取引先からの夜10時や休日の電話に応え続けた25歳の営業マンが、上司に訴えても取り合われず、ついに専務に直訴した。呼び出された40歳の営業課長は「お得意様ですから当然です」と言い切るのだが……。仕事の連絡には一体どこまで対応すべきなのか。「つながらない権利」の観点から、社会保険労務士の木村政美氏が解説する。
前編記事を読む→「大口顧客でも度が過ぎる…」夜10時でも日曜でも電話してくる取引先に、25歳営業マンが”反撃の一言”
本記事の登場人物
A山さん:25歳。甲社(都内の機材メーカー・従業員300名)の営業マンで今年4月から上得意先・乙社の担当に。同社のC田さんからの夜間・休日の電話に、B川課長の指示で応じ続けたが、6月下旬の日曜午後、ついに限界を迎え、C田さんに「明日の対応にして頂けますか?」と言い放った。
B川営業課長:40歳。甲社営業課長でA山さんの上司。乙社の前任担当者。A山さんに「C田さんからの依頼はいつでも対応するように」と独断で指示し、訴えを「甘えるな」と一喝した。「顧客第一主義」の塊のような人物。
C田管理課長:45歳。乙社の管理課長で、大口顧客側の担当者。乙社は人手不足で長時間労働が常態化し、C田さん自身も連日22時過ぎまで業務に追われる。そのためA山さんに対して、夜10時に「今すぐ見積書を」、日曜午後にも「急ぎで資料を」と即時対応を求め続けた。
D上専務: 甲社の専務で、人事・総務の責任者(後編のみ登場)。A山さんから直訴を受け、B川課長を呼び出す。
「つながらない権利」とは
「つながらない権利」とは、従業員が勤務時間外に仕事の連絡対応(電話・メール・チャットなど)を強いられない権利をいう。
この権利はEU諸国で議論が進み、2026年時点でフランス、スペイン、イタリアなどが法的枠組みを整備し、勤務時間外に労働者が仕事の連絡に応じない権利を保障している 。その理由は、勤務時間外の電話、メールやチャットなど電子的連絡が増えたことにより、ストレス・睡眠障害・メンタル不調を訴える労働者が増加していることによる。従って労働者の健康確保の観点から勤務時間外の連絡を制限することは、「働く上での基本的な権利」として位置づけられている。
参考文献:厚生労働省「労働時間法制の具体的課題について(法定休日・連続勤務規制、勤務間インターバル、つながらない権利)」51ページ
日本国内では現在、つながらない権利を保障する法律はなく、勤務時間外における業務連絡の対応に関する規則や社内マニュアルなどを設けている企業はそう多くないと思われる。厚生労働省が発表した「労働時間法制の具体的課題について」によると、勤務時間外や休日の社内連絡のルールについて、「特段ルール等は整備しておらず、現場に任せている」が36.8%、「急を要する業務に関しないものでも連絡が取れるようにしている」は16.0%である。これらの数字から、一定の企業では勤務時間外でも連絡対応せざるを得ない状況に置かれていることがうかがえる。
顧客からの時間外連絡になぜ対応してしまうのか
企業が勤務時間外の顧客連絡に対応するのは以下の要因が考えられる。
(1)顧客第一主義の弊害
企業が勤務時間外の顧客連絡を受ける理由として大きいのは、日本の企業文化に根強い「顧客第一主義」の価値観である。顧客の要求には応えるべきだという考えが長年浸透しており、会社の営業時間外や休日でも顧客からの連絡を受け入れる土壌がある。特に営業部門ではその傾向が大きく、営業時間外の連絡を断ることがサービスの低下に繋がると誤解されやすい。
(2)経営者や管理職の心理
一部の事業主や管理職は、「連絡の受け入れ態勢を変更することで顧客を失うかもしれない」という思いから、かつて自分たちが行ってきた対応方法を現在の従業員や部下にも当然のように踏襲させてしまうことがある。
(3)勤務時間外の対応基準が定まっていない
勤務時間外の連絡対応に関する規則やガイドラインが存在せず、「どこまで対応すべきか」「緊急時とはどんな場合を指すのか」などの判断基準が曖昧だと、勤務時間外でも対応するケースが増えると思われる。
(4)労働関係諸法令の認識不足
勤務時間外に顧客対応をした場合、管理職ではない従業員の対応時間は労働時間として扱われ、原則として残業代の支払いが必要になる。管理職であっても、深夜(22時以降)の対応には割増賃金が発生する。
A山さんのケースでは、C田さんからの連絡がいつ入るか分からず、しかも即時対応を求められているため、実際に作業していない時間でも「待機時間」として労働時間に該当する可能性が高い。その結果、法定時間外労働が36協定の上限を超えれば、労働基準法違反となり得る。
さらに、勤務時間外の対応が常態化すれば、過大な業務要求によるパワハラや、過重労働による心身の不調を招き、企業は労働契約法上の安全配慮義務違反を問われる可能性がある。企業はこうしたリスクを十分に認識し、適切な管理が求められる。
企業が取るべき対策
日本国内では現在、つながらない権利について法律化されていないが、特に前項(4)に関しては従業員の職場環境を整備する観点からも、企業としての対策は必要である。次にいくつかの対処策をあげてみたい。
(1)勤務時間外の対応に関する社内ガイドラインの作成
勤務時間外の対応について「対応するケースと断るケースの線引き」を明文化し、従業員間で共有する。例えば「重大な事故が発生した」などは緊急のため対応するが「翌日以降の対応で間に合うもの」などは対象外とするなどの具体的な基準を整える。
(2)顧客への周知を行う
