「上司のひと言をさらっと聞き流せない」「ゆらいでしまう自分を変えたい」「気づけば自己否定でまとめてしまう自分がいる……」――。
こうした状態は「いのちの泉が枯れている」場合が多いと著者の稲葉俊郎さんは言います。稲葉さんは西洋医学だけでなく、東洋医学や代替医療、心理学も修めた医師です。
治療現場や旅先での出会い、温泉、演劇、アート、本などを通して、「いのちの力」がよみがえる方法を、著書『肯定からあなたの物語は始まる 視点が変わるヒント』より抜粋してお届けします。
「なおす」と「なおる」
自分は近くて遠い
自分を他人として見るくらいが
ちょうどいい
私が医師になり立てのころ、人を「なおす」「よくする」ことを徹底的に学んでいた。どうすれば人を治す知識や技術を得ることができるのだろうか。文献を読み、教科書を読み、先輩医師に聞き、技術を体で学んだ。
医療の道を歩み始めた者にとっては、すべてが未知なことだった。無知ゆえに、とにかく知りたい、理解したい、と切実に思っていた。他者のいのちがかかっていることでもあり、とにかく必死だった。自分の知識や技術次第で助かるいのちと助からないいのちが分かれてしまうなら、学び習得することは大きな責任を伴うことだ。
こうしたことは医師だけではなく、医療従事者であれば誰もが感じることだろう。医療現場では目の前に病気で困っている人がいる。なんとかその人の助けになりたい、治せる病気があれば治したい、少しでも力になりたいと思う。そうした素朴な思いが原動力となって医療関係の仕事に就くことが多いだろう。
大学病院で勤務していると大勢の患者さんが病院を訪れ、こんなにも患者さんがいるのかと、その圧倒的な数に驚く。患者さんの表情は暗くこわばっていて、笑顔は見られない。我慢しきれず苦悶の表情を浮かべる方もいる。助ける側の心もキリキリと痛む。他者の心と共鳴し、体も共鳴し、病院のスタッフも自然にこわばった硬い表情になる。
笑顔でにこやかに働いたほうが病院の雰囲気も明るくなるだろうとも思うが、医療スタッフの笑っている顔を見るだけで、ニヤニヤしている、不愉快だ、ふざけている、というクレームが来ることもある。そうしたクレームを恐れ、多くの医療者は眉間にしわを寄せた顔に自動的に適応している。病院ではそうして硬くこわばった空気感が醸成されていく。
私が医師として働き、人を「なおす」「よくする」ことを学びながら経験を深めていく中で、少しずつ興味や関心も移っていった。もちろん、人を「なおす」「よくする」ことは大事だ。ただ、人が「なおる」「よくなる」というプロセスの不思議さへ興味や関心が移っていった。
「なおす」と「なおる」。
「よくする」と「よくなる」。
ほんの一文字の違いだが、まったく違ういのちの現象だ。
いのちの活動においては、不思議なことに壊れたものが自動で修復しようとする自然治癒というプロセスがある。体に起きた物理的な傷は自然に閉じようとするし、心に起きた見えない傷も自然に閉じようとする。コップを落として割れたとしても、コップは自動的には元に戻らない。割れたものは割れたままだ。水が零れると水は自由に拡散していく。水は元に戻らず、拡散したままだ。
そう考えると、私たちに内蔵されている「いのち」の働きが極めて特殊な現象だとわかる。おのずから元に戻ろうとする過程が自然治癒と呼ばれるいのちの力だ。
治癒というプロセスには人智を超えた何かがある。患者さんに全力をつくして「なおす」治療を行ったときでも、「なおる」場合と「なおらない」場合がある。
治癒の背後にある見えざる力の正体は何だろう。治癒を成立させるためには何か前提や条件があるのだろうか。いのちの力に寄り添いたい。いのちの力を邪魔する存在ではありたくない。「なおる」場合と「なおらない」場合との境界線、このふたつを隔てているものは何か。私たち医療者はどこまで自然治癒力へと介入できるのだろうか。
医療現場で働きながら、冷静に客観的な立場で見ていても、いのちの治癒力を考え出すと、よくわからないことばかりだった。
学んだことを実践して、うまくいくことも多いが、うまくいかなかったことばかりが体には強く記憶される。もっとできることがあったのではないか。むしろ、やりすぎたことがよくなかったのではないか。わからないからこそ知りたくなる。ただ、どうしても、いのちの核には近づくことができない。空を飛ぶ鳥が目的地の島に近づこうとしているにもかかわらず、島の周りを周回しているだけで島には着陸することができないような心境だ。
いのちの真理が島には秘められているが、見えざる結界が張り巡らされている。「いのち」を守る聖なる力があるかのように、核心部の聖域にはたどり着くことができない。意識しようともしなくとも、誰もがそんな聖域で囲まれた畏怖すべき力を中に秘めている。時にいのちの危機に瀕したとき、その聖なる力は光を放って包み込み、その人を守る。
いのちの復元力
「なおす」と「なおる」。たった一文字の違いで、意味が大きく異なる。言葉とは不思議なものだ。私たちの脳は、そうした繊細な一文字をしっかり認識している。体も言葉の違いをしっかり受け止めている。
心臓を専門としていた医師として、臨床現場で生死にかかわるいろいろな事例を経験してきた。常に秒単位の対応を迫られる現場の中で、「なおす」「よくする」ことに努力しながら、同時に「なおる」「よくなる」現象にも心を配ることが大事であることがわかってきた。
