「俺たちはここで玉砕するよ……」「どうか妹たちをお願いします」「お前にはいろいろと島のことを教えてもらった。ありがとう」「なんで日本はこんな戦争を始めちゃったのだろう」
1944年7月、硫黄島。それは一時疎開のはずだった――。散り散りになった島民たちはなぜ今も故郷に帰れないのか? 話題の新刊『死なないと、帰れない島』では、ベストセラー『硫黄島上陸』著者がこの国の暗部に執念の取材で迫る。
(本記事は、酒井聡平『死なないと、帰れない島』の一部を抜粋・編集しています)
硫黄島奇譚
旧島民の会の会長ながらも若手の部類である小林は、年長の団員たちに遠慮しているのか、食事などで歓談する際は、聞き手に回ることが多かった。奥ゆかしい小林がある日の夕食後、珍しく口滑らかに聞かせてくれた話があった。
「3年前だったか、2年前だったか……」
神妙な表情で語り始めた内容は「硫黄島奇譚」とも呼ぶべき不思議な話だった。
「僕は昔から頭痛持ちなんです。だから、夕食後、食堂に残らず、すぐに部屋に戻って、そのままベッドに横になることも多いんです。それで、あの日の夜も、食堂にいたみんなに『おやすみなさい。お先に失礼します』と言って部屋に入って就寝したんですね。ところが夜中に目が覚めた。感覚的には深夜だったと思う。部屋の外からは、まだわいわいと声がするんですね。盛んに女性の声もするから『お、珍しく、京子さんも遅くまで宴会に参加しているんだなあ』と思った。そして、いつしか眠りに落ちた。翌朝になって、京子さんに『おはようございます。昨日は遅くまで宴会に参加していたんですね』と言ったら『いや、私はいなかったよ。夕食後すぐに部屋に戻った。でも、随分とうるさかったねえ。オヤジたち、どんだけ遅くまで飲んでいるんだよ、って部屋で思っていた』と。その話を聞いて、楠さんたちに尋ねると、前夜はだれも宴会をやっていないと。じゃあ、あの大勢の声はなんだったのか、と僕も京子さんもびっくりしたんです。僕と京子さんが一致したのは、大勢の声はとにかく楽しそうだった、ということ。最初はみんなで、兵隊さんたちの幽霊かなあと言っていた。でも、僕ははっきりと女性の声も聞いている。硫黄島守備隊は男しかいなかった。だから、僕は今、こう考えているんです。あれは、この島に眠る島民たちが『子孫がこうして島を訪れてくれてうれしいなあ』と宴会を開いて喜び合っていたのではないかと。とにかく嬉しそうな声、楽しそうな声でした。今もしっかりと耳に残っています」
不思議な話は過去にたくさん聞いた。旧日本兵の姿を見たとか、そんな話だ。しかし、硫黄島民に関連するような話は初めてだった。旧島民の会のメンバーたちと朝から晩まで一緒に行動を共にするようになった私の心はどんどん「島民さん」と呼ばれるメンバーたちと同化していった。国家が始めた戦争により故郷を奪われた島民と子孫たちへのシンパシーを強烈に抱くようになった。まだまだこの人たちと一緒にいたいという仲間意識は募る一方だった。
酒井聡平(さかい・そうへい)
北海道新聞記者。土曜・日曜は、戦争などの歴史を取材・発信する自称「旧聞記者」として活動する。1976年、北海道生まれ。2023年2月まで5年間、東京支社編集局報道センターに所属し、戦没者遺骨収集事業を所管する厚生労働省や東京五輪、皇室報道などを担当した。硫黄島には計4回渡り、このうち3回は政府派遣の硫黄島遺骨収集団のボランティアとして渡島した。取材成果はTwitter(@Iwojima2020)などでも発信している。北海道ノンフィクション集団会員。現在、北海道日高郡新ひだか町在住。著者に『硫黄島上陸 友軍ハ地下二在リ』(講談社、第11回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞)がある。最新刊は『死なないと、帰れない島』(講談社)。