誰もが見落としているような日常のなかにある小さなドラマや繊細な心の機微を、鮮やかに描き出すエッセイスト・中前結花さん。
温かくやさしいその作品の背景には、愛情深く育ててくれた両親の存在や、幼少期から親しみ、気に入った言葉は書き留めてきたという歌謡曲・ドラマ・お笑いといったエンタメの存在があった。
新作『ドロップぽろぽろ』の大反響を受けて行うインタビュー第2回。
前編では彼女の個性を育んだ両親との関係について話を聞いた。
後編では、自身の結婚生活へ。“パートナーとの関係”について話を伺う。
そのままを受け止めてくれる
現在は結婚し、もう一つの新しい家族を築く中前さん。たとえば、本書の「あの朝とベーコンハンバーグ」を読むと、パートナーとの温かな日常の基盤にある確固たる信頼が伝わってくるエピソードが。一部抜粋しよう。
(以下、抜粋)“数時間後、そんなに遅くならずに夫は帰ってきた。2本の眉毛を水平にして、それはそれは申し訳なさそうに。「本当ごめんね。どうしても断れなくて。怒ってるの?」わたしはどんな顔をして迎えていいのかよくわからなくて、「怒ってない」と、さも怒っているようにつぶやいた。けれども、「本当ごめん。悲しかったね」そう繰り返されるとなんだか本当に悲しくなって、「ハンバーグが、作りたかった」と言ってわたしは泣いた。彼のシャツの裾を握りしめながら。そしてそのことに自分で、とてもとてもおどろいていた。「えっ」と戸惑う。ハンバーグが作りたかった、と言ってわたしは泣いている。泣いて、男の人を困らせている。「ハンバーグだったの? そうか、それは作りたかったよね。食べたかったよ、ごめん」彼は最大限寄り添ってくれるけれど、本当はどう思っているのだろう。ハンバーグぐらいでなにを泣いているのだと呆れているかもしれない。わたしだって、そう思うもの。”(以上、抜粋)ー『ドロップぽろぽろ〜あの朝とベーコンハンバーグ』より
素直に気持ちを伝えられる関係性
「今日は早く帰るよ」と言われた日、中前さんはそれなら美味しいベーコンハンバーグを作ろうと思っていた。しかし突然食事はいらないと連絡がきたのだ。帰ってきたパートナーは「ハンバーグが作りたかった」と泣く中前さんに対し、「仕事なんだから仕方ないじゃないか」とも言わず、そのまま受け止める。二人には、自分の気持ちを正直に伝えられる関係があることが伝わるエピソードだ。「こういう気持ちを言ったら嫌われてしまうかもしれない」などと考えず、そのまま素直に口に出せる相手がいる人はどのくらいいるだろうか。
「夫はもしかして感情がないのかなと思うくらい冷静で落ち着いていて、わたしとは正反対。でも、だからこそ、わたしのことを面白がってくれています。“こんなに心が動く人、初めて見た”と言われます」(中前結花さん、以下同)
歌の聴き方も対照的だ。中前さんはメロディだけでなく、歌詞の意味を深く探る。幼少期からひと文字、ひと文字を噛み締めながら音楽を聞き、歌詞に宿る物語を楽しみ、さらには制作者の背景にまで想いを馳せている。
「夫はこれまで歌詞を理解して聞いたことがなかったと言っていました。大好きなMr.Childrenの歌詞もよく知らないそうです。でも、ライブで『終わりなき旅』が流れたら、ポロッと泣いたんです。『どんなメッセージの曲だか知ってるの?』と聞いたら、『知らない』って。本当に真逆です。でも、わたしにできないことが何でもできるしっかりした人です」
毎日、何かに涙を流す自分をパートナーは面白がっていると話す。しかし、それはそのままの彼女を受け止め、包み込んでいるからではないだろうか。そしてまた中前さんも「歌詞を理解して聞いたことがなかった」と話し、物事を冷静に捉える彼をそのまま受け入れている。
「あなたらしいね」と言われること
お互いを尊重し合う関係は、彼女自身が両親から受けてきた日々が影響しているようだ。
「何をしても『結花ちゃんらしいね』と言って認めてもらい、許されてきたのだと思います」
そのひと言は、自分を肯定する土台になる。しかしそれは、決して当たり前ではない。そのままを受け止められ、肯定されることが、いかにその子の礎になるのか。中前さんのエッセイは、そのことを深く伝えてくれる。
「『あなたらしい』と言って育ててもらえたことは、本当に恵まれていたと思います」
正反対だから、うまくいく
中前さんの夢は、自身のエッセイがいつか実写化されること。そのときのキャスティングも、両親の役にはすでに明確なイメージがある。
「父役は明石家さんまさん、母役は小泉今日子さんです」
お節介でせっかちな父と、やわらかさの中に強い芯を持つ母。対照的な関係が、夫婦円満につながることを中前さんは実際に見ながら育った。
「父と母を見ながら育ったので、正反対だからこそうまくいくこともあるんだろうなと思います」
それはまるで、異なる光で地球を照らす太陽と月のように。止まれると安心があるからこそ進むことのできるアクセルとブレーキのように。それぞれが補い合い、お互いを認め合える関係性なのだろう。本書の「神様のテスト」で中前さんは、両親についてこうも綴っている。
(以下、抜粋)“よくわからないけれどもそのとき、母は父のことがすごく好きなんだろうなあと思った。そしてぼんやり父のことも、もしかするとなかなかいい奴なのかもしれないな、と思った。いまならわかる。とても愛されていたのだ。”(以上、抜粋)ー『ドロップぽろぽろ〜神様のテスト』より
正反対の両親が築いた関係は今、中前さんが受け継いでいる。
そして今日もきっと、中前さんは日常のどこかで些細な出来事に心を動かし、誰かの小さな親切に感動し、お気に入りの音楽を何度も聴きながら、冷静なパートナーの隣で涙を流しているのだろう。そしてそれらの一つひとつを丁寧に書き留めるだろう。そこから生まれた新しい物語はまたいつか、私たちのもとに届くに違いない。
【中前結花/なかまえ・ゆか】
兵庫県生まれ。2010年の上京以降、東京で活動。会社員、フリーランスのライター等さまざまな働き方を経て作家に。2017年、「ほぼ日」に掲載されたエッセイが話題となったことを機にさまざまなメディアでエッセイを書くようになり、俵万智や糸井重里氏、麒麟の川島明氏ほか著名人からも注目を集める。著書3作目のエッセイ集『ドロップぽろぽろ』が反響を呼んでいる。これまでの著書に『好きよ、トウモロコシ。』『ミシンは触らないの』(ともにhayaoki books)。
撮影/松井雄希
インタビュー/新町真弓(FRaUweb)