現在96歳になる森田富美子さんは、X(旧Twtter)に「わたくし96歳」というアカウントを持ち、なんとフォロワーは8.5万。そんな富美子さんが SNSの投稿を始めたのは、なんと90歳から。投稿次第した当初は家族や顔見知り程度だったフォロワー数が大きく変化したのは、今から5年前、91歳の夏のことだった。当時の首相が広島の原爆追悼式典と長崎の原爆追悼式典でほぼ同じ内容のスピーチをしたことに怒りを感じ、「言いたいことを言わせていただく」と約75年間封印していた長崎での被爆体験を語ることを決意した。
富美子さんがアップした戦争体験は壮絶で、さらに政治に関する意見もなかなか切れ味が鋭い。そして、日々の生活も90代とは思えないほどアグレッシブで「読んでいるだけでエンパワメントされる」と話題を集め、瞬く間にフォロワー数が増えていき、富美子さんはインフルエンサーになっていった。
そんな富美子さんの戦前から現在までの人生を綴った書籍『わたくし96歳#戦争反対』が6月4日に発売になった。この本は、富美子さんの視点と長女である森田京子さんの視点でハハのことを書いた共著だ。
発売日の6月4日には、ジュンク堂書店池袋本店にて、「96歳トークショー&サイン会開催」が開催された。富美子さんと京子さんにとって初めての書籍で、初めてのトークショーとサイン会。年齢96歳のサイン会! これはなかなかない。果たして無事に当日を迎えることはできるのか、人生初のトークショーとサイン会は一体どうなるのか? 担当編集が当日の裏話なども交えてお伝えする。
本を作って、直接フォロワーに方に会いたい
「本を完成して、直接フォロワーの方々にお会いするのが楽しみなんです」
書籍の制作中、富美子さんは何度もこの言葉をつぶやいた。
少しぶっちゃけたお話をすると、富美子さんの96歳という年齢を考えると「トークショーやサイン会は難しいかも」と最初は思っていた。
ところが、原稿が完成し、校了作業が始まると、京子さんから「ハハがフォロワーさんにお会いしたいって言っていて、サイン会とかできませんか? ハハは自力でも書店さんを巡るとか言っています(笑)」と話があった。
富美子さんにその真意を聞いてみると「私は、いつも私の投稿を読んでくれて、フォローしてくれるフォロワーさんたちにどうしても会いたいです」と言う。自分の意見はハッキリ言う富美子さんだが、この言葉にはいつも以上に揺るぎない強い意思を感じた。
この富美子さんの想いには答えねばならないし、私たちも答えたい。そんなことから、書籍制作終盤には、トークショーとサイン会は必須事項として進んでいった。
初記者会見&サイン会でも「緊張しない」
そして、6月4日書籍の発売日を迎えた。
「当日、フォロワーのみなさんは来てくださるかな」と話していた富美子さんだったが、心配ご無用、ジュンク堂書店池袋本店の9階イベントスペースの会場は大入り満員。たくさんのフォロワーの方やファンの方が集まり、富美子さんも京子さんも終始笑顔だった。
イベント開始前には、なんと複数のメディアを入れての記者会見も行った。私たちは富美子さんの体力を心配したが、本人はいつも通りのマイペース。
それでも富美子さんも京子さんもいわゆる一般人で、タレントさんでもなければ作家さんでもない。たくさんの人に囲まれての記者会見やイベントも初体験だ。思わず、「緊張している?」と聞いても富美子さんは首を横に振って、「そういう感覚がないんですよね、緊張っていうのはしたことがないです、ねぇ~」と京子さんに同意を求めると、「そうなんです。緊張しないですね~」と京子さん。親子してあっけらかんとして、サイン本につけるメッセージを作っている。やはりこの富美子&京子は最強コンビなのだ。
最強コンビだが、「流れだけ軽く打ち合わせはしましょう」と、司会担当のFRaUweb編集長が流れを示した台本を事前に渡していたのだが、京子さん曰く「ここに来るまでのタクシーの中で台本をハハに読んだのですが、『今日は言いたいことを言うから大丈夫』と言ってハハはまったく把握していません(笑)」とのこと……。
富美子さんは自分のスマホのメモに、記者会見とトークショーで言いたいことをメモ書きしてきたという。やはり富美子さんにとって今日のイベントへの想いは大きいようだ。
新しい補聴器で挑むはずが……
やる気満々、でも、ちょっとしたハプニングもあった。それは、富美子さんと事前打ち合わせしているときに発覚した。こちらが話していても、あっちをみている富美子さん。あれ? みんなで顔を見合わせた。すぐに京子さんが富美子さんの耳を触り、「あ、片側の耳の補聴器がない!」……!!
