一滴の雫に満たされている、数千年にわたる叡智……。
もはや国民的な飲み物の一つとなったワイン。近年、日本産ワインも急成長していることはご存知の方も多いと思いますが、さらに注目を集め始めているビオワイン、オレンジワインはご存知でしょうか。
ワインは、単なる嗜好品にとどまらず、人類が長い時間をかけて磨き上げてきた文化の産物として多くの人々を魅了し続けています。しかし、グラス一杯の背後には、ブドウ樹の生理、発酵微生物の働き、 果汁やワインに含まれる化合物の化学反応、といった、さまざまな科学的要素が複雑に絡み合っています。
ワインの原料となるブドウの最新の栽培技術、醸造技術から、おいしさ、香り、健康効果はもちろん、温暖化によるブドウ栽培の変化など、ワインの魅力を科学の言葉で説明した『最新 ワインの科学』(講談社・ブルーバックス)。本記事シリーズでは、この書から、興味深いトピックを選りすぐってご紹介していきます。
今回は、日本ワインの新しい魅力を示す存在として期待が高まる「甲州スパークリングワイン」をご紹介します。
*本記事は、『最新 ワインの科学 芳醇な香りと味わいはどのように生まれるのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
甲州スパークリングワイン シャンパーニュ製法への挑戦
近年、甲州を用いたスパークリングワインの研究・開発が活発に行われています。甲州がもつ爽やかな酸味はスパークリングワインと非常に相性が良く、日本ワインの新たなスタイルとして注目を集めています。
しかし、高品質な甲州スパークリングワイン造りには、いくつもの技術的課題が存在していました。
そもそも、シャンパーニュの伝統製法をそのまま甲州に適用しても、必ずしも理想的な味わいが得られるとは限りません。そのため、プレスからアッサンブラージュ(ブレンド作業)、マロラクティック発酵(MLF)に至るまで、甲州に最適な条件を一つひとつ科学的に解き明かす必要がありました。
シャンパーニュの伝統製法が通用しないワケ
シャンパーニュでは、圧搾工程においてキュヴェ(いわゆる一番搾り果汁)とタイユ(二番搾り果汁)に分けます。キュヴェは酸度が高く洗練された味わいをもち、長期熟成に適しています。
一方、タイユは酸度がやや穏やかになりますが、果実味に富んだ特徴をもちます。これらをバランスよくアッサンブラージュすることで、理想のスタイルを作り上げるのがシャンパーニュの基本的な考え方です。
しかし、シャンパーニュの主要品種であるシャルドネでは、プレスが進むにつれ酒石酸やリンゴ酸などの有機酸濃度が緩やかに減少するのに対し、甲州ではプレス後半、すなわち高圧がかかる段階で、これらの酸の濃度が顕著に上昇することが明らかとなりました(表「キュヴェとタイユ:シャルドネと甲州の比較」)。
すなわち、甲州で上質なシャンパーニュ製法のスパークリングワインを造るためには、シャンパーニュのセオリーをそのまま踏襲するのではなく、甲州に適した独自のレシピを作り上げる必要があったのです。
研究を積み重ね…世界に誇れるスパークリングワインが誕生!
さらにMLFもトラブル続きでした。スパークリングワイン用のブドウは高い酸度を確保する目的で早摘みされるため、甲州果汁のpHは2・8~3・2と極めて低い値になります。低pH環境は、MLFを担う乳酸菌にとって増殖や代謝が困難な環境です。
加えて、甲州果汁は乳酸菌の増殖に必要な栄養素が不足しがちであることも問題となりました。
これらに対し、シャンパーニュで確立されている「ピエ・ド・キューブ・マロ(乳酸菌拡大培養液法)」を応用することで、これらの課題を克服しました。
この方法では、乾燥乳酸菌製剤をワインに直接添加するのではなく、あらかじめ少量の低pH果汁で乳酸菌を増殖させ、環境に馴化させます。その結果、低pH・低栄養という甲州特有の条件下でも、乳酸菌が安定してMLFを進行できるようになりました。
こうした研究の積み重ねにより、甲州から世界に誇れるスパークリングワインが誕生しつつあります。日本の風土が育んだ甲州と、日本の醸造科学が融合した甲州スパークリングワインをぜひ一度お試しください。
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