意識と無意識、記憶や学習、不安や怒り……。こうした日々の経験は、なぜ、どのように生じるのでしょうか? すべて脳の中で起きていることですが、研究によって、このような脳のしくみやはたらきが、少しずつ明らかになってきています。
最先端で活躍する脳研究者たちが、研究の最新成果から未来までを語った『世界一面白い脳の講義 脳の謎を科学で解き明かす』(日本神経科学学会:編)が、講談社ブルーバックスから刊行されました。
本書は、気鋭の脳研究者たちによる一般向けの講演イベント「脳科学の達人」10周年を記念して作られた一冊です。
研究の熱気を届ける本書の名講義から、興味深いトピックを厳選して紹介していきましょう。
今回は、「なぜヒトは眠らなければならないのか?」という、誰もが一度は抱いたことのある疑問に、脳研究の視点から迫ります。
*本記事は、『世界一面白い脳の講義 脳の謎を科学で解き明かす』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
強制的に眠らせないと生物は死に至る
「なぜヒトは眠らなければならないのか?」という謎が、私の研究上の一番の興味であり、いつか解き明かしたいと考えています。
私たちは毎日、夜になると意識を失い、外界からの脅威に無防備になった状態で睡眠を取っています。そこまでして眠る理由には、睡眠を取ることでしか実現できない何らかの機能・役割があるはずです。
生物から睡眠を奪うと何が起きるかについては、様々な実験が行われています。
ヒトでの断眠(長期覚醒)実験では、起きている時間が長くなるにつれて、認知機能が低下することが示されています。
20時間起きている人の認知機能は、酒気帯び運転で引っかかるレベルまで飲酒したときの認知機能とほぼ同等だそうです。徹夜明けで自動車を運転しては絶対にいけないということがわかります。
眠りそうになると水に落とされるという装置で、強制的に長期断眠を強いられたラットは、2週間ほどで死んでしまいます。マウスを強制的に眠らせないようにした実験では、4日ほどで全身に炎症が起き、多臓器不全で死んでしまいました。
睡眠を必要とする哺乳類などの生物にとって、睡眠は生存に不可欠なのです。
シナプスをリセットするため?
睡眠が必要な理由としては、いくつかの仮説が提唱されています。有力なものが「シナプス恒常性仮説」です。ヒトの脳には2000億もの神経細胞があり、たがいに「シナプス」という構造を介してつながっています。
シナプスによる情報伝達の効率は、その必要性(頻度)に応じてダイナミックに変化します。やり取りが頻繁になるほど伝達効率は強くなり、逆にあまりやり取りがなければ弱くなります(図「シナプスの変化」)。
そのような性質を持つため、起きている間は神経細胞間のやり取りがずっとつづき、基本的にシナプスはどんどん強くなっていきます。
しかし、シナプスが強くなりつづけると問題が生じます。シナプスがあちこちで強くなってくると、どんな刺激にも反応しやすくなります。その結果、必要なものにだけ正しく反応するという、反応の「選択性」が低下します。
また、神経細胞が興奮しやすくなると、神経の過剰興奮によって起きるてんかんなどの病気につながってきますし、エネルギーの無駄遣いにもなってきます。
この問題を解消するためには、覚醒中に強くなったシナプスを弱めて、リセットする必要があります。睡眠中にそれが行われるというのが、シナプス恒常性仮説です。
マウスを使った実験によって、覚醒中に物理的に大きくなったシナプスが、睡眠を取ることで小さくなったという結果が報告されており、シナプス恒常性仮説の証拠とされています。
ただし、この実験結果にもまだ不十分な点があり、決定的な証拠とはなっていません。逆に睡眠は、シナプスを強めるためにあるのではないかと主張するグループもいて、議論がつづいています。
脳の老廃物を洗い流すため?
睡眠の役割に関する別の仮説としては、脳の老廃物を洗い流すために睡眠が必要だとする説もあります。脳内の脳間質液・脳脊髄液によって、脳内の老廃物が洗い流されているという考え方があり、その機能が睡眠時には高まるという報告があります。
ただし、睡眠中には老廃物のクリアランスが低下しているという全く逆の報告もあり、真偽のほどを明らかにするためには今後多くの研究が必要な状態です。
どちらの説も、睡眠の役割の一部を説明するものとしては正しいのかもしれません。ただし、睡眠が必要である決定的な理由とはなっていません。
もしシナプスが強くならなければ、眠らなくてもよいのでしょうか。もし脳内の老廃物を覚醒中にきちんと洗い流せていれば、睡眠を取らなくてもよいのでしょうか。まだその答えは出ていません。
眠るか眠らないか、自分で選べる日が来るかもしれない
なぜ睡眠が必要なのかという根源的な謎のほかにも、睡眠にまつわる謎はたくさんあります。起きている時間が長くなると、なぜ認知機能が低下するのか。眠気がもよおされるのは、眠気の原因物質が脳に溜まっていくからなのか。
睡眠中に耳は聞こえているのに、脳内で音として認識されないのはなぜなのか。なぜ夢を見るのか…などです。
私たちの研究グループでは、遺伝子改変マウスや細胞外記録などの手法を使って、睡眠の謎に挑んでいます。
眠らなくても認知機能が低下せず、死ぬこともない遺伝子改変マウスをつくることができれば、それは睡眠の本質的な機能を証明することにつながると考えています。
睡眠が必要な理由が解明されれば、それを応用して、睡眠・覚醒を自在にコントロールできるようになるかもしれません。
たとえば老廃物を洗い流すことが睡眠の目的であることが判明すれば、忙しいときには、眠る代わりに老廃物の排出を促進する薬を飲めば済むようになります。睡眠・覚醒が制御できると、眠気を防ぐ方法や逆に眠くする方法も開発できるはずです。
不眠症とうつ病には大きな関連がありますから、精神疾患やメンタルヘルスの面からも、睡眠・覚醒の仕組みを解明することの意義は社会的に非常に大きいと思います。
私はしっかり眠ったあとのスッキリ感がとても好きなので、睡眠を代替できる薬ができても、個人的にはこれまで通り睡眠を取りつづけたいと今は思っています。
でも、薬を飲めばつねによく寝たあとのスッキリした感覚を維持できるのであれば、活動時間も増えるし、もう睡眠なんて必要ないと思うようになるのかもしれませんね。眠るか眠らないか自分で選べる、そんな時代が来るかもしれません。
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