先端医療装置に支えられた外科手術、大幅に進歩した化学療法など、華々しい最新の治療法が開発されている「がん」の治療。しかし、残念なことに現在も、多くの先進国で死因トップに君臨し続けるのはがんです。
がんは遺伝などの先天的な要因より、 日々の「習慣」に大きく左右されることが明らかになってきており、がん対策の決め手は「予防」であると言われています。しかし、必要だとわかっていても習慣のコントロールはなかなか難しいものです。
患者が後悔するのをもう見たくない――この切実な思いから、新しい概念「がん活」を勧めるのが、内科医師で、大阪公立大学教授の川口知哉さん。
川口さんがこの度出版した著書『「がん活」のすすめ 科学と名言でつくる「がんを寄せつけない習慣」』では、退屈で面白くないがん予防の習慣を、賢者たちの「名言」を支えにして前向きに、軽やかに行う、というユニークなもの。では、「名言でがん予防」とは、いったいどういう方法なのでしょうか。
今回は、がんをはじめ、心筋梗塞や慢性肺疾患などに影響する喫煙と、がんの予防についての解説をお届けします。
*本記事は、『「がん活」のすすめ 科学と名言でつくる「がんを寄せつけない習慣」』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
1954年の「衝撃の報告」
喫煙と肺がんの関係はいまでこそ常識となっているが、科学的に証明されたのは、それほど 昔のことではない。1951年、イギリスのリチャード・ドール博士とオースティン・B・ヒル博士は、4万人もの医師を対象にした大規模な追跡研究を半世紀以上にわたって行い、喫煙と肺がんの因果関係を初めて数字で示した。「英国医師研究(British Doctors Study)」と呼ばれる前向きコホートだ。
1954年には、喫煙者は非喫煙者に比べて肺がん死亡率が大幅に高いという報告を発表 し、医学界の常識を覆した。一方で、この研究では、禁煙した年齢が若いほど、肺がん死亡および全死亡のリスクが低下することが確認され、禁煙の長期的な利益が明らかとなった。
当時は、肺がんの原因は大気汚染や排気ガスであると考えられており、たばこが直接関与していると真剣に信じる人は少なかった。しかし彼らのデータは明確であり、以後は、心筋梗塞や慢性肺疾患、食道がんも喫煙と関連することが次々に示されていった。それでも、イギリスでたばこ規制が本格化するのは1960年代になってからであり、たばこの販売量が減少に転じたのは1970年代のことであった。
なお、ヒル博士は結核治療薬の研究において「無作為化比較試験」という統計学的に新しい方法論を確立した人物でもある。今日、抗がん剤やワクチンの効果を検証する臨床試験の根幹を築いたという意味でも、人類史に残した足跡は大きい。拙著『「がん活」のすすめ』でも多くの無作為化比較試験のデータを取り上げた。
データが証明していた、喫煙と死亡リスク
米国の「American Cancer Society」が喫煙と死亡リスクの関係を長期にわたって追跡した大規模前向きコホート研究「Cancer Prevention Study(CPS)」シリーズは、1960年代に100万人規模で開始されたCPS-Iと、1980年代に約120万人の米国成人を登録したCPS-IIからなり、『The New England Journal of Medicine』に発表された報告では、 喫煙者は生涯非喫煙者に比べ、肺がんによる死亡率がおおむね20倍前後に達することが示された。
これは喫煙と肺がんが単なる相関関係ではなく、喫煙が肺がん死を桁違いに押し上げることを何十年もの追跡データで裏づけるものであった。
遅すぎる禁煙はない
さらにこの解析では、禁煙の効果も明確に示されている。禁煙すれば5〜 10年で、肺がんでの死亡リスクは目に見えて低下し、15〜20年でさらに大きく下がる。ただし禁煙から30年経過しても、生涯非喫煙者と完全に同じ水準までには戻らず、わずかな「残余リスク」が残ることも報告された。
ここから読み取れるのは、「喫煙は肺がん死を劇的に押し上げるが、やめるのが早ければ早いほど確実に下げられる」という、きわめて実践的なメッセージである。「NIH-AARP Diet and Health Study」は全米の代表的な前向きコホート研究で、70歳以上の約16万人を対象として、禁煙開始年齢と死亡リスクの関連を詳細に検討している。
