就任一年で垂直降下した”メルツ株”
ドイツでCDU(キリスト教民主同盟)党首のフリードリヒ・メルツ氏によるメルツ政権ができて、2026年5月6日でちょうどまる一年が過ぎた。ところが、そのメルツ氏の株が垂直降下している。あるアンケートによれば、「メルツ首相に満足していない」と回答した人が8割を超え、4月に発表された政治家の人気リストでは一番ビリの20位。
5月になって19位に上がったものの、その代わりに20位に落っこちたのが院内総務(日本に置き換えると幹事長と国対委員長を足して2で割ったような重要な役職)を務めるイェンツ・シュパーン氏だったから、要するにCDUの溶解も始まっている。
そして今、ほぼ全てのメディアが一斉にメルツ氏の首相失脚について書き始めた。それも、氏が失脚するかどうかではなく、いつ、そして、どのように消えるのかということ。ドイツでは、首相が辞めると言わない限り、引き摺り下ろすのは結構難しい。しかし、メルツ氏はまさにスッポンのように首相の地位に食いついており、そう易々とは離れそうにない。
日本人は少し前にこうした光景を見ているはずだ。というのも、現在のメルツ氏は、なんとなく退陣前の“石破政権”を彷彿とさせるのだ。
実は一年前、メルツ政権に対する期待は大きかった。というのも、オラフ・ショルツ氏による前政権(社民党・緑の党・自民党の3党連立政権)は、そうでなくても巨大だった官僚機構をさらに膨脹させ、補助金や福祉をバラ撒き、移民・難民を優遇し、さらに経済音痴の経済相(緑の党)が亡国のエネルギー政策で企業をがんじがらめにしたため、このままではドイツは社会主義の国になってしまうと、皆が危惧していたからだ。
そのショルツ政権が4年の任期を待たずに崩壊し、前倒しの総選挙となったとき、メルツ氏は「左翼は終わった!」と声を張り上げた。そして、納税者が報われ、企業が生き生きと活動できる自由な社会を取り戻すと主張した。
ところが、この話には大きな矛盾があった。その頃、すでに第2党であったAfD(ドイツのための選択肢)を、メルツ氏は極右と決めつけ、「AfDとは絶対に連立も協力もしない」、「“防火壁”を作ってAfDの危険な火がドイツに広がることを防ぐ」、「自分が首相になったらAfDの支持率を半減してやる」と憎々しげな表情で罵り続けていたのだ。
断っておくが、AfDは国会だけでなく、16の州議会すべてにおいても少なからぬ数の議席を持っている歴とした合法の保守政党である。私は以前から強調しているが、決して極右などではない。
CDUと社民党の連立政権誕生の謎
つまり矛盾というのは、「AfDと連立しないのだったら、どこと?」ということ。CDUはいつも通り姉妹党のCSU(キリスト教社会同盟)と組んで頑張っても、得票率は3割にも届かないだろうから、第2党のAfDを拒絶したら、残りは社民党、緑の党という左翼、あるいは、東独の独裁政党の流れを引く「左派党」という、ほぼ共産党のような党しか残らない。いったいどんな魔法を使えば「左翼は終わった!」になるのか?
だから、多くの識者や独立系メディアのジャーナリストらは盛んに、「CDUに入れても絶対に左翼は終わらない」、「必ず赤(社民党)やら緑(緑の党)がくっついてくる」と警告していた。
ところが、それにもかかわらず、保守の回帰を願ってやまない多くの国民はCDUに投票した。なぜか? それは、主要メディアがその明らかな矛盾を一切指摘せず、「なぜかはわからないが、絶対大丈夫」というような雰囲気を蔓延させたからだ。
そして、ひたすらAfDを極右政党扱いし、“防火壁”の効用にも疑問を呈さなかった。そこで素直な国民は、お茶の間の識者に従ってCDUに投票。「CDUに投票しても社民党は消えない」という、別に識者でなくても誰にでもわかるほど単純なこの図式を、なぜ、多くの国民が無視できたのかは、私にとって謎だが、いずれにせよ、シナリオ通りCDUと社民党の連立政権ができた。
ただ、総選挙があったのが2024年の9月で、政権成立が昨年の5月6日。連立交渉がまとまるまでの7ヶ月余りの間に、いったい何があったのか?
