「7月5日大災害説」の影響
「2025年7月5日に日本で大災害が起こる」
ついこのあいだまで、このデマを巡って日本中がちょっとした騒ぎになっていた。
ことの発端は、2021年に飛鳥新社から出版された『私が見た未来 完全版』だ。作者のたつき諒氏の予知夢を漫画化した本書では、〈夢を見た日が現実化する日ならば、次にくる大災難の日は「2025年7月5日」ということになります〉と“予言”。南海トラフの南に位置する海底を震源地として東日本大震災の3倍の津波が発生し、日本の太平洋側の3分の1が飲み込まれる夢を見たと説明していた。
こうした内容はSNSやYouTubeで広く拡散され、電子版を含む本書の国内累計発行部数は106万部を突破。予言の日が近づくにつれ、世間の反応はさらにヒートアップした。
さらに影響は国外にまで及んだ。
とりわけ香港の状況は、国内の反応が沈静化したいまでも深刻だ。“7月5日大災害説”が広まった結果、訪日客が減少している。香港のLCC・グレーターベイ航空が日本への定期便を減便する事態にまで発展し、9月からは米子空港と香港を結ぶ便を運休するという。
根拠のないデマがひとり歩きする状況に気象庁も見かねたようだ。
同庁の野村竜一長官は6月13日に記者会見を開き、「現在の科学的知見では、日時と場所、大きさを特定して地震を予知することは不可能」「そのような予知の情報はデマと考えられるので心配する必要はない」と異例のコメントを出している。
「ここまでの騒ぎに発展した根本的な原因は、『2025年7月5日』という具体的な日付に言及した点にあると見て間違いないでしょう。しかし実は、この日付は新たに付け加えられたものなのです」(オカルト分野に詳しいライター)
一体、どういうことなのか。
なりすましが本を出版しそうに…
『私が見た未来 完全版』が飛鳥新社から出版された経緯を振り返ってみる。
そもそも、2021年発売の本書には改訂が加えられている。原著は1999年に朝日ソノラマ(2007年に解散)から出版され、長らく絶版になっていた。
「この漫画がにわかに注目を浴び始めたのは、2017年前後です。表紙イラストの1カ所に『大災害は2011年3月』と小さく書かれているのが一部のオカルト界隈で話題になり、東日本大震災を言い当てた“預言者”としてたつき氏が扱われ始めたのです。2020年のコロナ禍以降は都市伝説系のYouTuberもこの話題を盛んに扱い始め、さらに知名度が高まりました」(同前)
原著の表紙に予言めいた言葉を記したことについて、たつき氏は『私が見た未来 完全版』で次のように振り返っている。
〈この具体的な日付である「2011年3月」という年号は、『私が見た未来』の単行本の〆切の日に「夢」で見ました。(中略)これはとても重要な日付だと思い、急遽、年月だけを付け加えたのです〉
なお、2025年6月15日に発売の自伝『天使の遺言』(文芸社)によれば、当時の編集長は難色を示したようだ。
〈「なんでこんな未来予知みたいなことを書いちゃったの? 外れたらどうするの?」と編集長は嫌がっていました。私は「10年以上先の未来予知など、覚えている人はいないはず」となだめました。すると困ったように、ウーッと唸られてしまったのを覚えています〉
ただ、のちにこの表紙が注目されると、たつき氏の絶版本は10万円という高値で取引きされるようになる。一時期は50万円まで高騰したという。
「こうしたなかで復刊に向けて動き出したのが飛鳥新社でした。ただ、同社はなりすましの男性を本人と勘違いしたまま出版直前まで進んでいたようです。すんでのところで、たつき氏本人がこの動きに気づいて同社に連絡、ことなきを得ています。結局、これがきっかけで飛鳥新社は正真正銘の本人と復刊の準備を進めることができました」(同前)
日付への言及は不満だった?
原著にはない夢日記や予知夢の解説が追加されたのもこのときだ。
7月5日大災害説のもとになっているのはたつき氏が2021年7月5日に見たという夢の内容で、「作者あとがき」で〈夢を見た日が現実化する日ならば、次にくる大災難の日は「2025年7月5日」ということになります〉と述べている。
しかし、たつき氏はこの完全版について、前述の『天使の遺言』のなかで〈結果的に出版社の意向中心で出版されてしまったことに、不本意な思いもありました〉と明かしている。
さらに同書では、聞き書きであることをほのめかしながら、具体的な日付を明記した背景にも触れている。
〈ちなみに、『私が見た未来 完全版』の「作者あとがき」で、次に来る大災難の日は『2025年7月5日』ということになります』と書いていたのは、過去の例から、「こうなのではないか?」と話したことが反映されたようで、私も言った覚えはありますが、急ピッチでの作業で慌てて書かれたようです〉
そして、〈夢を見た日=何かが起きる日というわけではないのです〉と強調した上で、〈出版社としては売れる本を出したいわけですから、かつてはプロの漫画家だった私も、理解できる点もありますが。今の私としては、不本意な点もありました〉と述べている。
これらの発言を考慮するに、具体的な日付の記述に関して版元である飛鳥新社に不満を持っている様子が窺える。では、同社はたつき氏の意向を無視して本を刊行したのか。
同社に問い合わせると、以下の回答が返ってきた。
作者は不満を伝えた?
「当社では同書(編集部注:『私が見た未来 完全版』)に限らず、すべての書籍において、書籍のカバーや帯を含む全ての内容について、著者と相談し、確認、了承を得たうえで出版しております。出版後、著者より修正依頼があれば、その都度、重版の際に対応しております」
2025年7月9日に書店で購入した同書を確認すると、すでに37刷に達していることが分かる。同社の回答を踏まえると、これまで修正のチャンスは何度もあったと考えられる。
それでは、たつき氏は不満を抱いた箇所の修正を求めたことがあるのか。
自伝を発表した文芸社を通して問い合わせると、たつき氏から以下のような回答があった。
「伝えたことはありません。その時間的余裕はありませんでした」
今回の騒動で、防災意識がある程度高まったのは事実だろう。と同時に、多くの人が情報を見極める大切さを痛感したのではないだろうか。
そういう意味では、災害時のデマに踊らされないための“防災訓練”だったのかもしれない。
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