企業アカウントとしては異例の人気を誇る、老舗書店「有隣堂」の公式YouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』。プロデューサー兼ディレクターを務めるハヤシユタカ氏は、あるとき「編集の効率化」という概念を捨てることにしたと語る。初の著書『愛される書店をつくるために僕が2000日間考え続けてきたこと キャラクターは会社を変えられるか?』も好評な同氏に、動画コンテンツをつくるうえで大切な心がまえを教えてもらった。
目的は「有隣堂のファンを増やす」こと
『有隣堂しか知らない世界』が立ち上がった頃の話。
好調なスタートを切った1本目を皮切りに、チャンネルは週1本の動画公開を続ける。
最初の目標だった「チャンネル登録者数1000人(YouTubeから広告収入が得られるようになる)」は、立ち上げから約2カ月後の8月23日。「登録者数1万人」は、約8カ月後の2021年2月24日に達成した。
ある程度は成長しているね、という実感が続く中、僕たちはYouTubeを作り続けるにあたり、いろいろな指標を明確にしていった。
ひとつは目的。
立ち上げた当初は「とにかく新しいことをしたい」とか「たくさんの人に有隣堂を知ってほしい」とか「何なら広告収入が入ると嬉しいな」とか、いろいろな理想を手広く掲げていたが、明確に「有隣堂のファンを増やす」とした。
書店は差別化が難しい店だ。どこで買っても同じ品揃えであり、サービスも変わらない。価格も同じだ。
そうした中で「どうせ買うなら、あの面白いYouTubeをやっている有隣堂にしようね」というお客さんが1人でも増えるような、そんなYouTubeを目指そう、ということになった。
指標のもうひとつが守るべき、4つの原則。これは社長が設定した。
(1) 人権侵害をしない
(2) 反社会的なことをしない
(3) 誰かを傷つけることをしない
(4) 著しく品性を欠くことをしない
逆に言えば「これさえ守れば、あとは自由にやっていいよ」というスタンスだった。
反響を呼んだ「古文訳J-POPシリーズ」
そのため、企画は本当にバラエティに富んだものになった。
文房具や書籍の紹介といった王道的なものから、閉店後の真っ暗な店内を徘徊したり、本に出てくる料理を作ったりといったものまで、いろいろな動画を制作した。
中でも強烈だったのが全7回にわたって公開された「古文訳J-POPシリーズ」だった。
当時、有隣堂の学生アルバイトだった折橋慧(おりはしけい)さんが自ら出演したいと申し出てくれた企画で、Official髭男dismの『Pretender』や、星野源さんの『恋』、山口百恵さんの『プレイバックpart2』といった誰もが知るJ-POPの歌詞を、古文に訳したらどんな内容になるのか、というものだった。
しかも動画の最後では、折橋さん自らその訳した歌詞で歌う。それもめっちゃ上手い。
ちなみに『プレイバックpart2』の歌い出し「緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ」を古文訳すると、「さみどりが中走らかしたる糸毛の車」である。
この企画でも動画に登場するミミズクをモチーフにしたキャラクター、ブッコローは素直だった。必死に理解しようと頭をフル回転し続けた結果、当初は「もう無理」と嘆いていたが、回を重ねるごとに次第に理解を深め、最後は「古文訳の世界が深くて溺れちゃうっ……」と虜になってしまった。
目的が明確に定まり、企画の幅が広がった。
一方で、うまくいかなかったこともあった。
ひとつは動画編集の効率化だ。
ブッコローと出演者には収録前の打ち合わせをほぼさせない。さらに手元の台本もスッカスカなので、ほぼフリートークとなる。お互い、思いつくままを喋るため、収録時間が膨大な長さになってしまう。そうなると大変なのが「編集」の作業だ。
どんどん膨大になっていく編集時間
『有隣堂しか知らない世界』の動画の尺は8分~10分程度にしている。
固定ファンが大勢ついた大物YouTuberには、もっと長い時間の動画を公開している人もいる。中には1時間2時間という動画で数十万、数百万再生を叩き出しているチャンネルもある。
