あなたの住む町、海抜58m以下だったら、地図から消えるかも……。
地球上で最も大きな淡水貯蔵庫である「南極氷床」。温暖化の進行によって、氷床融解の連鎖が起こる可能性が見えてきました。もし南極氷床がすべて融ければ、なんと世界の海面は約58m上昇するといわれています。
国立極地研究所の研究者である菅沼悠介氏が、過去の氷床変動を紐解き、急激な氷床融解のメカニズム、そして今後の海面上昇をまとめた注目の書『南極の氷から探る地球大変動』(講談社ブルーバックス)。
南極氷床の変化とその原因、そして将来の見通しとは。本シリーズでは、その興味深いトピックを、厳選して公開していきます。
まずは、本書冒頭の「プロローグ」から、迫り来る「氷床融解後の世界」をご紹介しましょう。
*本記事は、『南極の氷から探る地球大変動 氷床融解の連鎖はいつ、どのように起こるのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
世界の風景は一変した
朝、低い潮騒の音で目を覚ます。
窓を開けると、朝日を浴びてきらめく水面が遠くまで続いていた。かつて雄大な砂浜が続くことで知られた九十九里の海岸線は、とうの昔に地図から消え去った。いま目の前にあるのは広大な湿地帯へと姿を変えた「元」九十九里海岸だ。
「昨日の高潮で、また126号線*が流されたらしいぞ」
海面の上昇によって平地は毎年のように削られ、私たちの生活圏は次第に丘陵地へと追い詰められてきた。重苦しい冠水警報は、もはや日常となった。
2XXX年、グリーンランドや南極の氷床が急激に融解を始めて以降、世界の風景は少しずつ変わっていった。
房総半島はいまや本州からほぼ切り離された島となった(地図「2XXX年、海面上昇した場合の関東地方」)。旧江戸川と荒川に架かる長大な橋「新アクアライン」を渡らなければ、東京側に行くことさえできない。
かつて食卓を支えた日本各地の平野の農地も塩害にむしばまれ、食料危機は静かに、しかし確実に私たちの生活へ迫っていた。
そして海面は、いまもなお、上がり続けている。
*126号線:国道126号(千葉〜東金〜銚子)。東金〜銚子の旧銚子道の区間が、九十九里浜に沿う。
5メートルの海面上昇で、房総半島は“ほぼ島”
これは、100年以上先の未来を想定したフィクションである。しかし、その土台となっている科学的データは、紛れもない現実だ。
いま、地球温暖化の進行によって近い将来、世界の氷河、そしてグリーンランドや南極の氷床が大きく融解していくことが懸念されている。とりわけ、南極氷床は地球最大の淡水の貯蔵庫である。もしその氷がすべて融ければ、世界の海面は約58メートルも上昇する。
もちろん、南極氷床がすべて融けるような事態は、極めて長い時間スケールの話だ。しかし、海面が5メートル上昇しただけでも、冒頭に描いたように房総半島はほぼ島となる。
問題は、南極氷床の大規模な融解が「いつ」起きるのかということだ。
その答えを知る手がかりは、この変化の源である南極にある。
南極には、厚さ数千メートルにも達する氷床が横たわっており、この巨大な氷床が将来どのように変化するのか、いま世界の視線が注がれている。
繰り返されてきた南極氷床の変動
私は国立極地研究所の研究者として、過去の南極氷床の姿を復元する研究を続けてきた。南極での現地調査と、採取した岩石や堆積物サンプルの分析から、氷床がどのように拡大し、どのように縮小してきたのかを読み解く研究である。
その中で明らかになってきたことがある。南極氷床は過去に幾度も大きく変動してきた。そして大きく融解するときの速度は、従来考えられていたよりもはるかに大きいかもしれないということだ。
さらに最近の研究では、南極氷床の融解には多くの「フィードバック効果」が関わることもわかってきた。
フィードバック効果とは、ある変化がさらなる変化を引き起こし、それがまた最初の変化を加速させる連鎖のことだ。私たちの研究からも、南極氷床が一度融解し始めると、その融解が新たな融解を誘い、氷床融解が加速度的に進む「正のフィードバック」が働く可能性が見えてきた。
また、氷床の融解は海洋の大きな循環を滞らせ、地球全体の気候に深刻な影響を与えることも懸念されている。
南極氷床の大規模な融解はいつ起きるのか
眠れる獅子「南極氷床」は、いま静かに目を覚まそうとしているのかもしれない。この変化は数年から数十年のスケールでは捉えにくい。しかし、100年先を見れば、その影響は計り知れない。そして恐ろしいことに、南極氷床の融解は一度動き出したら、もはや止めることは困難なのだ。
南極氷床の大規模な融解はいつ起きるのか。今般、筆者が上梓した『南極の氷から探る地球大変動 氷床融解の連鎖はいつ、どのように起こるのか』では、その謎に向き合うために、いま進みつつある南極氷床の変化とその原因、そして将来の見通しを順に見ていく。
まず、2002年に起きた南極半島での棚氷崩壊を手がかりに、現在の南極で何が起きているのかを確認する。
次に、時間をさかのぼり、人類がどのように南極大陸を知り、氷床の実体に迫り、それを地球環境の変動と結びつけて理解してきたのかをたどる。
そして後半では、私自身が南極で行ってきた現地調査をもとに、岩石や地層の記録から読み取った氷床変動の速度や規模と、大規模な融解のメカニズム、さらにそこに潜むフィードバックについて紹介する。
そのうえで、将来、南極氷床、そして地球環境にどのような変化が起こり得るのかを考えていきたい。
私たちの未来と確実につながっている、極地の出来事
科学は、教科書のように一直線に進むわけではない。多くの研究者の試行錯誤や偶然の発見が積み重なり、少しずつ輪郭が見えてくる。南極研究の歴史もまた、その連続である。
この話は、遠い極地の出来事と思うかもしれない。しかし、いま南極で起きている変化は、私たちの未来と確実につながっている。
そのつながりは、私たちが思っている以上に、すでに現実のものになりつつある。
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今の南極で「私たちが思っている以上に、現実のものになっている」こと、とはどういうことでしょうか。2002年に起こった衝撃の崩壊を、さらに詳しく見ていきます。