創刊145年を超す新聞社を舞台に勃発したオーナー家への巨額訴訟。不可解な内紛の深層には、バブル期から蠢く闇が隠されていた――。
KBS京都の146億円の担保問題。発端は、同社の元社長で、当時の親会社、京都新聞のオーナー社長でもあった白石英司(1929~1983)が積み上げた、100億円に迫る帳簿に載らない債務だった。その負債はKBS京都が背負わされ、本体の京都新聞では、オーナー家への厚遇がむしろ固定化されていった。
戦後、京都新聞に君臨し続けた白石家の影響力を引き継いだのが、白石英司の妻・浩子だった。「女帝」と称されるにふさわしい特別な扱いを受けた彼女だが、なぜこうした待遇が何十年にもわたり温存されたのか。
【前編記事】「害虫駆除」「門の開け閉め」まで会社に負担させ…京都に君臨した“女帝”がいた【KBS京都「146億円巨額債務」の前日譚】よりつづく。
単なる「地方新聞社の経営危機」ではない
大阪高裁の判決文によれば、会社側が「報酬額の相当性を検討することなく、無批判に前例踏襲を続け、その習慣が引き継がれていった」と指摘する。言い換えれば、白石家に異を唱えられない企業風土が固定化していたということだ。
京都新聞は浩子の何を恐れていたのか。背後に、どんな力を見ていたのか。その理由を知るには、白石浩子が「女帝」と呼ばれるまでの経緯をたどる必要がある。
そこには、京都に根を張る暴力団組織、政財界を渡り歩くフィクサー、バブル紳士の暗躍など、京都新聞グループの経営に絡んだ数々の暗部があった。浩子はそれらの負の遺産を背負っていたのだ。
その発端であるKBS京都をめぐる騒動が、36年前の議事録に生々しく刻まれていた。
再び、「根抵当権問題会議 議事録」を開く。そこに書かれているのは、地方新聞社グループの経営危機では片づけられない実態だった。
京都新聞が創設し、子会社として抱えていたKBS京都は、この当時、白石英司が残した簿外債務を一身に引き受ける形で、親会社グループから切り離された存在だった。では、白石元社長が残した簿外債務は、どこから膨らんだのか。
会議の席上、京都財界に君臨した山段芳春は、こう語った。
「白石元社長は畠山や街の高利の金融業者から金を借りている状況が続いていた。高利がふくれ上がり、60億円程度の簿外保証があったはずだ」
借金は街金融や裏社会周辺にまで
発言にある「畠山」とは、当時の京都で知られた畠山忍を指すとみられる。京都地裁のある判例によれば、畠山は’80年代、後に指定暴力団・会津小鉄会の五代目を襲名する図越利次の指示のもと、用地買収交渉を担った人物だ。
白石英司の借金は、銀行だけでなく、街金融や裏社会周辺にまで広がっていたとの認識が、KBS京都の経営陣に共有されていたわけだ。
こう証言した山段自身も、当時の京都財界で絶大な力を誇る顔役として知られた男だった。京都信用金庫の常任顧問として、「キョート・ファンド」を経営。司法当局との太いパイプを背景に情報網を築き、金融機関、地元財界、ヤクザ社会のあいだを取り持つ仲介者として存在感を誇示してきた。山段が理事長を務めた「京都自治経済協議会」には、政財界だけでなく、法曹界の有力者も名を連ねた。
許永中も戦後の在日社会から頭角を現し、金融ビジネスを足場に政財界へ食い込んだ大物フィクサーだ。KBS京都の簿外債務問題に深く関与し、元首相・竹下登に食い込む画商の福本邦雄を同社社長に迎えたのも、竹下を岳父にもつ毎日新聞出身の内藤武宣(タレントDAIGOの父)を常務に据えたのも許の意向だった。
KBS京都は当時、地方局の枠に収まらず、全国区のフィクサーたちの思惑が交錯する舞台となっていたのだ。
議事録から浮かび上がるのは、白石英司の簿外債務に端を発したKBS京都の146億円の担保問題について、役員たち自身が十分な事情を知らされぬまま、半ば呆然と処理策を協議する姿だ。
債務を膨らませた「原因」
社長に迎えられた福本は、困惑を隠さなかった。
「KBS京都を正常化することと、借金があることは知っていたが、山段理事長と栄中さん(許永中)がやってくれるということで来た。146億円の根抵当があるなら来ていなかった」
再建の中心に据えられた福本ですら、実態を十分に知らされていなかったのだ。
その場で許は、釈明するようにこう語っている。
「福本新体制になってから、不明朗な事はしていない。きれいな形で福本社長をお迎えしようとしたが、ご迷惑をおかけし申し訳ない」
一方、山段は京都新聞首脳の対応を厳しく批判した。
「白石元社長が亡くなった時、内田(和隆・KBS京都副社長)氏、坂上(守男・京都新聞社長)氏、白石浩子氏、野村栄太郎(同副社長)氏が一緒になって、白石元社長の借金と債務がどのくらいあるかをはっきりさせて、金融機関に説明しておけば、このような事にはならなかった」(丸カッコ内の肩書は’90年当時)
山段が言うように、手は打てたはずだった。では、なぜそれは行われなかったのか。
核心を語ったのが、副社長の内田だ。
「京都新聞では精査委員会が作られたが、(中略)問題点は、一切表に出さないで処理しようという約束だった」
元社長をめぐる不都合な事実を公にせず、内部処理で済ませようとした判断が、債務を膨らませた原因だった。
イトマン事件と共に実態が表面化
その後の会議では、自転車操業の資金繰りや、負債解消の切り札としてイトマンと仕組んだゴルフ場開発の実態が次々と明らかになっていく。
イトマンへの捜査が迫っていた。
内田と許の説明で危うい資金繰りの全体像が示されるにつれ、応接室は沈黙が支配するようになる。やがて、146億円の借り入れ契約にあたり、取締役たちの印鑑まで偽造された疑いも浮上する。イトマン事件が公になると、これまで隠されていたKBS京都の実態も明らかになる。36年前、京都新聞グループを揺るがす危機は、こうして一気に表面化したのだった。
これが、いまなお京都新聞を悩ませるオーナー家との最初の衝突だった。
KBS京都は会社更生法の適用を受け、再建への道をたどったが、京都新聞本体では長く、白石家の影響力が残り続けた。その構造は、税務問題を招き、編集現場との緊張関係も生んだ。改革が本格化したのは、2021年に第三者委員会が設置されて以降だった。
京都新聞は、任天堂や京セラに代表される世界企業と大学・文化資本が集まる京都を地盤に、高い取材力を備えた地方紙の雄である。その新聞社で、何が起きていたのか。
その経過は、単なるメディア企業のモラルハザードという枠組みにとどまるものではない。日本が長く抱え込んできた、前例踏襲と責任回避の病を映している。
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(敬称略)
「週刊現代」2026年5月11日号より