歌手の舟木一夫が振り返る和泉雅子
吉永小百合さん、松原智恵子さんと「日活三人娘」と呼ばれた和泉雅子さんは7月に原発不明がんで亡くなった。
10歳から子役として活動、’61年に日活に入社すると数々の青春映画に出演した。
『あゝ青春の胸の血は』(’64年)、『北国の街』(’65年)など、6作品も和泉さんと共演した歌手の舟木一夫さんは、こう振り返る。
「非常に小ざっぱりした人でした。ボーイッシュな雰囲気と明るさを持った方で、遠慮や気遣いを一切せずに接することができる。だから、最初の共演もスムーズに進みました。
思い出に残っているのは、僕が主演を務めた映画『絶唱』(’66年)です。当初、ヒロインの小雪という役を誰が演じるのか決まっていませんでした。小雪は病弱な設定なので、監督は『マコちゃん(和泉雅子)には向かないかな』と話していたんです。すると、彼女は2ヵ月で8kgも痩せて『この役をやりたい』と言った。根性とガッツに驚きましたね」
成功や失敗にこだわらない
その体当たり精神は、誰もが想像しない分野でも花開く。’83年12月から翌年1月に、番組レポーターとして南極を長期取材した和泉さんは、北極点に立つことを目標に掲げたのだ。和泉さんは当時37歳。「流石に無謀すぎる」と話題になった。
’85年に冒険家・植村直己さんの夫人などの協力を得て北極点を目指すも失敗。この冒険に1億円以上を費やしたことで借金まで背負ってしまう。
それでも講演会などを地道に重ねて完済した。そして’89年、日本人女性として初めて北極点到達に成功。舟木さんがこう語る。
「思いついたことはすぐ行動に移すタイプだから、マコちゃんらしいと感じました。北極から帰った後に再会したのですが、日焼けで肌がボロボロになっているんです。『女優なのにダメだよ』と心配しましたが、本人が気にしている様子はありませんでした。
女優業でも冒険でも、マコちゃんは成功や失敗にこだわらないのです。いつでも自然体で、やりたいことをやるだけ。僕のことを『舟木君』と気さくに呼んでくれるのも彼女だけだったので、亡くなったのは寂しいですね。訃報を聞いたときは自然と涙が流れてきました。いまだに実感がわいていません。それでも、ともに仕事をした思い出は僕の中で永遠に残り続けています」
数奇なキャリアの奥には、ブレない信念があった。
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「週刊現代」2025年12月22日号より