「戦争を体験した人の言葉を聞いたことがなかったので、来られて良かったです」
これは2025年6月4日、ジュンク堂書店池袋本店で開催された『わたくし96歳#戦争反対』著者の森田富美子さんと京子さんのトークイベントで16歳の男子高校生が語った言葉だ。
2025年は戦後80年。「戦争を体験した人と会ったことのない人」は当然増えていく。
森田富美子さんは16歳のとき長崎で被爆し、両親と3人の弟をなくした。しかし75年もの間、その記憶は封印し、誰にも語れずにいた。90歳でTwitter(現在のX)のアカウント「わたくし90歳」を開設し、91歳の8月、当時の首相が広島と長崎の原爆記念式典でほとんど同じスピーチをしたことをきっかけに、率直な体験を投稿した。それが、長女の京子さんも初めて聞いた母の戦争体験だったという。
ふたりの共著『わたくし96歳#戦争反対』は、16歳の時の体験のみならず、平和だった時代から戦争に色濃く染まっていく様子、フェイクニュースが飛び交っていた時代も描かれる。と同時に、そのつらい記憶を抱えながらも、楽しく生きることを諦めないパワフルでユーモアにあふれた生き方が綴られる。
2020年のとき、久々に実家に帰って母の異変を感じ、認知症だとわかったにしおかすみこさんは、認知症の母、ダウン症の姉、酔っ払いの父と同居する。その様子を2021年より連載、現在『ポンコツ一家』『ポンコツ一家2年目』という書籍も刊行されている。にしおかさんの母は2025年6月時点で84歳、戦争のときはまだ幼かった。
そんなにしおかさんが『わたくし96歳#戦争反対』を読み、著者ふたりにインタビューをした。インタビュー記事も後日紹介するが、にしおかさんによる執筆原稿をお届けする。
実家に戻ってもう5年
実家に戻り、もう5年が経つ。その間、現在進行形で、「母が認知症で、姉がダウン症で、父が酔っ払いで、私が一発屋のポンコツ一家です」とweb連載や書籍やメディア等で家族紹介をさせていただき、日々の暮らしを語ったりしている。
最近、このセリフが口から滑らかに出てくることがある。たどたどしいよりは良い。でも、家族の話を切り売りして、どうなんだろう。尊厳があるのに。いけしゃあしゃあと。私は面の皮が厚いなあとバカみたいに凹み、すぐ立ち直る。
毎日の生活も、どこを切り取るのか迷う。家族の《尊厳》と《きれいごとではない》の間で揺れることが、ここ1~2年だろうか、少しずつ増えている。
例えば、今朝の出来事。居間で私は床にあぐらをかき、「ママ、はい、やるよ。ちょっとだけ急いで。もう仕事行かなきゃいけないから」と母を急かす。
すると「やだねぇ。何でこんな目に合わなけゃいけない?」とため息をつきながら、私の顔の前で、後ろ向きになりパンツをふくらはぎまで下ろし、近くの壁に両手をつき、中腰でお尻を現わに突き出す。
その割れ目と股一帯がかぶれているのだ。1週間ほど前に一緒に病院に行き、塗り薬を処方してもらった。自分ではしっかり患部に塗布できない。それに薬の存在を忘れてしまったりもある。だから私は薄手のゴム手袋をしながら、「そのセリフ。ママが思う、100倍、私のほうが思ってるからね。ずっとお風呂入らないからじゃない?不衛生にしてるからだよ」などと、ここのところ毎日、同じような会話をしている。
いざ、対峙。
母が「あ~やだやだ。はい!いいかい? 四の五の言わない! 観念して、覚悟を決めなさい!」……それ誰に言ってるの? 自分? 私?
いざ対峙。赤く、ただれているように見える箇所もある。少しずつ良くなっている気もするが、どうだろう。
私は濡らしたキッチンペーパーで、可能な範囲で、その部分を綺麗にしてから薬を塗っていく。限りなくそっとやっているつもりだが、ババアが始終、壁につむじをつけるようにして下を向き、「ツー―、チー―」と歯の隙間から音を出す。
「痛い? 痛かったら言って」と私は声をかける。
すると、「痛いところを治そうとぉぉ、あんたはそこをめがけて塗っているのにぃぃ、痛いと言ったら何かが変わるのですかぁぁ?」
正論の語尾が痛いと言っている。
もう。年寄りの、皮が弛んだお尻をペチリと叩きたくなる。
「大丈夫? くらいは言うよ」と返すと、
「ふざけないでぇぇ。わぁぁ~、すみぃぃ、ツー―。塗り広げると痛いから、指の腹でトントンと置いていく感じで、すばやくお願いします」。
おお。元看護師。まだ、そんな指示が出せるんだね。それなのに自分では上手く塗れないんだなあ。認知症のせいか、老いの範囲なのか。
痩せた尻と、皮が余って縦長の段々畑のような両太ももに、寂しさと、愛おしさを感じる。……5年も実家にいたら、私はこんなふうに思うんだなあ。
「はい、いいよ。終わり」と言ったら、
「ハァ~。やれやれ」と母はゆっくり体を起こし、パンツに手をかけながら、こちらを向き、目は私を通り越し、つけっぱなしのテレビを見やる。そして「ねえ、これ、毎日言ってる。トランプ関税で、世界は、日本はこの先どうなっちゃうんだろう」。
知るか。いいから、パンツを穿け。私は手袋を外しゴミ箱に捨てる。これから、どんどん下半身の、ひいては排泄の問題が出てくるだろう?私はどうなっちゃうんだろう。自分ファーストでいられるだろうか。
そして母の《尊厳》と《きれいごとではない》の間で、揺れる。
さて、気持ちを切り替え「いってきます」と玄関を出る。母が、若干、虐待にあったような被害者面をにじませながら見送ってくれる。
これからお会いする母娘のことを考える
電車の中で、今日の仕事のことを考え始める。これから都内で、森田富美子さんと、その娘の京子さんという方々にお会いする。私を含めた3人の鼎談だ。とても楽しみだ。でもこう思うまで、まあまあ時間がかかった。始めは気が重かったのだ。何故って? 少し順を追って説明させて欲しい。
最初に仕事をいただいたとき、この、おふたり誰なんだろう?と思った。往年の俳優さんと二世の方か?……知らないなあ。確認すると、普通のおばあちゃんと、中年の娘さんだ。共著で書籍を出されるという。タイトルが『わたくし96歳#戦争反対』。
なるほど。96歳が富美子さんで、戦争体験の話だろう。……私がお受けするには荷が重い。なにせこっちは一発屋のポンコツだ。テーマが難しいよ。どの口がおいそれと感想を述べる? 申し訳ない。それに共通点も何もない。
ただ、仕事は欲しい。できるだけ何でもチャレンジしてみたいのと、少しでも生活費の足しにしたいの両方で、引き受けることにした。我欲が強い。
このおばあちゃん、普通じゃない!
