かつて20万人もの構成員を擁した暴力団。
覚せい剤の輸入や賭博、みかじめ料の徴収で莫大な収益を上げ、1980年代の年間収入は推計8兆円に達したと言われる。だが平成に入って以降、暴対法の制定や警察の行き過ぎた捜査、メディアによる批判的な報道が原因となり、暴力団は衰退の一途をたどってきた。
では、暴力団が社会から消えていくことは、我々一般国民にとって「良いこと」だけなのだろうか?しばし「必要悪」として語られてきた“やくざ”の実態を、『やくざは本当に「必要悪」だったのか』より一部抜粋・再編集してお届けする。
山口組型の集金法を全否定
司が山口組3代目・田岡ばかりか、初代、2代、4代目・竹中、5代目・渡辺の墓参などに、組を挙げて取り組むよう号令をかけるのは「温故知新」や「先代を大切に」などの言葉を裏切り、むしろ月会費などの面で逸脱するものと解されるのは当然だった。
「一人一人の組員が食えるように」というのが山口組3代目・田岡の大義だとすれば、司—髙山ラインが推し進めたのはそれからの著しい逸脱行為だった。神戸山口組が反旗を翻したのも理解できる。
事実、神戸山口組は発足時、6代目本部に比べて月会費を大幅にダウンした。月額は役付き(幹部)30万円、中堅20万円、ヒラの若衆10万円だった。ヒラの若衆で比べるかぎり6代目の若衆に比べれば、上への拠出額は10分の1以下だった。その頃、6代目山口組本部ではヒラの若衆が支払う月会費は月額115万円(プラス積立金10万円)だった。
さらに神戸山口組本部では中元、歳暮を井上邦雄組長に贈ることを禁止し、組長は自分の誕生日祝いをせず、組長への誕生日祝いのプレゼントも禁止された。つまり神戸山口組は司組長—髙山清司若頭支配の6代目山口組型の集金法を全否定する形でスタートを切った。
大義を失った…?
このような流れに立つならば、分裂の時点で山口組の大義は神戸山口組に遷ったといわざるを得ない。「末端の若い組員が食える」がやくざ首脳の使命、大目標なのだから。
このことは数字からも裏付けられる。山口組の直系組長(直参)は司忍組長が6代目を襲名する前、1991年末には116人いた。ところが神戸山口組が分裂したころには59人へと半減していた。
当時の直参組員の3分の2は高額な月会費(上の組織が値上げすれば、それより下の組織からその分を集金しようとするから、当然月会費も値上げすることになるが、値上げを受容できる組員はごく少数である。要するに下からの会費では、本部に納める月会費を補填できない)やシノギの苦しさから6代目山口組を去っていったという。
【後編を読む】毎月約1000万円を吸い上げる…山健組の組長を兼ねた神戸山口組・井上組長の「集金システム」