がん治療の医者が「がんで死にたい」と言ったワケ
FRaU webでは、今月4日に「ポックリ死より老衰死よりがん死がいい? 医者が「私はがんで死にたい」と考える理由」と題した、『私はがんで死にたい』(小野寺時夫著/幻冬舎新書)を紹介する記事を出したところ、SNSには賛否両論、以下のような様々なコメントが上がった。
「80歳を過ぎた父に大腸がんが見つかり、医者が切れば治ると言ったので手術してもらった。がんは無くなったが、長い入院生活で身体が不自由になり、そのうち言葉も喋れなくなって、最後は植物人間のようになってしまった」
「死ぬことに伴うかもしれない痛みや苦痛が怖い。 長生きするのに越したことはないけど、痛みや苦痛を伴った状態で長生きはしたくない」
「たしかに母の末期も意外と穏やかで、少しうらやましいとすら思った。手術という選択もあったけど嫌がって家に帰って、点滴ひとつもせずに、好きなものを好きなだけ食べて、食べられなくなったころに眠るように静かに逝った。先生や看護師さんが状況を見ながら本当にうまいこと導いてくれたことに感謝している」
本書『私はがんで死にたい』は、今から13年前の2012年に株式会社メディカルトリビューンより刊行された本の新装版だ。著者の小野寺時夫さんは、元消化器がん外科専門医で、35年以上にわたって5000人以上のがん治療をし、その後ホスピス科医師兼ホスピスコーディネイターなどを歴任し、2019年10月にがんで逝去されている。
がんの外科治療の最前線でがんと闘ってきた小野寺氏が、心筋梗塞や脳出血などによる「ぽっくり死」「突然死」よりも「がん死」を望むのは、医者として、突然死のつらい現実を知っているからだ。
本書の「はじめに」では、ふたつのケースを紹介している。
ひとつは、「50年間ふたりで苦労して農業を営んできたのに、ある晩、ささいな口喧嘩の後、毎晩欠かしたことのない風呂に入らず、早々に床についた夫が、翌朝息をしておらず、以来、後悔と無念さで2年経っても眠れないという女性」の話、もうひとつは、「従業員15人ほどを抱える会社経営者の夫が心筋梗塞で急死したために、会社経営に関わってこなかった遺された妻子が経済的に追い詰められた」という話だ。
こうした不幸な例を見てきた小野寺氏は、がん死は「例外もある」と前置きしつつも、「多くの場合で助からないとわかってからも半年から2年ぐらい普通に生活できる期間があります。そう長くはない期間ですが、人生の最期を自分なりに締めくくることもできます」「がん死につらい面があるのは事実ですが、がん死は心、魂、感情を持つ人間に最も相応しい死に方なのです」と書く。
小野寺氏が執筆されたころに比べると、がん治療体制も変化しているが、著書に書かれているように、日本は他国に比べると「手術至上主義」という側面もある。そのため、13年前に本書を書かれた当時の小野寺氏は、「自分が高度進行がんだとわかったら手術はしない」という。
高度進行がんとは、がんが周囲の臓器組織に浸潤(原発のがん細胞が直接に周囲の組織や臓器に拡散すること)していたり、他の臓器に転移したりしているがんを指す。
――『私はがんで死にたい』(小野寺時夫著)より
現役外科医だった頃は、自身も積極的に手術をやってきた小野寺さんが、なぜこのように考えるようになったのか。また、高度進行がんに対して延命効果が期待できない「無理な手術」とは、どのようなものを指しているのか。本書より、抜粋掲載してお伝えする。
医師も患者さんも手術を妄信している
私が現役外科医だった時代の学界では「手術至上主義」が支配的でした。どんな進行がんでも積極的に手術する医師が「名医」といわれ、大学の教授にもなった時代が長く続いたのです。私自身も、膵臓がんや肝臓がんなどに対して患者さんのためにならない手術をたくさんやりました。
しかし、積極的な手術が無意味なことを次第に認識し始め、 1976年から、私は進行膵臓がんは切除しないで、開腹下に多量の放射線をかけて胃腸バイパス手術を加えるという治療法を数年試みました。そして、この治療法の生存期間が切除手術に劣らないことを知りました。
3年後、日本消化器外科学会の「膵臓がんの治療」のパネリストに選出され、治療成果を発表しました。しかし、司会者の教授が最後に「外科医が手術以外の治療法に逃げるのは本末転倒で、外科医はあくまで手術で治すべきである」と総括したのです。明確な成績を示しても手術以外の治療は認めようとしなかったのです。
もちろん現在は昔とまったく状況が違います。がんの早期発見が進み、内視鏡切除や腹腔鏡・胸腔鏡手術の登場など、切除するにしても最小限に留め患者さんの負担を少なくするようになってきている今日、昔のように進行がんを無理に切除することは減ってはいるのでしょう。