さっそく読む。ページをめくりながら思う。やはり被爆体験だ。長崎ご出身の富美子さん。爆心地から少し離れていたご自身は助かった。近かった両親ときょうだいを失った。焼野原でたくさんの死にそうな人、死んだ人を見る。いっきに私の気持ちがズンと沈む。戦争を感じ、考えるのは大事なことだ。わかってはいるが、あまりリアルに想像したくない。怖い。本を閉じたい。それなのに、やけに文中の表現に臨場感があり、本から16歳の富美子さんの息遣いが聞こえてくるようで、見捨てられず、読み進める手が止まらない。
その後、富美子さんは戦後の混乱に翻弄されながらも結婚、出産、働きながら子育てに奮闘し、時々大きく身体を壊しながら、78歳で家出し、都内で暮らしている京子さんのところに住みつき、90代でiPadを使いこなし、Twitter(今のX)を始め、今やフォロワー数が約8万5千人。……途中からおかしい。先程とは全然違う感情で、読み進める手が止まらない。結局、いっきに読破。そしてやっと気づく。このおばあちゃん、普通じゃない。計り知れない悲しみや辛さを経験しているのに、常にポジティブでアクティブだ。どうしてそんなふうに生きられるのだろう。お会いして声を聞いてみたい。そのエネルギーを感じてみたい。
娘もタダものじゃない!
そして娘の京子さんも大いに気になる。この臨場感溢れる文章を書いた方だ。職業はヘアメイクさん。どちらかというと《描く》仕事の方でしょう?《書く》もできるなんて、やっぱりこの方も普通じゃない。
しかも、富美子さんの戦争反対を世に届けたいという想いを汲んでの執筆らしい。そのときの様子も文中に出てくる。京子さんは何度もしつこく聞き取りをする。そうなると、富美子さんは思い出すにはあまりに苦しいことと向き合わなければならないので、時には声を荒らげる。その気持ちのジレンマにも京子さんは寄り添う。
凄い。私が娘なら、「こっちだってキツイんだからね!自分のことでしょ!八つ当たりしないでよ!」と声を荒らげ、後悔し凹むかな。いや、そもそも手伝わない。
母から聞いた戦争の話
だって……。
私の母も極々たまに戦争の話をすることがある。といっても、現在84歳なので、終戦のときは5歳だ。誰かが亡くなったということではない。「B29空襲警報発令!ってさ」という語り出しから防空壕に入る話が主だ。
それでも私は小さい頃から聞き流してきた。だって怖い。じゃあ、大人になって実家に戻り50歳になった今、それを聞くか? 否だ。だって怖い。それに、言い訳だが、母姉父を見守る生活の中でそんなネガティブな話は嫌だ。気が滅入る。そうやって母の話に「うん。うん」とあいづちは打っても、ただの一度もこの話に向き合ってはこなかった。
だから? どうなんだろう? 人は人、ウチはウチか?そんな気もする。そうか?それだけか?
何故か、今朝玄関で見送ってくれた母が浮かんで、頭の整理整頓のじゃまをする。ちょっと、どいてくれ。……どかないババア。
おそらく……親の心の奥底を、記憶を、親が生きているうちに、京子さんは自分の身体にしまえていいな、うらやましいなと思ったんだ。
近いけど、ちょっとずつ確実に離れていっている私の母。まだ間に合うだろうか。戦争の記憶も、とにかく喋ってくれているうちに、何でも全部、できるだけ私の身体にしまいたい。それがいっぱいできるのは実家に戻った特権だろう?
わかっている。そんな《きれいごとではない》。でも、今、この瞬間はそんな気持ちになれたんだ。この本を読んで良かった。そう思ったんだ。
頭の中の母よ。どいてくれ。本番だ。おふたりにお会いして、仲良く暮らす、後悔しない秘訣を聞いてくるよ。
◇ではそのスーパー母娘と実際会ってみてどうだったのだろうか。後編「にしおかすみこ84歳の認知症の母との同居の悩みを「わたくし96歳」親子に聞く」にて具体的にお伝えする。