世界は「場」でできている!
物理学習者にとって難所となる「場」という概念。この「場」について、電磁場から量子場、そして重力場へと、マックスウェル、パウリ、アインシュタイン、ディラック、朝永振一郎、ファインマン――天才物理学者の思考の軌跡をなぞりながら、軽妙な語り口で見通しよく解説する『「場」がわかれば世界がわかる 電磁場・量子場・重力場 なぜ、波が伝わるのか』(講談社ブルーバックス)がついに登場しまします。
この記事では、「場」という物理学の概念のとらえどころのなさ、その”もやもや感”を解消させる本書の解説の展望を、「はじめに」からご紹介していきます。
*本記事は、『「場」がわかれば世界がわかる 電磁場・量子場・重力場 なぜ波が伝わるのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
「もやもや感」を解消してもらいたい
もともと「勢い」で生きている人間なので、こんなに長くこの本『「場」がわかれば世界がわかる』が読みつがれるとは考えていなかった。
そんなわけで少々、戸惑いながらこの新版へのまえがきを書いている。
私が書く科学書の多くは、「自分が初めて学んだとき、どこがわからなかったか」を整理して、「今ではどういうふうに理解しているか」を読者に伝えるようにしている。この本も例外ではない。
この本では、あの手この手で、「場」という抽象的でわかりにくい物理学の概念を、比喩的に説明したつもりだ。比喩と言うと、不正確ではないか! とお叱りを頂戴することも多いが、完全な正確さを求めるのであれば、そもそも学術論文を読んでもらえばいいのであり、一般読者向けの本には無理な注文だと思う。
さて、この本を初めて手に取ってくれている読者のために、本の内容を少しご紹介したい。
本の冒頭で「場」のとらえどころのなさを書いて、全体を読めば、そのもやもや感が解消されるゾ、と読者に思ってもらうのが私の狙いだ。
身近にある、連続している物理的な存在「場」
「場」という言葉は子供でも知っている。屋外で向かい風の中で自転車を漕こぐときは空気の場の中にいるし、海水浴のときは水の場の中にいる。空気や水の分子そのものは場ではないが(あとでこれも修正する)、あまりに小さく、人間は体感できないので、「粒々(つぶつぶ)ではなく、連続してつながっている」とみなすことができる。
「連続」という言葉も半(なか)ば学術用語であり、きちんと説明しないといけない。これはつまり「途切れていない」ということだ。空気や水の分子のイメージは粒々であり、ある分子と隣の分子との間には隙間がある。つまり、“連続していない”。
では、真に連続している物理的な存在があるかと問われても、すぐには思い浮かばないだろう。でも、私たちの身近に「それ」はある。おそらくほとんどの人が毎日使っている「それ」だ。朝起きたらすぐに手にするものは、今の時代ならスマホだろう。そのスマホは電波で通信している。そして、電波こそが「それ」なのだ。
電波にもいろいろあって、私みたいに古い世代なら、AMラジオとFMラジオとで電波の波長が異なることを知っていた。電波は文字どおり「波」であり、規則正しい波のくり返しのパターンの長さを波長という。
空気や水の波は、電波の波とどう違うのか
ここで少し前に戻って、空気や水の波は、電波の波とどう違うのか、考えてみよう。
空気の波を人間は「音」として感じることができる。音波である。でも、空気は分子レベルでは粒々であり、人間がそれを感じ取ることができないから、「連続してつながっている」と考えるわけだ。水の波も同じである。
では、電波の場合、人間が感じ取れないだけで、実は分子みたいな粒々の実体があるのだろうか。あるとしたら、それは何なのだろうか。
「場」とは何かを考え始めると、こんなふうに思考がぐるぐると回ってしまう。でも、どうか、先を急がないでほしい。受験問題のように、答えを先に見て解法のパターンを覚えるのではなく、ぐるぐると回って試行錯誤しながら、徐々に自分なりの理解へと近づく過程こそが、物理学の醍醐味だと私は思う。
で、電波の場合の粒々が何かといえば、それには「光子(こうし)」という名前がついている。
なーんだ、思わせぶりの発言の割には、電波だって、空気や水と同じだったのかぁ、がっかりだわ。
そう思われたかもしれないが、実は光子は、空気や水の分子とはだいぶ違う。なぜなら、空気や水は(なんらかの方法で)半分ずつに切っていけば、どこかで分子の大きさにたどり着いて、粒々として切り取ることができる。でも、電波の場合は、いくら細かく切っていっても粒々にはならないのだ!