しかし、ホスピスに来る患者さんに接していると、相変わらず高度進行がんに対して無意味と思われる手術を受けた方が驚くほど多いのです。
一方、「手術至上主義」は患者さんにもいえます。
医師が「がん切除は無理だと思う」と話すと、「どうしても切除できなければ諦めるから、手術だけはしてみてほしい」という人もいますし、ときには、手術してくれる他の病院に転院する人もいます。 ある程度以上に進行したがんは、たとえがんを切除できても治ることがないのはもちろん、手術ストレスや後遺症で命を縮める危険があることを、患者さんもよく理解する必要があります。
高度進行がんを切除しても延命効果がない理由
高度進行がんとは、がんが周囲の臓器組織に浸潤(原発のがん細胞が直接に周囲の組織や臓器に拡散すること)していたり、他の臓器に転移したりしている場合です。
日本のがん手術の特徴は、高度進行がんに対しても原発がん(がんが転移した場合の大元のがん)の切除を積極的にすることと、がんの周りのリンパ節や脂肪組織などをできる限り広く切除する「広範囲郭清(手術の際に、がんを取り除くだけでなく、がんの周辺にあるリンパ節を切除すること)」の2つです。
がんは大別して2つのタイプがあります。ひとつは、がんが周囲の組織に「浸潤」するとともに、離れた部位に「転移」を起こすタイプです。「浸潤」とは、がん細胞が周りの組織に喰い込むように広がっていくことです。
もうひとつは、治療しないで放っておいても、次第に大きくはなるが浸潤や転移を起こさず命取りになりにくいタイプのものです。
どちらのタイプなのか診断時にわかるといいのですが、現実には経過を観察してみなければわからないことが多く、また中間型のものもありますから、話は複雑です。
手術で治るがんは、浸潤や転移がないか、あっても原発巣の近くに限られている場合、 あるいは放っておいても命取りになりにくいがんの場合なのです。手術後に手術部位に再発したということは、がんが取り切れないで残っていたものが手術の後に発見されるまでに成長したということなのです。
浸潤や多発の転移(複数の部位にがんが転移すること)がある場合は、無理に原発巣のがんを切除してもほとんど延命はできません。直径1mmのがんにがん細胞が100万個もあるのですから、目に見える浸潤を全部切除し、そのうえ周囲のリンパ節や脂肪組織などを徹底的に切除しても、散らばっているがん細胞を根こそぎ取り去ることはできないのです。
浸潤性のがんでは、莫大な数のがん細胞が絶えず血液中に流れ出て全身を巡っています。手術後に転移が発生したということは、手術時にすでに飛び火していたものが増殖してやがて検査でわかるまでの大きさに成長したということなのです。転移したがん細胞のほうが悪性度が高く、転移したがんで命取りになることが多いのです。
高度進行がんを無理に切除すると、残ったがん細胞の遺伝子が変わるのか、手術ストレスで患者さんの免疫力が低下するのか、がん細胞が突然、勢いづいたがごとく、術後あっという間に再発したことがあります。
がん切除は、がんの種類や部位によっては大手術になって後遺症を免れ得ません。
例えば、喉頭がんを手術すると、声が出なくなって首に作った気管孔(肺に空気を送ったり、痰を吸引しやすくするために気管に開けた小さな孔)から呼吸しなければならず、 首の著しい変形も避けられません。
膵臓がんでは、がん切除のために胃の一部、十二指腸、胆管の一部を切除する大手術になることが多く、食道がんでは食道を切除して胃を細くして持ち上げるためにやはり大手術となり、ともに手術合併症も多いのです。また、特に食道がん、口腔・頸部がんの手術後には口から物を食べるのにさまざまな障害を起こすことが少なくありません。
◇医療側と患者側の双方に根深い「名医神話」が存在する。そして、がんと告げられた瞬間、多くの人は「名医に切ってもらえば助かる」と信じてしまう。だが、名医とはいったい何を基準に決めるのだろう。
*本記事は『私はがんで死にたい』(小野寺時夫著)を基本とした、著者の考え方とがんの経験に基づいたお話です。がんの症状は個々それぞれ異なり、がん種や進行度によっても治療は違います。がんに罹患された際にはご自身のがんの専門医である医師としっかり話して治療を行ってください
第4話「『名医』を信じてがんの外科手術を選んだ結果…声を失い、生活を失い、後悔だけが残った患者の現実」では、その信仰がどれほど患者の人生を左右してしまうのか、実例でお伝えする。