オウム信者と疑われて
今年は一連のオウム真理教事件から30年で、さまざまな媒体で回顧的な記事・番組が作られている。1995年当時、週刊新潮編集部に在籍していた私は、オカルト雑誌のムー編集部出身ということで「信者なのではないか」との疑いをもたれ、一時、現場から外されたことがあった。
それにはそこそこの理由があって、まず2月28日の仮屋さん拉致事件の直後に編集部にかかってきた事件を知らせる電話を私が受け取っていたことがある。教団内部にいたと思われる警察関係者から「目黒公証役場で大変なことが起きている。すぐに現地に駆けつけてほしい」と伝えられたのだ。
考えてみれば、犯罪を一刻も早く知らせる電話であるから、それを受けたものをオウム関係者扱いするのはおかしいのだが、教団は陽動作戦みたいなこともしていたから、出元のはっきりしない不審な情報は、そうした疑念を抱かせるに十分な理由となったのだった。のちに同様の電話は、朝日、毎日、読売各紙と文藝春秋にもかかっていたことがわかる。
その日は校了が終わった火曜日の夜で、編集部にはデスクがみんな飲みに行ってしまって、ほとんど人がいなかった。このため残っていたグラビア班に内容を伝え、また知己の前記3紙以外の新聞社記者に問い合わせたところ、「寺尾課長(警視庁捜査一課長)が大崎署に入った。何か大きなことが起きている」と、通報を感謝された。グラビア班も帰りがけに現地に寄ってくれて、「警察がたくさんいる。何かあったね」と連絡があったことを覚えている。
その後の3月にあの地下鉄サリン事件が起きて(教団の関与が疑われた国松警察庁長官狙撃事件もあった)、4月には教団の村井秀夫が刺殺されたが、村井事件の頃は週刊誌のゴールデンウィークの合併号休みで、私は旅行でバリ・ウブドにいた。このために一時連絡がつかず、これも編集部の上司らを慌てさせたようだった。また、私はムー編集部時代に、オウム真理教が目指す理想郷シャンバラの特集記事を作ったこともあったから、こうした情報も耳に届いていたのではないかと思われる。
高学歴者とエリートはなぜ新興宗教へ
オウム真理教が日本を動かしている霞ヶ関の官僚らを狙った事件のインパクトは戦後最大級で、社会は騒然となったが、ある程度、事件や教団の内実があきらかになってくると、一つの疑問が生じた。「なぜ多くの高学歴者がオウム教に入信していたのか」というものだ。しかもサリンの製造と実行犯には、高学歴者が多数含まれていた。
サリン製造の指揮をとった土谷正実は筑波大学大学院の博士課程中退、遠藤誠一は帯広畜産大学から京都大学博士課程に進んで中退、中川智正は京都府立医科大出身の医師で、サリン事件の実行犯の豊田享は東京大学大学院博士課程修了、広瀬健一は早稲田大学大学院修士課程を修了している。
サリン事件以外でも「ああ言えは上祐」と揶揄された光の輪の代表である上祐史浩は早稲田大学大学院修士課程修了だった。京都大学卒の弁護士だった文系のA(現在は出所)もいたが、理系が多く「理系エリート」の問題と捉えられた。
仏教をベースにしながらも、ユダヤの陰謀やハルマゲドンを唱え、最終的にはチベット密教にある科学と精神世界が融合したシャンバラの実現を目指す一連の教義は、オカルト界で好まれるテーマのパッチワークでしかなかった。知的な訓練を受けたものならそこに取り込まれるはずはない、と考えるのは、当然だった。そして当時指摘されたのは、1980年代からの精神世界ブームや、研究に没頭する人生を送る無菌状態の理系エリートの精神的脆弱さなどだが、それらはすっきり疑問を解き明かしてくれるものではなかった。
もっとも高学歴者やエリートたちが、誇大妄想としか見えない新興宗教を創設したり入信することは珍しくはない。特に、明治後期から大正・昭和初期には。高学歴者や社会に大きな影響を持つ華族、軍人たちが続々と入信した宗教がいくつかある。
海軍エリートがつくった新興宗教