しかし、有隣堂は企業としての歴史は100年以上あってもYouTubeの世界では新参者。チャンネルの認知をしてもらわなければならない段階で、そんな長い尺の動画を作っても見てくれない。
人々のスキマ時間で見てくれる尺は、これくらいが限度だろうし、タイパ(タイムパフォーマンス)なんて言葉が生まれて久しい現代。サムネイルの端に映る尺が「8:00」と「15:00」と「30:00」では、短い尺のものをクリックするだろうという考えからだ。
だが、それに対して収録時間は膨大な長さだった。
例えば、1本目の「キムワイプの世界」の動画の尺は8分52秒だが、収録時間は約1時間半。2本目の「ガラスペンの世界」の尺は7分36秒で、収録時間は1時間20分にも及んだ。いずれも10分の1以下の尺まで短く編集をしたことになる。
それで何が大変なの……? という方もたくさんいると思うので説明すると、まず、編集では基本的に撮った映像は全て見て確認する必要がある。つまり、収録時間が長ければ、その分見直す時間も長くなる。
その後、不必要なカットを切り取ったり、面白いと思うカットを選んでいったりする作業になるのだが、これは再生と巻き戻しを何度も何度も繰り返して決めていく。収録時間が長ければその分カットの候補がたくさんあるわけで、編集時間はどんどん膨大になる。
僕の感覚だと、収録が1時間で終われば編集時間は30時間。1時間半だと35~40時間といったところだろうか。1本の動画で、3日から4日は編集で潰れてしまうことになる。
「早く収録を終えよう」とした結果……
マズいと思ったのは、2本目の「ガラスペンの世界」の編集を終えた時。このままではいつか破綻してしまうと恐れ、効率化を進めることにした。といっても、動画編集の手は抜けないので、残された手段は収録時間を短くすることしかない。
3本目の収録はプロレス雑誌を紹介する回だった。全盛期の90年代と現在とで比べた時、特に表紙の作り方が大きく変わっていたので、収録ではそのあたりを深掘りするトークを中心にした(【全盛期、あの頃は】週プロ! ゴング! プロレス雑誌の世界~有隣堂しか知らない世界003~)。
収録前。僕はブッコローに「頼むから収録を30分で終えてくれ」と懇願した。カメラが回ってからも逐一「あと◯◯分で終わって」とプレッシャーをかけ続けた。
しかし、これは失敗だった。
結局、収録時間が40分近くになってしまったこともそうだが、それ以上に「早く収録を終えること」が動画の最大の目的になってしまったからだ。
この回ではまだまだ、ブッコローは聞きたいことがあったと思うし、突っ込みたいところやボケたいところもあったと思う。でも言葉を飲み込んでしまったようだった。
編集していても「面白いカット」があまりなく、動画の尺は普段より短い5分25秒。再生回数も伸びず、2025年5月の時点で18万回、これはひとつ前の「ガラスペンの世界」が120万回、ひとつ後の「新作文房具の世界」が34万回であることを考えると、プロレスというネタがニッチ過ぎることを加味しても、著しく低い。
やはり素人であるブッコローやゲストの「素直さ」を出すためには、長回しの収録しかないと思う。思えば1本目の「キムワイプの世界」の「(登場した商品が)有隣堂で売ってない」発言も、2本目の「ガラスペンの世界」でブッコローから飛び出した「Amazonで買った方が安くない?」発言も、収録の終盤で飛び出した。
気が済むまでトークをさせ、その長い時間の中でふと出る、素直な反応や言葉を編集で抽出する。「素直さ」が根幹の『有隣堂しか知らない世界』では、編集の効率化という概念は捨て去ることが正解なのだと、この時に悟った。
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ハヤシさんが「有隣堂しか知らない世界」チャンネルを運営する中で、ほかにも失敗したことがあるという。くわしくは後編記事〈人気YouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』のプロデューサーが気づいた「チャンネル登録者数を増やす」のに一番大事なこと〉でお伝えする。