「本は全部読まなくていい。拾い読みでかまわない」。そう語るのは、著書に『読書を仕事につなげる技術』がある独立研究者・著作家の山口周氏だ。そこには、読書は消費ではなく「投資行為」であるという、山口氏ならではの考えがある。一体どういうことなのか、くわしく解説していただいた。
読書は消費ではなく「投資行為」
前編記事〈【山口周】本はエッセンスの「2割」だけ読めばいい…読書の「費用対効果」を高める方法〉でお伝えしたように、全部読まなくてもいい、むしろ読書の基本は拾い読みであって、全部読むという読み方のほうが例外だ、と指摘すると、「もったいない」と反論されることがあります。せっかく買ったんだから、なんとしても読了しないとムダに思えてしまう、ということです。
これはこれでわからないわけではないのですが、筆者としては「仕事につながらない本に貴重な時間を投入しているのはもっともったいない」と反論したくなります。
そもそも、読書というのは消費ではなく「投資行為」と考えるべきです。読みかけの本を途中で捨ててしまうのをもったいないと感じるのは、読書という行為を消費と考えているからです。
確かに、お金を払って購入したアイスクリームを食べかけで捨ててしまうのはもったいないと思えます。しかし、読書というのは本来的に消費行為ではなく投資行為です。
この投資の原資になっているのは本に払った代金と自分の時間であり、リターンは知識や感動などの非経済的な報酬、あるいは仕事上の評価や昇進・昇給といった経済的な報酬ということになります。
「せっかくだから全部読もう」はコストのムダ
ここでポイントになるのは、読書を投資行為と考えた場合、もっとも大きなコストになっているのは「自分の時間」だということです。
つまり、読書というのは、自分の時間を投資して、それによって何らかの利益を回収するという投資行為にほかならない、ということです。
せっかく買った本なのだから、全部読まなければもったいない、という人は、自分の時間という希少な資源をムダにしている、筆者からすればとてももったいないことを平気でやっている人なのです。
すでに払ってしまった費用がさまざまな悪影響を意思決定に及ぼすことを、財務会計では埋没コスト=サンクコストという概念で説明します。
例えば事業Aと事業Bがあり、双方ともに追加投資をしないと事業の継続が難しいという場合、これまでに投資した金額の多寡が、追加投資の意思決定に大きな影響を及ぼすことになります。
仮にこれまで事業Aに莫大な金額を投下しており、事業Bのほうはそれほどでもないという場合、多くの人は事業Aに追加投資をしてしまいがちです。
本来であれば、事業Aと事業Bで、どちらのほうが追加投資によるリターンが見込めるかという、冷徹な分析の上に意思決定をするべきであるのに、これまでにかけてきた金額の多寡によって大きくバイアスを受けてしまうわけです。
読書の基本は「拾い読み」である
これと同じバイアスが読書においても常に働くことになります。
前編記事で述べたように、読書の基本は「拾い読み」です。読むに値する箇所が1ページしかなければ1ページを拾い読みして次の本に移る。それが300円の文庫本であろうと1万円のハードカバーであろうと差はありません。
読書という行為は、自分の時間といくばくかのお金を投資することで人生における豊かさを回収するという投資行為です。
カギになるのは、投入する時間と得られる豊かさのバランスです。これ以上時間を投入しても、追加で得られる豊かさは増えないと判断された時点で、その本と付き合うのは終わりにしましょう。