犯罪。とくに性犯罪が報道されるとき、加害者の生い立ちや生育状況について言及されることが多い。彼らが犯した卑劣な性加害そのものに憤りつつ、「いったい家族は何をしていたんだ!」「親はどんな育て方をしたんだ!」というコメントが、ネットニュースやSNSのコメント欄に溢れる。
性暴力は許してはならないし、性犯罪がない社会を作っていかねばならない。しかし、だからといって、加害当事者だけでなく、家族に対しての誹謗中傷が性犯罪抑止につながるとは考えにくい。たとえニュースで大々的に報道されなかったとしても、他の犯罪以上に性犯罪者の家族には強い嫌悪感や非難が向けられ、白眼視されやすい傾向がある。そして、彼らの苦しみは透明化され、長い間見過ごされてきた。
そんな「隠れた被害者」にスポットを当て、彼らの知られざる悲惨な実態について著書『夫が痴漢で逮捕されました-性犯罪と「加害者家族」』(朝日新書)で詳細にレポートしたのは、性加害者の治療や更生、加害者家族支援の最前線に関わる西川口榎本クリニック副院長の斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)だ。
前編・中編の記事では、世間だけでなく親族からの批判が集中する「母親・妻」について聞いた。後編では、加害者家族の中でもその存在が見えにくいというか、どこか部外者のようにも見えてしまう「父親」についてクローズアップする。
「誰にも相談できない」という究極の悩み
これまで3000人以上の性犯罪加害者の再犯防止プログラムに関わってきた斉藤氏は、その過程で加害者家族の深い苦しみにも直面した。社会に対してはひたすら詫び、反省し、存在を消すようにして生活することしか許されず、自分自身の辛さについては「誰にも話せない」と悩む加害者家族。
「平成18年5月から性犯罪者の地域トリートメントに関する取り組みを始めて、加害者家族の来院も増えました。そんなこともあり加害者家族に『何に一番悩んでいるか』アンケートを取ってみたところ、『誰にも話せないこと』という答えが最も多く上がりました。
そのためか加害者家族が求める支援として『相談できる場所・仲間がほしい』という声が大きく、私が所属する榎本クリニック(東京都豊島区)では、2007年7月に性犯罪の加害者家族への支援グループ(通称:家族会)の活動を始めました。
当初はすべての加害者家族に一斉にプログラムを受講してもらってきましたが、家族間で立場や役割が異なることが原因で、素直に自分の感情を吐き出せない人が多いことに気がつき、『母親の会』『父親の会』『妻の会』と3つの会に分けることにしたのです」
息子の加害行為にどこか共感的な父親たち
中編の記事で加害者家族のなかでも「妻」と「母」では悩みの内容が異なることは聞いてきたが、父親の会を別に立ち上げた理由は、性差による加害行為の捉え方の違いが大きいという。
「多くの場合、息子が性加害をしたと知った父親は『男は性欲がたまるものだから、ムラムラするのは仕方ないが、さすがに性犯罪は許されない』『痴漢なんかする前に、風俗にでも行けばよかったのに』など、犯罪行為自体は問題視するものの、加害行為にはどこか共感的で“男の性欲の制御は困難”という性欲原因論に根差した捉え方をする傾向があります。
一方、母親は、被害者と同じ女性であることから生理的に性犯罪を許せないという考え方をしている人が大半。しかしなかには『被害者女性にも隙(露出の多い服装をしていたなど)があった』とする母親もいました。これもある意味、性欲原因論を社会や自分の両親などから刷り込まれてきた結果かもしれません。
父親と母親・妻で、これほどまでに事件の捉え方が違っていると、グループ内で打ち解けにくくなり、お互いの体験や気持ちを共有することも難しくなってしまいます。
父親が家族会に参加する割合は、母親や妻に比べてかなり少ないのですが、『母親の会』『妻の会』『父親の会』とグループ分けすることより、徐々に『父親の会』の定着率があがり、現在では毎回10人前後の固定参加者がいます」
子どもとのエピソードが出てこない加害者の父親
「最初に加害者の父親と面談すると母親に比べて、息子の事件をどこか他人事のように捉え方をしている印象があります。
