの茶碗』は桂米朝が戦後に復活させた噺のひとつである。
「復活……というよりはほぼ創作したと言ってもいい古典落語である」(小佐田定雄「枝雀落語の舞台裏」(ちくま新書 187p)とされている。
いま全編に満ちている「品」は米朝が生み出したものだということだろう。
私は、「あんさん、大坂のおかた……そうどっしゃろなあ、京の人間にはとてもそんな真似はでけまへんわ、やっぱり商いは大坂どすなあ……」という道具屋主人の言葉が好きで、ここが聞きたくてこの落語を聞いている。ここが抜けると、私にとってはこの落語のおもしろみがほとんどなくなってしまう。
それは私がもともと京都育ちである、ということもあるのだろう。
お噺は、大坂から来て京都で「かつぎの油屋」をやっている商人が、京都一の茶道具屋の旦那が「はてな」と不思議がった茶碗を手に入れて、それでひと儲けしようとする物語である。
最初は清水寺の音羽の滝のシーンから始まり、つづいて京都一の茶道具屋「茶屋金兵衛」の店で展開する。
茶道具屋の名前は金兵衛、略して「茶金さん」と呼ばれている。
そして、「京都一の茶道具屋、ということは日本一の茶道具屋さんですな」といわれる店がどこにあるのか、という問題がある。
米朝の正統テキストと、志ん生のテキストでは場所が違う。
正統な桂米朝テキストでは茶金さんの店は「ころもんたな」にある。
京都人にとっては自明の地名で、漢字で書けば「衣棚」となり、ふつうに発音するなら、ころものたな、である。(「衣ノ棚」と表記に「ノ」が入ると気持ち悪い)
いかにも日本一の茶道具店がありそうな地名である。
京都のまんなかあたり、南北のストリート名である。
烏丸通りがあって、その一本西が室町通、さらにその一本西にあるのが衣棚通である。
なんか上等そうなところという、(鴨川の東に住んでいる者からの感想だが)印象がある。
ただ、衣棚、という地名は東京の人にはそこまで知られていないのかも知れない。
まあ、隣の室町通りが「幕府の名前」からはては「時代区分の名前」にまで使われてすごく有名なのに比べて、一筋違うだけで、さほど知られていないようにおもう。
だから古今亭志ん生は、茶屋金兵衛の店があるのを「木屋町」としている。
木屋町に日本一の茶道具店。
かなり無理がある。
京都の端っこだよ、そこ。
私が江戸落語を真剣に聞き始めたのはそんな昔からではないので、志ん朝がぎりぎり生きていたころからなのだが、志ん生の「茶金」で「木屋町の茶金さんのお店」と喋ってるのを聞いたとたん(家でCDで聞いていた)がばっと跳ね起きて、「えっ」と声が出て、そのまま「ええええっっ」と少々、叫んでしまっていた。
いや、よりにもよって「木屋町」はないやろ、なんで「木屋町」と大きな衝撃を受けて、受けたままである。
京都人としては許せない改変
『はてなの茶碗』の舞台は徳川時代である。米朝は十返舎一九の書いたものが元ネタではないかとしているので、文化文政のころ、帝でいえば光格天皇から仁孝天皇が京都の御所におわした時代である。
だから公卿もみな京都にいたわけで、それは御所周辺に住まいがあった。
京都一の茶道具屋が出入りするのは公家屋敷も多かったはずで、そのためには公家屋敷周辺に店があったほうがいい。
だから衣棚と、米朝はしたのだろう。
木屋町は、ない。ありえなさすぎる。
衣棚通でなくてもいいけど、木屋町通をセレクトしている意味がわからない。
地理感覚ではなく、ただ音で選んでるようなぞろっぺえさを感じてしまう。
木屋町通は町の端っこだ。
見方にもよるだろうが、もともと京の都は鴨川が「東の結界」であり、鴨川の向こうは「あっち」の世界である。木屋町通は鴨川の手前ぎりぎりの端っこにある。
そもそも「木屋」の町である。
運河である「高瀬川」沿いの新興の通りなのだ。
東京にある「木場」と同じようなものだ。運河脇で木を集める場所。
