いわゆる「103万円の壁」の見直しについて、活発な議論が連日繰り広げられている。私たちの働き方にかかわる所得税のボーダーラインのことだが、慢性的な人手不足に悩む飲食業界は特にその影響を受けている。働き方改革や外国人の雇用などさまざまな課題があるなかで、何が大きな障壁になっているのか。
日本飲食団体連合会(食団連)の理事を務める、お好み焼「千房」ブランドを展開する千房ホールディングス株式会社の中井貫二代表取締役社長に話を聞いた。
「食」のあり方が大きく変わったコロナ禍
――食団連の役割と直近の成果について教えてください。
日本飲食団体連合会は、現在61の飲食に関連する団体が所属している連合会で、飲食店およそ4万3000店舗、従業員として約53万人が加盟しています。
2021年のいわゆるコロナ禍真っ只中に設立されました。日本にはさまざまな飲食団体があり、私も大阪外食産業協会の会長を兼ねておりますが、これまでの規模感で活動している団体がありませんでした。
当初は、やはり飲食店および外食産業が生き残っていくために一致団結しないといけない、国や自治体に働きかけを行なっていくうえでは大きなまとまりを作り、交流していく必要があるという思いが強くありました。
直近の活動の成果としては、2024年の7月に「新型コロナ対策資本性劣後ローン」について意見交換を行いながら改善に向けて活動を進めました。
また、内閣府が感染症にまつわる分析レポートを作成するにあたり、飲食業界の現状というものをいろいろ幅広くアンケートやヒアリング調査を行って、現状を訴えてきました。
加えて、2024年に発生した能登半島地震からの復興支援として、「能登フードリバイバル」というプロジェクトを立ち上げ、復興支援も含む有事に備えるための「食の文化を未来につなぐ基金」を設立したり、災害関連情報の発信、実地研修が困難になった調理科学生の研修支援を行ったりなど、被災地域の食関連事業者の支援に注力しました。
――コロナ禍を経て、飲食業界はどのように変化しましたか。外食事業を展開する経営者の目線からもご教示ください。
当時は、トンネルの出口が見えない、このままどうなっていくんだろうと本当に不安でした。その中で、テイクアウトやデリバリーなど新たなビジネスモデルが外食産業で生まれ、いろいろな食のシーンが消費者の側からも生まれたと思います。あわせて、衛生管理への目線もすごく厳しくなった印象があります。
時を同じくして、スキマ時間を利用したスポットワークが普及するなど、食に関連する働き方も大きな変化が生じ、非常に多様化していきました。
働きたい人がしっかり働ける仕組みを
――飲食業界で常にテーマにあるのが「人手不足」と「働き方改革」です。他の業界と比べて特殊な労働環境になりがちなのが飲食業界かと思いますが、まず人手不足の内情について、目下最大の課題も含め教えてください。
飲食業界では、各企業、飲食店によってサービスが異なるため、ホールスタッフ・料理人など職務が様々であり、人手不足の要因も多種多様です。
その様々な要因の中でも、共通する目下最大の課題は「人材の量の確保と質の担保」です。
飲食は専門性の高い業務内容が多いため、修行に時間がかかることやキャリアパスが難しいことなどから、若手社員の早期離職が発生し、思うように新しい人材が育たず、プロフェッショナルな人材の担い手不足に悩まされています。
大手企業では、ロールモデルとなる上司の育成や職人育成のためのカリキュラムを設ける等、「人材育成」を強化するための取り組みを実施しています。
飲食業界特有の労働環境(不規則な勤務時間など)に対する敬遠が生まれている中、キャリアアップ制度の構築等、魅力的な労働環境を整備し、働きたい人が自由に働くことを選択できる環境づくりが急務であると考えています。食団連では、今年度から労務人事部会を立ち上げ、こうした労働環境における課題解決のため、業界調査を行い、改善に向けて活動を強化しています。
――次に働き方改革ですが、改革を進める上で障壁になっているものはあるのでしょうか。解決すべき課題についてお聞かせください。
飲食はサービス業ですから「消費と生産の同時性」がいちばんの課題です。特に繁忙期である12月や1月は、どうしても残業時間が多くなってしまいます。かと言って、お客様に「もう労務時間がいっぱいだから」と帰っていただくわけにもいきません。
それを両立させるためには、配膳ロボットや最新の調理機器などを導入して業務効率化を図っていく必要があります。ただ、飲食は収益性が非常に低い業態で、優秀な人材を確保するのが最優先です。個人店や中小は日々の業務に追われて、時間も設備投資も十分に割けないのが大きな障壁といえます。