『息子は会社をクビになってしまうのだろうか』『自分の仕事に影響するのでは』『裁判や賠償にいくらかかるのだろうか』といった先々の不安を口にする一方で、母親のように『自分の育て方や家庭の在り方に問題があったのでは』と、子育てや自身のあり方について振り返る言葉はほとんど出てきません。
父親は、子どもである加害者本人の立ち直りだけでなく『親である自分も変わらなければいけない』という変化の必要性を認めることが難しい傾向があります」
このように家族会で特徴的なのは、父親と母親の語りの「質」の違いだと斉藤氏は言う。
「母親は加害者の子ども時代の思い出や成長の様子を具体的に語ることができますが、父親の場合、子どもが幼いころは仕事に追われ、子どもが起きる前に家を出て子どもが寝てから帰宅するといった生活を送っていた人が大半です。
そのためどうしても子育てへの関りが薄く、具体的なエピソードを語ることができないのです。その代わり父親の関心は『世間からどう思われるのか』や『息子は今後、仕事や学校に復帰できるのか』といった社会的な側面に向けられがちです。
そのような価値観は小さいころから『有害な男らしさ』を強制される日本社会に根付くものです。最近でこそ『男らしさ』『女らしさ』を押し付けない育て方を意識する家庭も増えてきていますが、父親世代は昔ながらの価値観で育てられてきた人たちです。
男性は仕事で成果を収め、出世してお金を稼ぎ、家族を守ってこそ一人前。男は常に強くあれ、勝ち続けなければならない。そのような男らしさを体現するために、幼いころから『男は涙を見せてはいけない』『辛いときも我慢しろ』など、弱みや痛みを否定される経験を重ねてきた男性も多いはず。その結果、その苦しみや生き辛さを解消したくて、自分よりも立場の弱い人間を差別したり、暴力で支配しようとする……、こういったものこそ性暴力の根っこにある価値観だといえます。
これまで一生懸命働くことこそが、夫・男性としての正しい生き方であり『男らしさ』で、稼ぐことで自分の家庭に貢献していると信じて疑わなかった父親たちは、いざ子どもが性犯罪に及んでしまうと『子育てはすべて妻に任せていた。ずっと仕事をしていた自分は息子の性犯罪とは関係がない』などと、母親を責めるような言い方をする父親もいます。
そういった意味では、加害者である息子も、その家族である父親も『男らしさ』に過剰反応し、ともに生き辛さを抱えている存在といえるのかもしれません」
父親は「悪口」か「無関心」のどちらか
加害者本人に対する治療プログラムを運営し、加害者家族のグループでセッションを行う斉藤氏は、加害者から見た「母親」と「父親」観も大きく異なると感じるという。
「母親については、強すぎる思い入れや過干渉への不満など、さまざまな感情が語られる一方で、父親については『悪口』か『無関心』のどちらかしか表現されません。
家庭では傍若無人なふるまいで、気に入らないことには有無を言わさず母親や自分を殴ったり怒鳴りつける暴力的な様子。家事には一切協力せず、家族を顎で使う姿。または仕事にかこつけて子ども時代には遊んでくれたり、参観日や運動会に来てくれた記憶もほとんどない。家庭内で不在でいられるという特権性をフルに活用し、休日は接待という名のゴルフに明け暮れる。
などなど『有害な父親』と『不在の父親』というふたつの型に分類されることが多く、父親自身も息子とのかかわり方が分からないという状況に陥っています。それでも家族会に参加する父親は、息子との関係を模索しようとする意欲のある人たちですが、そうはいっても息子との関係性を再構築できない方も多いです。そこには、過去の仕事中心のワーカホリックな生活があり、子育てに関われなかった・関わらなかった世代の特徴が表れています」
性加害者のプログラムでは、アルコールや薬物、ギャンブルなどと同様に「依存症」としての治療が必要なのだが、治療のために父親が積極的に参画することが当事者のターニングポイントになる場合が多々あるという。
「加害者家族の立ち直りのため、また加害者当人の治療継続のためにも、父親の変化は大きな転機となります。そういった意味でも『父親の会』へ参加する父親が増え、男性たちが自分語りを積極的にしてくれるようになって、それが父親自身の変化の必要性に気づくきっかけになることを強く願っています」