これによれば、喫煙を継続した人と比較すると、30〜39 歳で禁煙した人では死亡リスクが59%低下した。40〜49歳で禁煙した人では49%、50〜59歳で禁煙した人では36%、そして60〜69歳で禁煙した人は23%、死亡リスクが低下していた。
この結果は、若い時期の禁煙ほど得られる利益は大きいものの、60代での禁煙でも、死亡リスクが約2割低下するという、しっかりとした効果があることを示している。よって、「遅すぎる禁煙はない」というメッセージは、疫学的データによって確実に裏づけられているのである。
日本の国立がん研究センターによる多目的コホート研究であるJPHC(Japan Public Health Center-based)研究でも、喫煙と肺がんリスクの関連は詳細に報告されてきた。この調査では喫煙者の肺がんリスクは、非喫煙者に対して男性で4.5倍、女性で4.2倍にのぼり、禁煙後10年以上でリスク低下が確認された。
この傾向は欧米にかぎらず、アジア太平洋地域の複数のコホート研究を統合解析した結果でも同様に認められ、文化や民族の違いを超えて普遍的に適用できることが示されている。これらの研究は一貫して、「喫煙はがん、とりわけ肺がんに対する最大のリスク因子であり、禁煙は年齢を問わず有益である」というメッセージを示している。
では、喫煙ががんの原因になるのは、どういった仕組みなのだろうか。
喫煙ががんの原因になる、「分子生物学的しくみ」
喫煙ががんの原因になることは、多くの分子生物学的研究が裏打ちしている。
なかでも肺がんとの関係を調べた研究は多数あり、著者らが行った全国多施設の前向き研究である「日本分子疫学肺がん研究(JME試験)」でも、がんに関する遺伝子KRAS変異が、喫煙本数に比例して発生していることが証明された。
KRASという遺伝子は、本来 は細胞の「増殖スイッチ」を制御する重要な役割を担っている。ところが、たばこの煙に含まれる発がん性物質がDNAを傷つけると、このスイッチ部分に誤作動が起き、「止まらないアクセル」のように細胞分裂を促しつづける異常な遺伝子(KRAS変異)に変わってしまうのだ。
人間の弱さを受け入れ、ユーモアに昇華させた才能
煙草をやめるなんてとても簡単なことだ。 私は百回以上も禁煙している。
マーク・トウェイン
(1835-1910 アメリカの作家)
19世紀アメリカ文学を代表する作家であるマーク・トウェインは、ミシシッピ川沿いの町に生まれ、若い頃は印刷工や蒸気船の操縦士として働き、南北戦争後に記者として文筆活動を始めた。その後、『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』などの冒険小説を発表して一躍、世界的な名声を獲得した。
彼の作品は単なる児童文学ではなく、アメリカ社会の人種差別や貧困といった問題を鋭くかつユーモラスに描き出した点で、社会批評としても高く評価されている。
トウェインはまた、皮肉や機知に富んだ発言を数多く残したことでも知られる。
禁煙についての有名なこの言葉は、愛煙家の彼自身が禁煙に繰り返し失敗した経験を自嘲気味な笑いに変えたものとされ、禁煙の難しさとともに、彼が人間の弱さを受け入れユーモアに昇華させる才能の持ち主だったことも示している。
101回目に成功すればよい
多くの人が「やめたい」と思いながら、失敗を繰り返す。それが禁煙の現実である。しかし逆に言えば、 これまで紹介した疫学研究が証明しているように、禁煙は100回失敗しても、101回目に成功すればよいのである。
近年は禁煙外来やニコチン代替療法(NRT)など、社会全体で禁煙をサポートするしくみも整備されてきた。
いま、トウェインの言葉は、禁煙の挫折を笑い飛ばしつつも、それでも挑戦をあきらめなかったことのほうに力点を置いて、読み替えられるべきなのである。
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次回は飲酒とがん予防についてお届けします。
「がん活」のすすめ 科学と名言でつくる「がんを寄せつけない習慣」
華々しい治療法が開発されている現在も、がん対策の決め手は「予防」だ。地道で面白くない習慣を続けるには、先人の「名言」が効く!