2022年10月1日、79歳で亡くなったアントニオ猪木。今なお熱烈なファンを擁する猪木だが、世に喧伝されるそのイメージは二重三重の皮膜に包まれてきた。
話題の新刊『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社刊)は、猪木家の末弟である啓介氏から見た、5歳年上の兄・猪木寛至の「人間の記録」だ。ブラジルへの移民、力道山との出会い、新日本プロレス、政治と事業、4度にわたる結婚、そして晩年の兄弟断絶と闘病。70年余に及んだ兄弟の歴史がすべて記されている。
猪木のプロレス引退後、突如現れた謎の女性カメラマン――最後の妻となる橋本田鶴子氏の登場により、猪木家の歯車は徐々に狂い始めていった。
2013年、猪木は日本維新の会の公認候補として参議院選挙に出馬し、18年ぶりに2度目の当選を果たす。国会議員としての活動に軸足を移した猪木は、橋本氏を公設秘書に起用。このときの橋本氏の暮らしぶりは贅沢を極めた。
これまで沈黙を貫いてきた実弟がいま、そのすべてを明かす。
『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(第29回)
3年間で4000万円以上を私的に流用
議員秘書時代の彼女がどのような生活を送っていたか。それが具体的に明らかにされたのは2017(平成29)年、IGFが橋本さんを相手取り、約4250万円の返還を求めた民事訴訟である。
IGF側は、橋本さんが3年間(2014〜2016年)の間に請求があった数千万円の経費とコーポレートカードの決済を精査。うち4000万円以上を、橋本さんが生活費や私的な飲食費、団体の業務と関係ない海外渡航費などに使ったと主張。流用経費の一括返済を求めたのである。訴訟の原告はIGFとなっていたが、裁判に踏み切った実質的主体はOSGの湯川会長だった。
湯川会長もまた、アントニオ猪木と断絶させられていた被害者の一人だった。IGFが利益を生み出していない状況のなかで、アントニオ猪木と会うこともできず、しかも自分が出したカネを橋本さんが湯水のように使っている。この地獄のような状況におかれては、黙っているわけにはいかなかったのだろう。
橋本さんは経費の問題を追及されると分かったとき、いつものように事実ではない噂を流してIGFの経営陣に罪をかぶせようとした。「1億円横領した」「経費を使い込んで辞めた」などといった言説を流し、それを兄貴に信じさせ、自分を守ろうとする。
湯川会長は念のため、時間をかけて事実関係を調査したが、すべては橋本さんの虚言だった。政策秘書だった野田数氏がクビを切られたときとまったく同じ手口だ。
度を超えた公私混同ぶりが明らかに
そもそも、橋本さんが経営していた「バー・ズッコ」を支えていたのはIGF、つまり湯川会長である。お店にお客さんが来る、高いワインを開ける、請求書はIGFに回される。これが当時の橋本さんの「お手当てシステム」だった。店が移転したときも、費用を出したのは湯川会長である。
このときは、兄貴のためなら仕方がないと会長も割り切っていたのだろう。ところが、橋本さんと湯川会長が団体内で対立し、橋本さんが湯川会長を陥れようとしたため、さすがの湯川会長も堪忍袋の緒が切れた。
前述の裁判では、橋本さんの度を超えた公私混同があきらかになった。日々のタクシー移動や足つぼマッサージ代、ヘアメイク代、メガネ、電話料金もすべて経費精算。ホテルオークラのバーでは総額約700万円を兄貴との晩酌に使っていた。
また、IGFのカードを持っていた橋本さんは、兄貴と毎晩のように高級料理店で会食。 3年間の総額は1500万円にものぼっている。
帝国ホテル「なか田」(寿司)、赤坂「さくま」(すっぽん)、六本木「あつし」(ステーキ)、赤坂「ぶんぱち」(焼肉)、西麻布「しゃぶ玄」(しゃぶしゃぶ)、西麻布「いちのや」(うなぎ)、南青山「司」(ふぐ割烹)……自分の稼ぎで贅沢をするのはかまわないが、これらの原資は兄貴のカネでもないし橋本さんのカネでもない。IGFのカネであり、しかも会社は赤字なのである。
議員時代の海外渡航経費もIGFに回されていた。パラオ、キューバ、イギリス、カンボジア……これも総額で約1500万円。政治家としての兄貴には特に政治献金もなく、費用はIGF持ちだったのも頷ける話だが、問題はお金を出してくれている人間への態度である。最大のスポンサーと兄貴をケンカさせてしまったら、その結果どうなるかということは誰でも分かることなのだが、彼女の異常な排他主義は本当に理解できなかった。
橋本さんが「猪木に近づく怪しい人々」をブロックしていたのは、兄貴のためではなく、自分自身の利益を守るためだった。私はいまでもそう確信している。