タトゥーを入れた看護師は採用されない
看護師とタトゥーは、相性が非常に悪い。
タトゥーを入れた看護師を採用しない病院は多いからだ。言うまでもないが、看護師のタトゥーはその見た目から、患者に悪い印象を与え、病院の信用低下に繋がりかねないからである。
病院どころか、看護師を目指すための看護学校にすら入れない可能性もある。実際、〈タトゥー(入れ墨)がある者は入学資格・在学資格を取り消す場合があります〉と表明しているところは散見する。
しかし、看護師が身体に入れた刺青が、思いがけず患者を救うこともあるようだ。もちろんファッション感覚や、若気の至りでいれたただの刺青ではそんな奇跡は起こりづらいだろう。その看護師の刺青を入れた背景、人生そのものが患者の暗く閉ざされた心を揺さぶったのである。
6000人以上の患者とその家族に出会い、2700人以上の最期に立ち会った看取りの医者・平野国美氏が、女性患者が自死を切望する難しい現場で出会った、タトゥーを入れた女性看護師についてリポートする。
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事の起こりは10年以上前になる。私がつくば市で訪問診療を行うかたわら、看護学校で講師をしていた頃だ。授業終わりに「何か質問はありますか?」と生徒たちに呼びかけると、タートルネックを着た40歳の女子生徒、真島さんが手をあげた。
「患者さんの中には、病気によって起きる辛い症状が原因で、死を願っている方もいますよね? それに限らず、精神的に死にたいほど追い込まれる状況って、生きているとあると思うんです。先生は看取りをする医師として、そういう方たちの自殺について、どう思われますか?」
非常に難しい質問だった。明確な答えがあればいいのだが、私は持ち合わせていなかった。
「自死」は認めたくない
しかし、人生を終わらせるための手段として「自死」を認めるかと問われれば、私は心情的に首を縦に振ることが出来ない。だから、真島さんには、
「私もよくわかりません。できれば避けたいことです。なぜなら残されたご家族や我々が、その後、生きている間に悩んでしまうからです。それに、悲しみに暮れた周囲の人たちまで、自殺を選択する可能性まで出てきますから……」
と答えた。私自身も、身内が自殺未遂を起こしたことがある。残される家族の気持ちも理解できる。だから私は、自分の命が自分のものであるならば、自分の「死」だって自分のものでなくてはならないのではないか、と考える一方で、本人の死が残された身内にとっての「死」であることも、否定したくないわけだ。
授業が終わると、真島さんが教壇までやってきた。
「不躾な質問ですが、先生も近しい関係の方で、そういった経験をされたのですか?」
「先生も」と言われて、彼女も同じような経験をしているのかな……と感じた。真島さんもまた40歳で看護師を目指すのである。社会人を経験したあとに看護師を目指して入学する生徒というのは、何かを背負って目指していることが多い。夫が突然死した女性、幼い子供をがんで失った女性……。珍しい話ではない。
私は頷いてみせて、
「ぜひいつか、どこかの患者さんの家で会いましょう。在宅医療って学びの多い現場なんです。病気以外にも色々と考えるもの、考えさせられるものが多いんですよ」
と伝えて、その日の授業を終えた。そのときはまだ彼女のタートルネックの下に、彫られたばかりの刺青が隠されていることを知らなかった。
「死にたい」と訴える患者を前に
それから8年後――。ここから本題にはいる。
私は自殺を仄めかす患者の対応に追われていた。真夏の深夜、江口明子さん(仮名・72歳)からクリニックに「死にたい」と連絡が入り、明子さんが独居する一軒家で説得をしていたのである。彼女は二人三脚で人生を歩んできた夫が亡くなって以来、身体を壊し、うつ症状がでていた。
薬剤を使い、鎮静をかけながら話を聞いてみたが、埒があかなかった。口下手な私では彼女をうまく諭せなかった。真夏の湿気が首筋にまとわりつくなか、時間だけがただただ過ぎていった。
どうにもできず、最終手段として警察を呼ぼうか迷っていたとき、玄関のチャイムが鳴った。
「訪問看護の真島です」
声をかけながら入室したのは、看護学校で自殺について私に質問をしてきた彼女だった。40歳で看護学校に入学後、43歳で看護師資格を所得していたのだ。彼女は48歳になり、実務経験は浅いながらも、ベテランの風格が漂っていた。
患者が頼りたくなるのもわかる。明子さんは、私に助けを求める一方で、真島さんにも連絡をいれていたらしい。
「明子さん、ごめんなさい。急ぎましたが、到着に時間がかかってしまいました」
「真島さん……。私は死にたいです。もう生きる意味もありません。終わりにさせてください。睡眠薬もたっぷり用意しましたから」
現在、医師が処方する睡眠薬はよくできていて、大量に飲んだところで死ぬことはない。少しだけ安心しながら、真島さんに明子さんのベッドサイドを譲った。
結論からいえば、真島さんは明子さんの説得に成功し、以来、明子さんが「死にたい」と言い出すことは無くなったのだが、真島さんは、真島さん以外には真似出来ない方法で、明子さんの心の向きを変えたのである――。
『懲戒処分も覚悟し、女性看護師が身体に入れたタトゥーが、「死にたい」と訴える夫を女性患者が救った日のこと』につづきます。