企業方針として上記(1)の体制を整えた後。担当者などを通じて「勤務時間外の連絡は原則翌営業日に対応します」など、丁寧かつ角の立たない文面を用意するなどで顧客に周知を図る。国の施策として、企業責任でカスタマーハラスメント(カスハラ)対策や従業員の健康対策の観点から過重労働をさせないなど、職場環境を整備する義務が生じているため、最近の傾向として顧客からの了承は得られやすいだろう。
(3)勤務時間外の対応を担当者任せにしない
企業形態などの都合で顧客から勤務時間外の連絡を受けざるを得ない場合、担当者の上司が対応する、日直として交代で職場に残ったメンバーが対応するなど、担当者がすべてを抱え込まず、チームで対応する体制を整える。
(4)カスハラ相談窓口の設置
C田さんのように、勤務時間外の連絡が常態化するなど、顧客からの過度な要求によるカスハラに発展する可能性がある。企業は従業員の就業環境を守る目的で、相談窓口の設置などカスハラ防止の措置が法律で義務化される。(施行日は2026年10月1日)顧客だからとやみくもに勤務時間外の対応を認めるのではなく、従業員を守る仕組みを整えることが大切だ。
甲社と乙社の問題点
今回の事例において甲社と乙社の問題点はどこにあるのか。
・甲社の問題点
B川課長は独断で、A山さんに勤務時間外のC田さん対応をさせていた。乙社が大口顧客であることを意識していた面もあるが、それ以上に、甲社側で時間外対応の基準が整備されていなかったことが大きい。また、C田さんからの依頼に応じることで残業代が発生することや、過大な業務を強いる行為がパワハラに該当する可能性、過重労働による安全配慮義務違反につながることへの認識がなかった点も問題である。
こうした管理職者の認識違いや認識不足を防ぐためには、上級管理職(D上専務など)と中間管理職(B川課長)との面談による状況把握や、従業員が業務上の悩みを相談できる窓口の設置など、早期に問題を共有できる仕組みが必要になる。
・乙社の問題点
カスハラとは、顧客が立場を利用して過剰要求や暴言、不当な拘束を行うことを指し、一般消費者だけでなく企業間取引でも起こり得る。C田さんがA山さんに対して、常態的に勤務時間外の連絡を行い、即時対応を求め続けた行為は、取引先という立場を利用した過度な要求であり、A山さんの私生活を侵害し精神的負荷を与える点で、カスハラに該当する可能性が高い。
もしA山さんが心身の不調を訴えるような事態になれば、乙社側の責任が問われ、企業間の信頼関係にも深刻な影響を及ぼすだろう。もはや「顧客だから許される」という時代ではない。企業間取引においても、相手企業の労働環境や担当者の健康に配慮する姿勢が求められる。
甲社の気になるその後
A山さんの対応に不満だったC田さんは、すぐにB川課長に苦情の電話を入れた。翌日の朝、B川課長からC田さんへの対応で強い叱責を受けたA山さんはその足でD上専務(会社の人事・総務の責任者)に会い、詳細な事情を明かし、訴えた。
「C田さんから毎日夜や休日にかかってくる電話にもう耐えられません。しかし、B川課長にいくら改善をお願いしても聞いてもらえない。もう配置換えか、無理なら会社を辞めさせてください」
驚いたD上専務は、10分後にB川課長を呼んだ。
「A山君はC田さんの対応に苦慮しているみたいだね。毎日夜の9時とか10時に電話をかけてくるし、ある時は夜中に見積書や商品説明書まで作らされたとか……」
「はい。乙社はウチの大切なお得意様ですから、それくらいは当然です」
B川課長が「顧客第一主義」の古い習慣に囚われていることを感じたD上専務は、話の視点を変えた。
「A山君のタイムカードや賃金台帳を見せてもらったけど、C田さんに対応した時間が残業扱いになってない。上司である君の指示でやっているんだから、勤務終了後から電話の応対や書類作成の仕事が終了するまでの間は全部が労働時間になる。となると会社が残業代を払う必要があるね」
「残業代が発生するんですか?」
「そう。だから部下の労働時間のチェックはちゃんとやってくれないと困る。じゃないと、残業代の未払いで労働基準法違反になっちゃうよ」
「私はこれからどうすればいいんですか?」
「急ぎ乙社担当後のA山君の労働時間をチェックして私に報告すること。そうそう……、C田さんからの受電状況などを確認したいので、彼の業務日報も一緒に提出して。後はC田さんにはウチの営業時間内に連絡してもらうか、営業時間外の場合は会社にメッセージを入れてもらって翌日以降の対応になる旨の説明もよろしく。もし納得してもらえなかったら後は私が対処するから……」
「しかし乙社は重要な取引先で……」
「頼んだよ!ウチとしてはC田さんの都合で社員に余計な残業代を払いたくないし、なにより、A山君の健康が心配だよ。彼、働きすぎじゃないの?」
D上専務の強い口調に、B川課長は「はい……」と小声で答えるしかなかった。
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木村政美
社会保険労務士
1963年生まれ。長崎県出身。専門学校卒業後、旅行会社・セミナー運営会社・生命保険会社・人材派遣会社勤務を経て、2004年事務所開業。企業の労務管理(特にメンタルヘルス・ハラスメント関連)を得意分野とし、顧問先や各種相談会での相談業務、セミナー講師、執筆活動等を幅広く行っている。2011年より千葉産業保健総合支援センターメンタルヘルス対策促進員、2020年より厚生労働省働き方改革推進支援センター派遣専門家受嘱。
公式ホームページ:http://kimura-office.p-kit.com/