そのひとつが「神政龍神会」という宗教団体だった。教祖の矢野祐太郎は、海軍兵学校28期。明治33年に卒業して機雷敷設艦「巌島」や防護巡洋艦「笠置」「高千穂」に乗り組み、日露戦争時は戦艦「三笠」乗員で、擲弾の破片で負傷したとされる。その後、矢野は日本の砲弾に不発が多かったことに疑問を持ち、海軍砲術練習所などを経て海軍大学校に進み、卒業後は駐在武官としてロンドンの英国大使館にも勤務した。いわば日本軍の理系(技術系)エリートである。
その妹は、明治天皇を追って殉死した「乃木将軍」こと、乃木希典の甥と結婚しているから、社会的にもある程度の信頼される地位にあったと考えてもいい。
彼は出口王仁三郎の大本教や竹内巨麿の天津教の影響を強く受け、実際に入信もしながら、昭和4年頃より独自の世界観を打ち立て、昭和9年、神政龍神会なる団体を設立した。
彼らは宮中に「魔物」が入ったと主張していた。宮中に入り込んだのは「金毛九尾」の狐で、邪悪な姫神とされた。これが宮中を混乱に陥れ、日本の危機的状況を招いていると訴えたのだ。
そして彼らは天皇の霊的な覚醒をうながすべく、実際に一冊の書物を献上した。『神示現示による宇宙剖判により神政成就に到る神界現界推移変遷の概観 日本天皇発祥、世界統理、統理放棄、統理復帰、神政復古の経緯』という長いタイトルの書物がそれで、通称『神霊密書』という。
ここに記されていたのは、『古事記』『日本書紀』をはるかにしのぐ宇宙創世の物語だった。彼は神々を分類し、この世界がどのように成り立っているかを説く一方、神武天皇は初代ではなく98代として、その前に長い系譜を置く。
そして矢野の生きる明治大正昭和初期には、日本に外国から邪神が入り込み、それに対抗する日本の神々が反撃していることが描かれる。さらには、そうした神々の上位にある神々の世界で大きな変動が起こり、それが日本で闘う神々や現世の日本に大きな影響を与えていることを主張したのである。
なぜ軍人や華族までが
これまた壮大な妄想であるが、ここに多くのエリートたちが集まった。エリート軍人や、華族、医師などがいた。多くが大学に学んだ者で、当時は大学に進む人はほんの一握りで10%前後であるから、オウム事件の平成期より、一般庶民に比べて知的水準が高い人たちの集まりだったと思われる。
その彼らがどうして矢野の世界観を信じたのか。
『天皇を覚醒させよ』では、少なくとも当時の状況下では、大衆よりはるかに情報を得られる立場にいたからこそ、その世界観を受け入れた、という見解を記した。
明治末期から、世界の諸民族は日本が起源であるとか、さまざまな習慣、風習、言語なども日本が起源であるなどの珍説が流布されていた。それらを大真面目に学者たちが唱えていた。
それらは科学的に進んだ西欧社会との接触で、日本が遅れた国と認識されていたことが背景にあるのではないかと思われる。科学で遅れる日本が精神的な優位に経つには、日本人の起源を遡って、その世界の起源に近づけることが重要だった。そのため、それに呼応した宗教は、起源に言及することになる。そしてそれを補完したのは神へと続く万世一系の天皇制だったのではないか。
進んだ外国との接触からもたらされた危機であるから、外国や異文化との接触の多い学識者や軍人、華族らこそが、それら新興宗教の荒唐無稽な世界観の信者となったのである。そして彼らの一部は、実際に皇室を変えようとする工作を始める。
むろん当時でも、そんな妄想に与しない知識人のほうが多数派だったし、科学的知見が乏しくとも合理的な判断はある程度できたであろう。しかしどの時代にも、見えざるもの、不合理なものに耽溺する一軍の人たちがいる。たぶん知的訓練というのは、一面的なものなのだろう。
『天皇を覚醒させよ』では、そうした新興宗教の流れを描いてみた。たぶん現代においても、陰謀論が渦巻いているように、ふいに荒唐無稽な教義を抱える団体が知識人の心を捉えることはあると思う。