一口で言うならメルツ氏は、支持率14%(最近では12%)の社民党に鼻面を引きまわされ、選挙前に言っていたことのほぼ全てを、次々と捨てていった。その理由は歴然。首相になるためには、社民党と連立してもらわなければならなかったからだ。
だから、選挙前には「自分が政権を取ったらその翌日から不法難民は入れない」と言っていたのが、選挙の翌日には「そんなことは言っていない」。「自分が政権を取ったら、動かせる原発を再稼働する」と言っていたのが、選挙後は原発の「ゲ」の字もなし。「左翼は終わった!」は有権者を引っ張るための繰り言でしかなかったらしい。
5000億ユーロのドイツ史上最大の借金を作った
極めつきは新しい借金。選挙前には、「私が政権を取ったら新しい借金はせず、社民党の放漫財政を健全財政に戻す」という公約をあげていたが、選挙後はそれも放り投げた。ただ、新しく選出された議員の座る国会ではAfD議員が多く、社民党議員が少ないため、新しい債務は可決できないことがわかっていた。そこでメルツ氏は新メンバーの国会の稼働を遅らせ、2025年3月25日、旧国会を招集して、すでにご用済みになっていた旧議員を使って5000億ユーロというドイツ史上最大の借金を通過させた(向こう10年のインフラ整備と国防と気候変動対策用の資金という名目)。
しかもメルツ氏はそれを臆面もなく、神妙な顔つきで堂々と行った。たとえ違法ではないにしろ、国民としては詐欺に遭ったような気分だった。心底呆れ返ったのは、私だけではなかったはずだ。
ただ、借金はそれだけではなく、2025年度の予算には、別プログラムの4000億ユーロ(29年までの5年分)の借り入れも含まれており、ドイツは大債務国への道を歩むことが決定づけられた。しかし、この時も主要メディアは、ウクライナ戦争やパレスチナ問題など地政学上の急激な変化に対応するには方針転換もやむを得ないなどとして、メルツ氏を擁護。批判したのは主要メディアに出ない識者と、独立系のメディアばかりだった。
こうして、社民党が喉から手が出るほど欲しがっていた予算を手にした後、2025年5月6日、メルツ氏は首相に選出された。
ただ、この時、本来ならスムーズに行くはずの首相指名の選挙で、サプライズが起こった。連立与党であるCDU/CSUと社民党から、なんと18名もの裏切り者が出て、メルツ氏を首相として承認する票が過半数に届かなかったのだ。そこで、2回目の投票に入る前、メルツ氏は密室で緑の党や左派党にまで頼み込んだと言われ(ディールを持ちかけたと思われる)、ようやく過半数を得た。
18名の裏切り者が誰だったかは、今でも明らかではない。しかし実際問題として、メルツ氏が「新たな債務はしない」という公約をあっけなく破ったせいで、地元の支持者に言い訳がつかなくなって苦々しい思いをしていたCDUの議員が多かったことは確かだ。だから、裏切ったのは社民党の議員ではなく、CDUの身内議員だったという憶測も根強い。
増税で次世代の若者たちの負担が増えていく
こうしてドイツには、CDU/CSUと社民党の連立政権が立った。泡沫政党であるにも関わらず、財務省や労働省など大きなお金を動かす省を勝ち取った社民党の完全な勝利だった。しかし、当時、日本のメディアは「ドイツでは保守が政権を取り戻した」とピント外れのことを書いていた。いずれにせよ、現在のCDUの垂直降下は、起こるべくして起こったことだと、私は思っている。
メルツ氏が無理やり通した5000億ユーロという債務は、ドイツ史上最大の歴史的な額だ。このうち25年の予算に割かれていたのは370億ユーロだったが、しかし、ラース・クリンクバイル財相の手にかかると、お金はどれだけあっても足りない。
