大谷翔平との収入差がありすぎる
将棋の8タイトル戦のひとつの「棋聖戦」(主催・産経新聞社)は、日本将棋連盟との契約金の規模からこれまで序列8位だった。
しかし産経新聞社と特別協賛のヒューリック(不動産会社)は4月22日、優勝賞金を4000万円に増額すると発表した。最高棋戦である竜王戦(主催・読売新聞社)の優勝賞金の4400万円に次ぐ高額だ。これによって棋聖戦は序列6位となった。
ヒューリック杯第96期棋聖戦五番勝負は6月3日に開幕。藤井聡太棋聖(22歳=竜王・名人・王位・王座・棋王・王将を含めて七冠)に杉本和陽六段(33歳)が初挑戦している。
第2局(6月18日)が終わった時点で藤井棋聖が2連勝し、棋聖戦6連覇に向けて王手をかけている。なお棋聖を獲得すると、前記の4000万円の優勝賞金のほかに、ヒューリックから特別賞として1000万円が贈られ、実際の獲得額は5000万円となる。
棋聖戦を特別協賛するヒューリックの西浦三郎会長は熱心な将棋愛好家。「今の明るい話題は、大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手と、将棋棋士の藤井聡太七冠だが、2人は収入面で差がありすぎる。将棋界の発展のため、次の若い世代を育てるために、賞金増額を考えた」と、4月22日の記者会見で語った。
2023年10月、藤井は王座のタイトルを獲得して「八冠制覇」の偉業を達成した。将棋連盟は翌年に2023年の獲得賞金・対局料ランキングを発表。1位はもちろん藤井で、約1億8600万円を獲得した。これは羽生善治九段(54歳)が1995年に獲得した約1億6600万円を超えて最高額となった。
しかし、藤井が8タイトルをすべて獲得しても、総額が2億円に達しない現状について、「偉大な実績のわりに多くない」と思った方はいるだろう。
タイトル戦の優勝賞金は、新聞社などの主催者が将棋連盟に支払う契約金の中から所定の比率で決まる。ただ新聞社の業界は発行部数の低下や広告料の減収によって、経営が厳しい状況が続いている。各社の連盟との棋戦契約金は、10年以上前から頭打ちになっているようだ。
今後は、ヒューリックのような特別協賛金の増額によって、優勝賞金の水準が上がっていくことに期待したい。
なお、藤井が得たCM出演料、解説料、原稿料、指導料などの副収入は、前記の金額に含まれていない。総収入はかなり多いと推察される。
スポーツ選手との収入格差
上記の写真は、2018年1月中旬に開催された羽生竜王の就位式での記者会見。羽生はタイトル獲得が大台にあと1期と迫る99期となり、棋士として国民栄誉賞を初めて授与された。
記者会見の場に、2016年12月の棋士デビュー戦から大活躍していた藤井四段(当時15歳)も同席した。2018年2月中旬には朝日杯将棋オープン戦の準決勝で、羽生と藤井の初対局が決まっていた。
羽生が「こんなに早く実現するとは思っていませんでした。少し驚いています」と語ると、藤井は「私が将棋を始める前から第一線で活躍している羽生先生との対局を楽しみにしています」と語った。藤井はその羽生戦と決勝の対局に勝ち、朝日杯で初優勝した。
あれから7年たった現在。藤井は七冠のタイトルを保持し、羽生はタイトル獲得100期を目前に足踏みしたままだ。
アメリカの経済誌『フォーブス』が発表した世界のアスリート番付(2024年5月から1年間)によると、大谷翔平の獲得額(給与、賞金、スポンサー収入など)は、9位の約150億円だという。ちなみに1位はクリスティアーノ・ロナウド(サッカー選手)の約402億円。
野球、サッカー、テニス、バスケット、アメフトなど世界のプロスポーツでは、テレビ局やインターネット番組からの放送権料、世界的な企業からの宣伝広告費、何万人もの観客の入場料など、巨額の収入を得るビジネスモデルが確立している。それがトップ選手たちの超高収入を支えている。
将棋連盟もNHKやABEMAからの放送権料、企業からの協賛金を得ているが、世界のプロスポーツとは金額面ではるかに及ばない。国立競技場、東京ドームなどでのサッカーやプロ野球の試合には数万人の観客が集まるが、将棋の公開対局や大盤解説会のイベントで入場者は数百人ほどである。また連盟は公益社団法人なので、賞金を大盤振る舞いして赤字決算にするわけにいかない。
自転車操業を脱して
そんなわけで現在のタイトル戦の賞金は、「身の丈」に合ったものといえる。
私が賞金をテーマにウェブ記事を以前に書いたところ、「八冠を取って2億円以下とは少なすぎる」「八冠なら最低でも5億円」「日本でプロ野球選手の収入は突出しているが、ほかのスポーツはそれほど高くない」「地味な将棋界なのに賞金額はけっこう多い」など、いろいろな見方のコメントが寄せられた。
プロスポーツの選手はたいがい30代で引退する。将棋棋士の現役年数は長く、公式戦の成績がよほど悪くない限り、およそ60代前半まで現役を続けられる。
私は1972(昭和47)年に21歳で四段に昇段して棋士になり、2016(平成28)年に66歳で引退するまで、45年間も現役棋士を続けられた。目立った実績はなかったが、「細く長い」現役生活に満足している。ちなみに、順位戦でトップのA級に昇級した92年に獲得した1323万円(20位)が最高額だった。
1960年代から70年代にかけて、当時の多くの棋士の収入は全般的に少なかった。タイトルをほぼ独占していた大山康晴十五世名人は、将棋連盟の大番頭だった丸田祐三九段に経理面で相談され、自分の賞金を減らしてその分を棋士たちに振り分けることに同意したという。
また、丸田九段は棋士の対局料の一部を積み立て、それを運営費に充てる方策を立てた。いわば自転車操業の状態が続いていた。
連盟の運営は、このように以前は苦しかった。しかし、1976年に名人戦(当時の主催・毎日新聞社)の契約金が大幅に増額し、1987年に大型棋戦の竜王戦が創設されたことで、ようやく安定する状態になった。
私のような70代の棋士から見ると、現代はとても好況である。「藤井人気」も後押ししているが、それがいつまで続くとは限らない。
将棋連盟は2024年9月8日に創立100周年を迎えたが、これからの10年間が大事だ。今年6月6日の連盟総会では清水市代女流七段(56歳)が女性として会長に初めて就任した。清水は「将棋連盟が私を選んだことが挑戦。全力を尽くしたい」と語った。その姿勢で運営に尽力してほしい。
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