ロシアによるウクライナ侵攻、世界的な移民排斥運動、権威主義的国家の台頭、トランプ2.0、そして民主主義制度基盤の崩壊……。
「なぜ世界はここまで急に揺らぎはじめたのか?」。
講談社現代新書の新刊、『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』(川北省吾 著)では、共同通信社の国際ジャーナリストが、混迷する国際政治の謎を解き明かすために、国際政治学者や評論家、政治家や現場を知る実務家へのインタビューを敢行。辿り着いた答とは?
本記事では、〈「トランプを当選させるため、ロシアが介入していた」…世界を驚愕させた、介入を命じた「張本人」〉に引き続き、プーチンの右腕・スルコフによるプロパガンダ戦略について、グレン・カールの分析を見ていく。
※本記事は、川北省吾『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』より抜粋・編集したものです。
全権力を指導者へ
プーチンの右腕となったのが、「灰色の枢機卿」と呼ばれた側近ウラジスラフ・スルコフだ。ソ連時代の1964年に生まれ、モスクワ国際関係大学で経済学修士号を取得する。金融やメディアの世界で働いた後、政界に足を踏み入れた。
99年、34歳の若さでロシア大統領府副長官に就任。翌2000年に大統領となったプーチンに重用され、要職を任される。最重要任務が「色の革命」に対抗する国内のプロパガンダ戦略を策定することだった。
当時、ロシアは1991年のソ連崩壊から10年近くを経て、産出する原油の高騰によって再起を遂げつつあった。スルコフはプーチンの掲げる「強いロシア」復活に向け、新たな手法を編み出す。
カールによれば、その核心は「全権力を指導者へ」というものだった。1917年のロシア革命の際、「全権力をソビエトへ」と唱えた革命家ウラジーミル・レーニンのように、スルコフは権力をプーチンに集中させようとした。
「色の革命」に伴う民主化の波はロシアにも迫っていた。だが、個人の権利を重んじる民主主義は西側の価値観に基づく政体だ。ロシアでは中世の農奴制に始まり、長らく個人が国家に従属してきた。
「スルコフはそうした歴史的土壌から生まれた伝統主義者だ」とカールは言う。「プーチンと同じく、西側の価値観は自分たちの伝統を破壊し、ロシアの偉大さを否定する『悪』だと見なした」
だからこそ、スルコフは「全権力を指導者へ」集め、ロシアの伝統にのっとって国を一つにしようと試みたという。2000年にプーチン政権が発足してから10年近く、政敵や反体制派の力を弱める情報工作を推し進めた。
オーウェルの世界
「その手法は恐ろしいほどオーウェル的だ」とカールは語る。オーウェルとは、全体主義を鋭く風刺した寓話小説『動物農場』や、これに続く『1984』などの作品で知られるイギリスの作家ジョージ・オーウェル(1903~50年)である。
とりわけ『1984』は、「ビッグブラザー(偉大な兄弟)」率いる独裁政党が国民を監視、統制する暗黒の未来を描いた書として知られている。オーウェルはこの作品で「逆さまの世界」を描いた。
「逆さまの世界」とは何か。「真理省」という名前でありながら政治宣伝を垂れ流したり、「平和省」と名乗りながら戦争を継続したり、「愛情省」をうたいながら恐怖と暴力で支配したりする世界である。
「若い頃に読んだ時は、ばかげたSFに思えた」とカールは打ち明ける。「だが、それは完全な誤りだった。オーウェルは49年に刊行したあの小説で、ソ連という全体主義国家の本質を正確に描いてみせたのだ」
「だから『オーウェル的』というのは、真実を操作することによって国民の思考形成に影響を与え、究極的には心を支配することを意味する。うそであっても、繰り返せば人は『真実』と受け取るようになる。ナチスの独裁者ヒトラーを見ても明らかだろう。情報の中身より、誰が最も大きな声で、最も多く語りかけるかがものを言う。スルコフは本質的に同じことをやった」
具体例を聞くと、カールは「真理省」に言及した。
「あの小説には『真理省』という役所が登場する。名前とは逆に、真実を歪曲したプロパガンダ(政治宣伝)を垂れ流している役所だ。スルコフも21世紀のロシアに『真理省』的なシステムを構築し、民衆の認識や信念を操作した。彼にとって真実とは、指導者がそう思わせたいものでしかない」
カールによれば、スルコフはそのためにメディアを統制した。都合の悪い真実から国民の目をそらす「もう一つの事実」をテレビ画面に映し出し、プーチンが世論を操るための基盤づくりを推し進めたという。
新たな技術も活用した。今では顔認証をはじめ、かなりの程度、個人の行動を追跡、監視することが可能だ。「トラッキング」と呼ばれる手法を使えば、個人の嗜好や行動パターンなども把握できる。
トラッキングとは、特定のユーザーが閲覧しているウェブサイトの情報を追跡、分析する技術である。アクセスしたサイトの履歴や閲覧回数、趣味や関心の所在、商品購入の有無や位置情報などを把握できる。
「一例を挙げよう。私はパソコンで芝刈り機を検索したことなどない。それなのに商品広告が送られてくる。デジタル技術によって、庭の手入れに関心を持つ人間だと知られているのだ。ロシアは国家的規模でこれをやった。ソ連崩壊でバラバラになった国を再び一つに束ねるため、国民を監視し、真実を操作し、プーチンに都合の良い情報につくり替えて国中にばらまいた」
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さらに〈「難民を武器化」し、ロシアが狙う「欧州の不協和音」…難民受け入れを巡る対立は、プーチンが描いた筋書き通り〉では、プーチン政権が欧州の民主主義を内部から崩壊させるために行なった工作の実態について詳しく見ていく。