宇宙で唯一の生命を育んだ「海」、あたりまえのようにそこにある「山」、そしてミステリアスな「川」……。地球の表情に刻まれた無数の凹凸「地形」。どうしてこのような地形になったのかを追っていくと、地球の歴史が見えてきます。
「地球に強くなる三部作」として好評の『 川はどうしてできるのか 』『 海はどうしてできたのか 』『 山はどうしてできるのか 』を中心に、地形に関する選りすぐりのトピックをご紹介します。
現在、諏訪湖から流れ出ている天竜川ですが、地質学的な観点から、かつて天竜川は信濃川と一続きに連なっていたのはないか、と推測した前回。さらにその先は、ロシアに続いたのではないか……。そんな大胆な仮説が飛び出しました。今回は、 その“天竜川はロシアから流れていた説”を推理していきます。
*本記事は 『 川はどうしてできるのか 』『 海はどうしてできたのか 』『 山はどうしてできるのか 』 (講談社・ブルーバックス)の内容を、再構成・再編集のうえ、お届けします。
思い出して欲しい…ユーラシア大陸と地続きであったことを
流れる方向は現在とは逆に、信濃川→犀川→天竜川と、日本海側から太平洋側へ流れていたと考えたいのです。では、この川の源流はどこでしょうか。
現在の信濃川が日本海に注ぐまでの流路には、源流となりそうなところを見つけることはできません。そこで、日本海を越えてみることにします。いまでは多くの人が、日本は1500万年ほど前にユーラシア大陸から分かれたのであり、それまでは大陸と地続きであったと考えています。
大陸の川が日本にまで流れてくるという仮定は、決してありえないことではないのです。日本海に出てくる淡水魚の起源がロシアの川にあるとする、生物学的な事実も多くあります。
信濃川のはるか延長上にある、ロシアへ続く流路をもつ「ウスリー川」
日本がかつて大陸のどこにくっついていたかはさまざまな考えがあってまだ決定打はないようですが、信濃川のはるか延長上に、接続先として私が考えている川があります。ウスリー川です。
現在のウスリー川はロシアの日本海沿いにあるシホテアリニ山脈からの雪融け水を源流とし、内陸に向かって中国との国境線にぶつかり、その後は国境に沿って北東へ流れて、ハバロフスクあたりでアムール川と合流している川です(図「ウスリー川と信濃川の位置関係」)。
しかし、かつてのウスリー川は南へ流れていたのではないか、そして信濃川に、ひいては天竜川にまでつながっていたのではないかと、私は考えています。シホテアリニ山脈から日本海へ注ぐ川があったとすれば、ウスリー川くらいしか考えられないからです。すると、天竜川の源流はロシアにあったということになります。
日本海が成立したことでウスリー川と信濃川の間が水没し、フォッサマグナによって信濃川と天竜川は引き裂かれ、中央アルプスの隆起にともない善知鳥峠が分水嶺となって、互いに反対の方向へ流れるようになったのではないでしょうか。
なんという大風呂敷を、と眉唾に思われるでしょうが、なかば本気でそう考えているのです。諏訪湖を源流とみるよりはまだしも、そのほうが理屈に合うからです。
しかし、このようなことを証明するためには当時の日本が大陸のどこにつながっていたのか、当時の信濃川がどう流れていたか、フォッサマグナはどう形成されたか、はたしてウスリー川は南へ流れていたのかなど、気の遠くなるような調査が必要ですから、現実的にはかなり不可能に近いといっていいでしょう。
この仮説について、少し別の角度からも考えてみます。いままでは善知鳥峠の北、天竜川の源流を模索してきましたが、今度は善知鳥峠より南、天竜川の下流を見ていきます。
断層、火山、地殻変動…地質活動で離散集合を繰り返して、“龍の姿”となったのか
細かくたどると、天竜川は何度も流路を変えています。まず善知鳥峠を出て、諏訪湖からの本流と合流すると、ほぼ北北東ー南南西方向に伊那谷を流れます。前述したとおり、上流とは思えない川幅の広さで、多摩川の上流とは趣が大いに異なります。
天竜峡のある飯田の南までまっすぐに下ると、少し蛇行しながら概ね北北西―南南東へと流路を変えて、佐久間ダムのある佐久間までほぼ南北に流れます。ここで南西からの豊川と分かれた川と合流して、東へ大きく流路を変えます。その河床には扇状地(あるいは三角州)ができています。
そのあと南北に走る赤石構造線とほぼ平行に流れ、二股で平野に出て大きな扇状地を形成し、浜松で海に流れ込みます。
おおまかに見ると、多摩川のような直線的な上流というものがなく、断層によって川がずれたり、くっついたり、海底谷が隆起して川につながったり、火山(設楽火山)の隆起によって分水界ができて分かれた川(豊川)とくっついたり、河口だった部分にできた扇状地(三角州)が隆起して川につながったり、を繰り返しています。
いわばいくつもの小さな川が、断層運動や火山活動、地殻変動などによって集合・合体することで、一頭の大きな龍のような川になったのではないか、というのが私の考えです。
United Plate of AmericaをもじればUnited River of Tenryuとでもいえるでしょう。プレートの境界を一本の川として流れている多摩川のようなタイプとはまったく違います。そして、日本の川の多くが、天竜川のようなタイプの川であると思われます。
仮説「天竜川は、かつてロシアから流れてきていた」
ここで再び、さきに述べた妄想に戻ります。
1700万年前ころ、日本列島は大陸の縁につながっていました。そのころ、ウスリー川から現在の信濃川、そして天竜川の佐久間のあたりまでつながる巨大河川が存在していました。それは佐久間のあたりで当時の海に注いでいたのでしょう。
1500万年前ころから、日本海が拡大を開始します。さらにフォッサマグナが形成されて、日本列島は現在の位置にまで移動します。それにともなってウスリー川、信濃川、天竜川は分断されて、別々の川になります。
その後、1300万年前ころには設楽火山の噴火によって分水界ができて、豊川の東の部分が天竜川につながります。第四紀(258万年以降)になると中央アルプスや南アルプスの隆起にともなって、善知鳥峠が分水嶺になるとともに、佐久間より南の地域が海底から隆起して、陸になります。天竜川は流路を伸ばしていき、現在の海岸線にまで到達します。こうして、現在の私たちが見ているような流路になったのでしょう。
大陸から流れてきた巨大河川が、いったんは分断されたものの、長い地質学的な時間を経て小さな川の集合体として現在の規模にまでなった―これが私の考える天竜川のなりたちです。
*
天竜川のミステリーツアー、いかがだったでしょうか。
- 第1回 そもそも疑問の発端は…どうも、おかしい。「天竜川の源流が、諏訪湖では不自然」な、ふたつの理由…塩尻の善知鳥峠に隠されている、日本列島の分水嶺をまたいだ「壮大な秘密」
- 第2回 信濃川と結ぶ大胆仮説…「木曽の山々が隆起する前」を、想像してみる…長野県のど真ん中を「南北に貫いている断層群」から見えてくる、列島を大縦断する、壮大な仮説の中身
本シリーズでは、今後も「地球と日本列島の地質史ミステリー」をご紹介していきます。どうぞご期待ください。
川はどうしてできるのか――地形のミステリーツアーヘようこそ
地球に強くなる三部作! 川の面白さは、家で地形図を広げて眺めているだけで、「なぜこんな姿をしているんだ?」という謎が次々に浮かんでくるところにあります。一筋の流れにひそむ、地球のマジックの謎解き、そして数々のドラマチックな物語を追います。 【姉妹刊】 海はどうしてできたのか ・ 山はどうしてできるのか