実は富美子さん、このイベントに合わせて、今まで使っていた補聴器よりも聴こえがいいものを新調したばかりだったのだ。「記者会見で記者さんたちの質問や意見、フォロワーさんたちの声をしっかり聴きとりたい」……そんな思いで新調した補聴器。どうも家に置いてきてしまったらしい。急に「せっかく……」と落ち込む富美子さんに、「こういうハプニングがあるとより忘れられない思い出になるんだから。このエピソードも話してしまいましょう!」と明るく編集長が声をかけて、富美子さんは笑顔を取り戻した。
こんなハプニングはあったが、実際にトークイベントが始まってみると、驚くことが多かった。いつもよりも率先して自分の戦争体験を話し始めたのだ。富美子さんにとって、1945年8月9日の長崎の原爆の想い出は、あまりに壮絶で話そうとしても固まってしまうことが何度もあった。それは書籍を作っているとき、京子さんが聞き取りをする際も何度も起こり、書籍が完成し、メディア取材を受けている最中にも起こることもあった。なので、トークイベントの台本では、8月9日の部分は書籍から抜粋した部分を編集長が読み上げるという形を取ろうと考えていた。
ところが、富美子さんは、8月9日当日の朝の出来事からご両親や弟さんの亡骸と遭遇したときの状況まで細かく話し始めたのだ。制作の場面でも富美子さんがここまでしっかりと様々なことを一気に話すことはなかったので、これこそ富美子さんのトークショーを行いたいという熱き思い、会場に来てくださった方々に「かたりべ」として伝えねばという強い意思があったからに違いない。
「そうか、富美子さんは本当に、『言いたいことを言わせていただく』という決意を持ってこのイベントに挑んだのだと感じた。そして、富美子さんの8月9日の体験は会場の多くの方たちの心も捉え、会場では涙をぬぐう方も少なくなかった。
一人ひとりに「お会いしたかった!」
たっぷりと富美子さんが話したトークショーは、あっという間に終了時間を迎え、サイン会にうつった。
富美子さんは「富美子 96」、京子さんのサインは直筆で書いておき、サイン会用にオリジナルスタンプを作った。スタンプは、富美子さんがXのアイコンでも使用している自由の女神の前で撮った写真をモチーフにしたもの。書籍の中で、イラストレーターのカトウミナエさんにそのアイコンをイラスト化していただいたものをスタンプにしたものだった。富美子さんは、サイン会でそのスタンプを押し、京子さんはお名前を書き入れるという形で始まった。
知っているフォロワーさんやお友だちも来られていて、富美子さんも「あぁ、お会いしたかったです! いつもありがとうございます!」と終始笑顔だった。
サイン会に来られた方にお話を伺ってみると、「親が長崎出身で被爆しています」という方や「長崎ではなく広島なんですが、親族を亡くしていて」という方、「祖父や祖母から戦争体験について聞いていて、富美子さんのお話を読んで、もっと聞いておかねばと感じました」という方も多く、それぞれの想いを持って参加されていた。そして、富美子さんがポストするとき常に掲げる「#戦争反対」「#核兵器廃絶」「#核兵器禁止条約」「#メディアの仕事は権力の監視」といった言葉に共感している方が集まっていた。
記者会見からサイン会終了まで約3時間。約60名の方にスタンプを押し、握手やハグ、記念撮影をした富美子さんだったが、さすがに少しお疲れなのは……と思っていたが、解散後の23時過ぎにこんなメールが京子さんから届いた。
今日は本当にありがとうございました。
タクシーの中では少々お疲れ気味に見えたハハでしたが、家に着くやいなや見事に復活しています。右耳の補聴器は、恨めしそうに充電器のうえで相方(左耳)を待っていました。
さすがの「わたくし96歳」である。
『わたくし96歳#戦争反対』では、1945年8月9日のことはもちろん、それ以外に富美子さんと戦艦大和の乗組員の方との話、富美子さんに今も後悔が残る「大島女子挺身隊」の少女の話など、戦争に関する事柄。さらに、78歳での家出や大好きな大リーグのことや罹患してきた病気のことなど、富美子さんの96年間の生き様が描かれている。反戦、女性の人生、自立、老後、様々なことを考えさせてくれる一冊だ。