103万円の壁がもたらす労使のミスマッチ
――働き方に関連していえば、「103万円の壁」の是非について連日議論が重ねられています。この「壁」は飲食業界にどのような影響をもたらすのでしょうか。
とにかく今は物価が上がっています。キャベツなんてびっくりするほど高くて、「お好み焼きにキャベツ入れるのやめたろか」と思ってしまうほどなわけです。もちろん賃上げは検討しなければいけないけれども、そうはいかない台所事情もあります。
そんな中、「103万円の壁」があると、先ほど申し上げた通り12月、1月の繁忙期に「働き控え」が起こってしまいます。経営者目線では働いて欲しくても無理強いできない人材確保の問題、働かれる方はキャリアアップや収入の増加が見込めないという労使間でミスマッチが生まれてしまっている状況です。この問題については、食団連でも制度に関する情報発信を行っています。経営者も従業員も制度をよく理解し、メリットや留意すべき点を個々でしっかりと検討できるように準備しておくことが重要だと考えています。
――人手不足を補うため、外国人の採用について、柔軟な対応が求められる時代です。制度上、フレキシブルな人材活用が難しくなっている点はあるのでしょうか。
2019年4月からスタートした在留資格の技能実習制度において、「技術・人文知識・国際業務」の「技人国ビザ」で雇用できるのは本社業務や管理業務などに限られ、ホールスタッフや調理補助など喫緊で人手が必要な業務に就いていただけない問題があります。
同時に、働いていただくには当然住む場所を確保しなければなりません。特に都心は家賃も高いですし、いまだに「外国人お断り」という物件もありますから、住居獲得もボトルネックになっています。
在留資格の特定技能には「1号」と「2号」の2種類があります。われわれ千房ホールディングスも今50~60名ほど、特定技能1号の方々を採用していますけれども、在留期間の上限は5年で、その後それぞれの国へ送り出さなければなりません。
熟練した技能を持つ外国人が就労できる「2号」を取得するには実務経験だけでなく高度な技能試験に合格する必要があり、かなりハードルがあります。ベトナムやフィリピンだけでなく最近はミャンマーやネパールといった国々からもいらっしゃっていますが、私の印象では優秀な方が多く、本気で働いてくれます。熱意があっても継続して働いていただくのが制度上難しいことについては歯がゆい思いでいます。
「人を良くする」のが「食」の本質
――こうした課題に際して、食団連が今取り組んでいることについて教えてください。
業界間では、最近では「全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会(全旅連)」と連携を取っています。旅館やホテルは風営法の許可を受けている関係もあり、外国人の人材を思うように採用できていないのが現実問題としてあります。
そこで食団連は、飲食提供を行うスタッフの特定技能外国人雇用の規制緩和に向けて、全旅連と協議の上、農林水産省に陳情書を提出し、風営法の許可を受けた旅館およびホテルにおける特定技能の飲食提供全般に関わる就労が認められるようになりました。
団体業界を超えた働きかけも含め、目の前にある課題に関しては、ひとつひとつ取り組んでいきたいと考えています。
――これから求められる飲食業界の労務環境について、ビジョンをお聞かせください。
私自身、2代目として「千房」を継ぐまでは元々飲食に全く携わってきませんでした。しかし飲食業界に従事して、「ありがとう」「美味しかった」「また来るね」っていう感謝の声が飛び交う素晴らしい商売だな、と今心から思っています。
われわれのやっていることは「心の商売」、お客様の心の琴線に触れる、あるいは従業員の琴線に触れるようなビジネスなのかなと。「人」を「良くする」と書いて「食」と読みますが、働いている人とお客さんとが同じ空間で深く関わるのが、ホスピタリティ産業の真髄なんです。
和食が無形文化遺産になり、全世界から注目されるようになりました。飲食店のサービスを通じた地域の食材や食文化の発信は、観光立国としての日本のあり方に貢献できるとも思っています。ですので、そこに従事する人たちが誇らしく働き、スキルを磨いてキャリアアップできるような労務環境を構築する必要があります。
そのため食団連としては、国や自治体に対しての制度改善の働きかけはもちろん、従事者の方々にスポットライトを当て、支援をしてきたいと思っています。
取材・文/田嶋裕太