あれ? 少し前に電波の場合の粒々は光子だと書いたばかりじゃないか。大丈夫なのか?
大丈夫です(キッパリ)。
二種類の素粒子
たしかに電波の粒々は光子だが、電波を細かく切り取っていっても、その粒々には到達しない。その代わり、電波の波長をどんどん短くしていって、ガンマ線くらいにまでなると、徐々に粒々の性質が顕(あらわ)になる。
ええと、このまえがきの段階で、「こんな煮えきらない本は読むのをやめた!」という読者が続出すると大変困るのだが、このような煮えきらなさが、「場」を考えるときに誰もがぶち当たる困難なのだ。
空気や水の波は、細かく切り取ると粒々が見えてくる。さらに細かく見ると、そこには電子やクオークという素粒子が潜(ひそ)んでいることが判明する。
電波については、細かく切り取るのではなく、波長が短くなるにつれて、粒々が見えてくる。その正体は光子という素粒子である。
森羅万象は素粒子からできている(ダークマター、ダークエネルギー、未発見の素粒子もあるので断言はしません)。その素粒子には大きく分けて二種類ある。
一つは空気や水の素(もと)になる電子の仲間とクオークの仲間。もう一つは、これらのグループの間に「力」を伝える光子などの仲間。前者はモノのイメージであり、後者はモノのあいだにはたらく力だ。そして、後者の代表である光子は、波長が長いと電波などと呼ばれているが、物理学では「電磁波」や「電磁場」などと呼ぶ。
そろそろ最後の関門についても書かなくてはならない。
電子やクオークであれ、光子であれ、森羅万象は「量子力学」に支配されている。そこでも「場」という考えが使われており、「量子場」と呼んでいる。
ここまでの話をまとめてみよう。身近な空気や水の波も「場」とみなすことができるが、電波は本質的に場(電磁場)であり、さらに根本的なレベルで世界は「量子場」からできている、というストーリーだ。根っこのところは量子場で、その上のレベルへ上がっていくにつれて、どこかで空気や水がふたたび「場」として見えてくる。そんなイメージかもしれない。
ゴメンナサイ。
まともに書くと、「場」というのは、このように訳がわからなくなってしまう。でも、どうか安心を。この本は、いろいろな角度からさまざまな「場」を吟味(ぎんみ)することで、訳がわからない状態から、なんとなくわかった状態まで、読者を誘いざなうために書いたのである。
どうか、本を一読してからふたたび、この新版へのまえがきに戻ってきてほしい。
そして、「ああ、そういうことだったのか」と、読前と読後でみなさんの理解度がちょっぴり上がり、次のレベルの疑問が生まれたならば、サイエンス作家としての義務が果たせたのかなと思う。
2026年早春 竹内 薫
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訳がわからなくなってしまう「場」という概念。この「場」について、電磁場から量子場、そして重力場へと、話題は展開します。
まずは、「量子とは何か?」という問いに、日本人2人目のノーベル賞受賞者にして「くりこみ理論」で知られる朝永振一郎博士の言葉をご紹介しながら解説していきます。
「場」がわかれば世界がわかる
電磁場・量子場・重力場 なぜ波が伝わるのか
電磁場から量子場へ――マックスウェルの歯車模型という「電磁場」の姿。
量子の不思議な振る舞い<生成と消滅>を描く「ファインマン図」を手掛かりに見とおす「量子場」への発展。そして、現代物理学の難題「重力場」について、アインシュタインの重力からその最新研究まで紹介。マックスウェル、パウリ、アインシュタイン、ディラック、朝永振一郎、ファインマン――天才たちの思考を軽やかに横断し、「場」という現代物理学の根源が手ざわりをもって理解できる。 ●巻末特別収録「ヒッグス場の話」
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