運河に船を通して、それで材木を運んだ。徳川期の(明治以降も)物流ルートである。
川沿いで材木を出し入れしやすい場所である。
多くの人が働いて活気のありそうな場所である。怒号も飛び交ってそうだ。
あまり趣味人がゆっくり茶道具を見たいとおもう空気を醸し出していない。いまもあまりないが徳川期はもっとなかったとおもう。
また川(運河)沿いだから、水害に弱い。
昭和10年に鴨川の大洪水が起こって、そのさまは私も祖母から話を聞いたことがあるが、木屋町はほぼ水没している。
高瀬川はいわば鴨川の分流にすぎず、鴨川が溢れたら高瀬川も一緒に大水を突く。
鴨川は何かあると氾濫する川であり、白河法皇がままならぬものとして上げたのは有名だし、もちろん徳川時代でも洪水を繰り返しており、10年間一度も鴨川が溢れないということは少なかった。そんな氾濫川の近くに、「値打ちのある(いまでいえば何十億もしそうな)茶道具」を置く店があるのはおすすめしない。
日本文化のためにも、もうちょっと内側に入って欲しい。
そもそも新興の通りである。
「時代」も扱う茶道具屋はあまり新興地に店を出して欲しくない。
京都市中は平安京の時代から道が作られていたわけで、そういう古い道が街の中心にある。
その後いくつか興廃があったが、やがて羽柴秀吉が宮中に深く入りこんだ政権を打ち立てたときに、京都市中も整備した。
木屋町通は、そのときにいたってもまだ存在していない。
「太閤さんの時代よりもあとにできたところ」というのは、京都の感覚では、かなり新興の土地である。ついこのあいだ開けはったところやおへんか、と言われかねない。
京都人の怒りは収まらない
「木屋町」は賑やかなところだけど、新興繁華街という位置である。
あまりお公家さんや、宮中に出入りする人が住むところではない。
茶金さんの店が「木屋町」というのは志ん生で聞いて、その弟子の志ん朝でも聞く。
志ん生だから、申し訳ないがただ「ぞろっぺえ」(大雑把)に選んだばかり、という印象を持ってしまう。
彼のぞろっぺえさは、落語の本質を鷲づかみにして、それが戦後(昭和20年代)の日本人を熱狂させた。それは「京都の地名はだいたい京都らしさがでていればそれでいいんじゃないの」というような感じを受けてしまう。
そういう荒くれた空気を、関西では桂米朝が均していって、いまの上方落語がある。米朝がもたらした「品」はもはや千年の値打ちがあるように見えてくる。
「衣棚」がちょっとマニアックなら、「室町」でよかったのに。
「新町」や「堀川」でもよかった。内に入ってほしかった。
落語はむずかしい。
たとえば、東京ではこの落語は「茶金」として演じられることが多いが、これを東京の先人に教わるかぎりは、茶金さんの店は「木屋町」として教わり、それを変えることはできない。変えられなくはないが、おそろしく勇気がいる。そんなところで芸人は余計な勇気を使いたくない。
もし四代目橘家圓喬がそうしたならもう120年から140年は経っているわけで、「宮中に出入りしていた茶道具店が木屋町にあった」という奇天烈にも100年越える古色蒼然とした色がついてしまっていて、それはそれでもう伝統である。時代がついてしまっている。どうしようもない。京都人のたわごとなぞスルーしてそのままで行ったほうがいい。
でもなんで木屋町って……と京都人としておもってしまう。
「祇園会」で京都人がみそかすに言われるのは、あれは京都人のちょっといけずな心情がやっつけられているので、あそこは江戸ッ子を応援できて痛快である。祇園会では江戸側に立てる。でも「茶金」さんの「木屋町」は聞くたびに、ちょっと空気が抜けそうになる。
それが江戸ッ子にとっての京都か、とおもしろがって聞けばいいんだし、おもしろいとはおもうのだが、ずいぶん奇妙なところに来てしまったな、とはおもう。
まあ、そういう世界線があってもいい、ということなのだろう。
今日も日本は暑い。