「書くこと」の瞬発力を鍛えるために、X(旧Twitter)は非常に有効であるといいます。どのように使えばよいかをこの記事では解説します。
37年間、書くことで生きてきたーー批評家の佐々木敦さんが、「書ける自分」になるための理論と実践を説き明かす話題の新刊『「書くこと」の哲学 ことばの再履修』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋、編集したものです。
書くことの練習場としてのX
ことばの反射神経という意味で私が強く推奨したいのは、旧Twitter、現Xです。
私は2010年の7月からTwitterを始めました。ソーシャルネットワーキングサービス=インターネット上のコミュニケーションツールの一種であるわけですが、私はフォローをゼロにしていて(それにも理由がありますが、ここでは触れません)、他人のアカウントや自分のフォロワーとやりとりをすることも、あまり多くはありません。
端的に言って私はXをコミュニケーションのためには使っていない。では何のためかというと、マイクロブログとして使用しているのです。それが全部ということではありませんが、マイクロレビューと言ってもいい。
Xは(プレミアムアカウントを取得していないなら)ひとつのポストの文字数の上限は140字です。Twitterはもともとアメリカ発ですが英語で140字(半角で280字)はかなり少ない、まさに「呟き」です(Xになってこの意味は消えてしまいましたが)。しかし日本語だと140字はまあまあの文字量です。この言語的な条件が日本でTwitterが流行した理由のひとつだと思います。日本語だとXのポストひとつで、それなりに何ごとかを言えてしまう(ことがありえる)のです。もちろんいわゆる連ツイ(連続ツイート、今は連ポスでしょうか?)だって出来る。
私はTwitterを始めた当初から、日々の「呟き」以外に、かなり意識して、いわば超短評の実験/実践の場として、Twitter/Xを使ってきました。先ほども書いたように、試写会の帰りに、あるいは演劇やダンスを観た後すぐに、電車の中やひとりで酒を吞んだり食事を摂りながら、私はいそいそとスマホを取り出してXを立ち上げ、さっき観たばかりの作品について、140字でレビューを書いてみる。書きたいことが多い場合は何回かのポストに分けますが、肝心なことは、ひとつのポストを、できるだけ140字ぴったりにするということです。
文字数を使い切ること、と言ってもたった140字ですが、それでも、たかが140字、されど140字です。連ポスするとしても、一個のポストは、それだけでちゃんと文章として完結しているように書く。
つまりこれは、何かしらのメディアに140字(というのは現実にはまずありえないと思いますが)のマイクロレビューを書くのと同じことです。もちろんお金になるわけではないし、ただ好きで勝手に感想を書いているだけなのですが、しかし意識の構えとしては、あくまでも「商品としてのレビュー」を書いているようなつもりで書いている。文字数内に収めること、それもギリギリまで使って上手に収めることも、レビュアー/ライターに要請されるテクニックのひとつです。
しかも、Xのポストにはすぐにリアクションが付きます。リポストやリプライ、ライク、インプレッションなどは数値化されて表示されます。これは紙媒体というアナログでスローなメディアでは得られない反応です(それが常に好ましいわけではありませんが)。気になる固有名詞を検索していてポストを発見し読んでくれるユーザーもいる。大袈裟に言うならそれは未知の読者を得るということです。まあ実際には、いわゆる「炎上」を惹き起こしてしまうこともあるわけですが。スポーティでヴィヴィッドな反射神経と悪しき脊髄反射は紙一重ではあります。
ともあれ私としては、ことばの反射神経の訓練場として、Xはかなり適しているのではないかと思っています。
Twitterが日本で最高潮に盛り上がっていた頃には、ツイートをまとめた本が数多く出版されていました(代表的な作品として千葉雅也『別のしかたで:ツイッター哲学』があります)。最近はひと頃より減ってしまいましたが(短歌などは増えているようですが)、呟き、日記、日誌、創作のみならず、私がおすすめしたいのは、Xのレビューです。
それも、あまり時間を掛けないこと。推敲よりは即応を、完成度よりは鮮度を重視して、遭遇を言葉にしてみてください。あまり出来が良くないと思ったとしても気にすることはありません。すぐにタイムラインから流れ去ってしまいますから。
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本記事の抜粋元、『「書くこと」の哲学 ことばの再履修』(講談社現代新書)は、読み終えると、なぜか「書ける自分」に変わっている!ーーそんな不思議な即効性のある、常識破りな本です。ぜひ、お手に取ってみてください。
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書くことは考えることーー
あなたはなぜ「書けない」のか?