施政一年の今、お金は本来の目的であったインフラにはほとんど使われておらず、国防費という名の軍需産業への補助と、これまでの予算の穴埋めで蒸発してしまったことがわかった。そこでクリンクバイル氏は、今度こそはインフラ整備のためとして、27年から30年までに、さらに7900億ユーロの追加の借金をするつもりだ。
このまま行くと、2030年には利子の支払いだけで予算の13%に達するといい、これが次世代の若者たちにとってどれほどの負担となるかは、識者でなくてもわかる。
そればかりか、現在、クリンクバイル財相は、高所得者への増税の他、タバコ税、アルコール税の増税を予定。さらに、プラスティック税という“環境を守るため”の税金や、砂糖税という“国民の健康を守るため”の税金の新設も検討中。ここに至って、メルツ氏の「増税はしない」という公約もあっさり反故とされるわけだ。
さらに、待ちに待たれた医療保険改革では、掛け金が増えて、医療サービスが減る。ただ、ドイツの医療保険の本当の問題は、掛け金を一切払ったことのない大勢の人々を、医療保険に組み込んでいるせいだ。
また、不法難民や外国人犯罪者は母国に送還するはずだったが、ここ一年の送還者数は、社民党政権の時よりも減った。いずれにせよ、働かない外国人の医療費や衣食住が、全て納税者の血税や医療保険費で賄われているのだから、お金が足りなくなるのは当然だ。しかし、政府はなぜか、これらの構造的な問題には言及しない。ただ、国会議員の給料は、例年通り、2026年7月1日から値上げするという。
外交でも孤立し始めるドイツ
そうこうするうちに、半減させるはずだったAfDは倍増し、今や堂々第一党。CDUと社民党との仲違いも佳境に入っている。CDUが本当に安定した保守の政治を実行したければ、社民党と別れ、AfDと協働すべきだろうが、この期に及んでもメルツ首相は頑なに「絶対にAfDとは組まない!」 それもそのはず、もう少し前なら、まだCDUがAfDをうまく取り込むことも可能だったが、今や形勢は逆転。すでにCDUがAfDの下に入らなければならない状況だ。
いずれにせよ、メルツ氏が“防火壁”を強調すればするほどAfDが伸び、CDUはさらに社民党にしがみつかなければならない。“防火壁”はCDUにとっては自滅の策以外の何物でもない。これほど間の抜けた方針をCDU議員の誰も壊せないのは、驚くべきことだ。
一方、ドイツは次第に世界でも孤立し始めている。首相になった当初は世界各国を訪問し、自分は外交上手と得意満面だったメルツ氏だったが、今やロシアのウラジミール・プーチン大統領を悪魔化し、中国との関係も悪化。最近になって、米国の対イラン政策を批判し、アメリカのドナルド・トランプ大統領まで怒らせてしまった。だからと言って、今さらフランスのエマニュエル・マクロン大統領やイギリスのキア・スターマー首相と共に“強いヨーロッパ”などと息巻いてみても、レームダック(「足の不自由なアヒル」という意味で、政治的影響力を失った政権・指導者を示す)3羽ではNATOを盛り立てることさえ心許ない。
最近のシュピーゲル誌のインタビューでは、「私ほどの思いをした首相はいないだろう」とお涙頂戴の発言をし、失笑を買っているメルツ氏。以来、クオリティー紙も大衆紙も一斉に、「この連立はもう救えない(フランクフルター・アルゲマイネ紙)、「完全なリーダーシップの欠落」(ビルト紙)など、容赦がない。
若い時、元首相のアンゲラ・メルケル氏との権力闘争で負け、いつか見返してやろうと思い続けてきたメルツ氏らしいが、国民や国家のためでなく、自分のために首相になるとやはりたちまちボロが出る。迷惑するのは国民だが、選んだのも国民。民主主義は、それはそれで難しい。
いずれにせよメルツ首相の名前はドイツ史に残るだろう。
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