子供時代をサーカスで暮らした著者が、廃業後の芸人たちの生活を記録した私的ノンフィクション『サーカスの子』がこの度文庫版で刊行された。単行本刊行時、今作の出版はキグレ・サーカスで暮らした人々が再び連絡を取り合うきっかけとなった。かつての団員が令和に再生させたサーカスの光景を著者の稲泉連さんがつづった『サーカスの子』の「文庫版のあとがき」を特別に公開します。
単行本出版後に目の当たりにした夢の続き
本書の単行本が出版された二〇二三年の春のことだ。母が当時暮らしていた那須の自立型サービス付き高齢者向け住宅の近くの敷地で、小さな「サーカス」が開かれることになった。
那須連峰を望む見晴らしの良いその場所を、母は「原っぱ」と呼んでいた。家から少し離れた丘陵地に借りた土地で、同じ高齢者住宅に暮らす人たちと協力して作ったベンチや手づくりの舞台が置かれていた。母はそこで那須の仲間とお茶会を開いたり、結成した人形劇団でマザーグースの劇を披露したりしていた。
この「原っぱ」でサーカスが開かれることになったのは、『サーカスの子』が書店に並んだ後、亀田さんや美一さん、由紀さん、慎作さん、そして、母といった当時の仲間たちが連絡を取り合い、「一度、みんなで集まろう」という話になったからだった。その際、ただ集まって酒を飲むだけではなく、何か少し趣向を凝らした催しをやろう、という話になったらしい。そこで今も「おひとりぼっちサーカス」を芸として続けている亀田さんに、舞台をやってもらうことになったのである。
その日、晴れ渡る那須の広い空の下で行われた亀田さんのショーには、告知を見た周囲の住民やサ高住の人たちが集まった。母の人形劇も開かれ、劇団のゲストとして参加する女性がアコーディオンを弾き、豚汁やおにぎりの屋台なども用意された。
やがて「おひとりぼっちサーカス」の時間になると、舞踏家風のメイクをした由紀さんがあらかじめ置かれた「丸盆」の横でポーズを取り、じっと観客を見つめ始める。かつて亀田さんとコンビを組んでいた彼女による演出だ。それから司会進行を務める美一さんの紹介でクラウン姿の亀田さんが現れると、いよいよ「サーカス」が始まった。
サーカスで過ごした時間は続いている
亀田さんは軽妙なトークとパントマイムで観客を引き込みながら、ジャグリングや玉乗り、一輪車、綱渡りといった芸を次々と披露していった。その度に、観客席からは温かな歓声が上がった。
僕はその様子を慎作さんと並んで眺めながら、胸に何とも言えない感動が広がってくるのを感じていた。サーカスの持っていたあの独特の哀感――それが那須の「原っぱ」で開かれた小さな亀田さんのショーにも、確かに宿っていると感じられたからだった。
そう、それはとても穏やかで幸福な時間だった、と今でも思う。空中ブランコのような派手な芸がなくても、幼い頃に夢中になって観たキグレサーカスの舞台にも漂っていた何かが、そこには表現されていた。
本書の中でも書いたように、あるとき唐突に街の空き地に現れるサーカスは、公演の終わりとともに風のように姿を消す。すべての荷物や動物たちがトラックに載せられ、がらんとした空き地にテント村の跡だけを残して。
日常の中に突如として作り出され、たちまちのうちに消えていく「非日常」という時間――。
この日、「原っぱ」に生まれたささやかな時間もまた、サーカスというものが作り出す、そうしたひとつの小さな風景だったのだと思う。
キグレサーカスが廃業してから十五年以上の歳月が経つ。小学校に入る前、ほんの一年足らずの間であったとしても、そこで過ごした記憶の断片は僕にとって人生の大切な一部であり、かけがえのない“共に生きる過去〟であり続けてきた。
様々な事情を抱えた人々がどこかで家族のように支え合い、「非日常」を「日常」として生きていた場所。僕はそれを「失われた故郷」のようなものとして描いたけれど、亀田さんたちの作り出したサーカスの風景を見ていると、そこに確かにあったサーカスの風景は今も失われることなく、彼らの心の裡でずっと途切れずにつながれているものでもあるのだ――と思った。そのとき、僕はこの本を書くことができて、本当によかったと感じた。