突然ですが、みなさんは自分の「日本語の使い方」に自信はありますか?
SNSなどを見ていると、何かの投稿に対して「日本語がおかしい!」「近ごろの日本語は乱れている」と指摘している場面を時々見かけることがあります。そんなやりとりを見ていて、他人事じゃない、と感じる人も多いのではないでしょうか?
時代が進むにつれて、当初とは違った言葉遣いが標準化していくことも多い中、はたして「正しい日本語」とは? と疑問に思う方もいるかもしれません。
そんな方におすすめなのが、NHK放送文化研究所主任研究員・塩田雄大さんの著書『ゆれる日本語、それでもゆるがない日本語 NHK調査でわかった日本語のいま』(世界文化社)。
時代と共にゆらゆらと変化し続けている「日本語のつかいかた」について、さまざまな調査結果を紹介し考察することで、現代日本の「ことばづかいの相場」の現況を伝えてくれる本書から、一部抜粋してお届け。
2回目は、「違和感を感じる」という言い回しについて。
日本語の多様性を知るきっかけとして参考にしてみてはいかがでしょうか。
「違和感を感じる」?
Q.「違和感を感じる」という言い方は、おかしいのでしょうか。
皆さんはどう感じますか?
もしかしたら日頃当たり前のように使っている日本語も、自分とは違う年代の人たちには少し異なったニュアンスで伝わっているかもしれません。
調査結果は……? 詳しい解説をチェック!
A.「どんな場合であろうと、おかしい」と考えるのは、やや行き過ぎであるように思います。調査の結果では、この言い方は「間違った言い方だとは思わない」という人が全体の3分の2程度を占めています。
この「違和感を感じる」が「おかしい」と言われることがあるのは、「感」という字が2回出てきている〔=重複表現〕からです。そのため、「違和感を覚える」「違和感を抱く」あるいは「違和を感じる」と言うべきだという意見があります。
ただし、「重複表現」に該当するという理由だけをもってすべて「おかしい」と考えるのは、必ずしもおだやかではありません。「歌を歌う・踊りを踊る・掛け声を掛ける・犯罪を犯す・たばこの火が引火する・○○賞を受賞する」や、「旅行に行く・相手の立場に立って考える・期待して待つ・前の車との車間距離・被害を被る(こうむる)」などは、「おかしい」と感じる人はそれほど多くないように思いますが、いかがでしょうか。
その一方で、「頭痛が痛い・馬から落馬する・日本に来日する・食事を食べる」などのように、おそらく多くの人が「おかしい」と感じるような重複表現もたくさんあります。
重複表現における「おかしくない」と「おかしい」の「境目」の一つの目安として、
ある「字」が重複して使われていたり、あるいは意味の上で相互に重なるところのある「語」が複数用いられていたりする場合に、その重複する部分のそれぞれが、ほんとうに「同じもの・同じこと」を指しているのかどうか
という観点があるのではないかと考えています。
「頭痛が痛い」がおかしいと感じるワケ
たとえば、「旅行に行く」は確かに「行」という字が重複していますが、「旅行」という語の「行」の字に対して、聞いた瞬間、あるいは見た瞬間に「行く」という意味を毎回感じるでしょうか。「旅行」ということばの語源には「行く」の意味がおそらく含まれているものの、現代語で使う場面では、「行く」の意味をそれほど強くは意識しないと思います。
また、「旅行に行く」ではなく「旅に行く」あるいは「旅行をする」と言うことももちろんできますが、それぞれの表現は、いずれもやや違うニュアンスを帯びているように感じます。つまり、「旅行に行く」としか表現しようのない場合も、あると考えます。
一方、たとえば「頭痛が痛い」は、「頭痛」の「痛」の字はまさしく「痛い」ということを表すもので、現代でもその意識は強いと思います。
また、これを「頭が痛い」あるいは「頭痛がする」と言いかえても、ほとんどニュアンスは変わらないのではないでしょうか。そのため、「頭痛が痛い」は「重複表現」であり一般的には「おかしい」言い方だ、ということにつながるのだと思います。
なお、「筋肉痛が痛い」などは「頭痛が痛い」よりもやや受け入れられやすいように感じるのですが、それは、「筋肉が痛い」あるいは「筋肉痛がする」だと少々ニュアンスが変わってきてしまうからではないかと考えています(このあたりの考え方は、今後の課題です)。
全体の3分の2が「違和感を感じる」に抱く印象とは
さて、ここでやっと「違和感を感じる」ですが、「ある印象〔=「感」〕」を「知る・判断する〔=感じる〕」わけですから、字として「感」が重出しているとは言っても、意味の上で完全に重なってしまっているというわけでもないように思います。
ただしこの場合、「感」という字が重出していることに加えて、「かん」という読み方も同じ(重複している)なので、「おかしい」と感じる人も少なくないのだと思います。それでも、たとえば「責任感を感じる」などだと、これは「責任を感じる」や「責任感を覚える」とはかなり違うニュアンスを受けるのではないでしょうか。
人によって感じ方が異なるグレーゾーン的な例であることを意識したうえで、場面によっては、「違和感を覚える」「違和感を抱く」のように言いかえたほうがよいときもあるでしょうし、その一方で、「違和感を感じる」という言い方をそれほど強く否定しなくてもよいのではないでしょうか。今回はまじめなまま終わることができそうで、満足感を感じます。