瞬間・瞬間で行うことができる最高の治療にチームが一丸となって取り組み、全身全霊で「なおす」ことにエネルギーを投入しても、「なおる」ことが起きない場面にも遭遇する。治ってもいいはずなのに、どうしても治らない。ある一線を超えると、もういのちの復元力は十分に機能しない。その見えざるボーダーラインの存在は理解できる。そしてその一線は厳然としていてどうしても超えることはできない。
だからこそ、「なおす」「よくする」という医療現場での経験を重ねながら、本人のいのちが持つ「なおる」「よくなる」ことに関心が移った。さらにそうしたさまざまな力がすべて込められた全体表現としての「生きる」ことそのものにも、関心を深めていった。
そもそも「生きる」ことは当たり前なことだろうか。実はそんなに当たり前のことではない。「生きる」ことが当たり前のこととして感じられているとしたら、おそらく、その錯覚は日々の生活圏の中が生きている人たちだけで構成されているからだと思う。歩いている人も、知らない人も、みんな生きている。道を歩いていても死者はいないし、満員電車の中に死者はいない。そうした日常の中では「生きる」「生きている」ことは当たり前のことだと感じるようになる。生きている人ばかりで構成されているのだから。
しかし、病院では死を間近にした人たちが大勢いて、ちょっとしたきっかけで生の世界から死の世界へと敷居をまたいでしまう。死の世界へ行ってしまうと、そこは生の世界とは大きく隔たっているらしい。なぜなら、生から死へは行けても、死から生へは行けないからだ。
現在の日本では、死者と出会う機会は特殊な職種のみに限られている。私が20年以上前、学生時代にインドを旅したときに驚いたことは、生活圏の中に当たり前に死者がいたことだった。
特にガンジス川流域は死を迎えるために訪れる場でもあり、道端にも当たり前のように死者がいた。道の端で寝ているように見えても、その人は死者だった。死者は排除されず、そのままそこにいた。ガンジス川で沐浴をしていると、死者がプカプカと浮かんでいた。しかも、ひとりではなく何人も。インドでは死者の存在は特別なことではなく、ごく当たり前の日常として生活圏の中に取り込まれていた。生の世界と死の世界とが、生者と死者とが矛盾なく共存していたのだ。
医療者として生と死を隔てる境界線を行き来しながら、365日24時間奮闘していたときに、ふと目を瞑るとこうしたインドの風景が浮かんだ。そのたびに「なおす」ことだけではなく「なおる」こと、「なおる」ことだけではなく「生きる」こと、いのちの力が宿る人間存在に関して、その聖性のようなものが浮かんでは消えていった。
医学部に入るまでは、テレビや雑誌の情報でしか医療現場を知ることがなかった。医学生となり医師となり、リアルな医療現場での経験を経て感じるようになったことがある。それは、いかにして「生きる」プロセスを共に歩めるか、ということだ。登山で言えば、未踏峰を登る同行者の心境に近い。それぞれが、まだ見ぬ山を登るようにして人生を生きている。ときには人生の当事者として、ときには人生の伴走者として。
医療者が「なおす」という思いが強すぎるときは、自分の解釈や考えを押しつけすぎているかもしれない。医療者は相手の中にある主体的で自律的な生命の力の可能性を敬いながら、自分自身の態度を見直す機会にする。
患者に自身の力で「なおる」という思いが強すぎるときは、医療者はできる限りのことを真摯に取り組み、手抜きがないよう、自分自身の甘えを見直す機会にする。
医療現場では多くの困りごとを抱えている人と寄り添うからこそ、相手を見ながらも、同時に自分を照らす鏡として自分自身も重ねあわせて見ることが大切だ。
ある患者さんは、すでに高齢であり人生の幕を閉じようとしていた。ただ、救急車で運ばれると医療システムに乗ってあらゆる延命処置を施されてしまう。電気コードでモニターが体のすみずみにつなげられ、あらゆる生命維持装置が目にも止まらぬスピードで装着された。意識もなく麻酔もかかっている。本人の意思を聞くことはできない。目の前で展開される「なおす」治療はどこへ向かっているのだろうと思う。
医療者は搬送された瞬間からしかその方を知らないが、家族は何十年も人生を共にしている。生も病も死も、人生のプロセスであるとすれば、人生を点ではなく面として、さらには立体や時間軸を含んだ多面体として把握しなければいけない。
医療者が現代医療のシステムに個人を押し込めるのではなく、人生の全体の流れを把握しながら、人生を尊重する。医療者も家族も「なおす」ことだけに注力していると、肝心の当事者が場の脇においやられてしまう。
病に向きあっていく行為を登山として考えてみる。医療者が登山の同行者としての役割を忘れ、同行者を置いて自分の考えで先へ先へ進んでいくと、その登山パーティーは遭難してしまうだろう。
一方、ある患者さんは、西洋医学をまったく信じない。あらゆる現代医学を否定していた。自然治癒力や「なおる」ことに積極的に取り組むことには好感が持てて応援したいが、自分が得ている特定の情報だけですべてを理屈づけようとすると無理がある。あくまでも「なおる」立場をとるときに寄るべきものは現代医学の是非でなく、「いのち」の力を失わせない原理である。体が不調や不具合を訴えているにも関わらず、頭で受け取った情報に固執してしまうと、体の声を無視して自然治癒力は発揮できなくなる。
ものごとは二元論では説明できず、「なおる」力が最大限に発揮できるような場を整えていくことが必要だ。
この世界に起きているあらゆる事柄は、きっと何かの鏡として、私自身を映し出している。鏡の中に自身の恥部や影や盲点を見いだすことで、人ははじめて再生できる。赤子のように生き直すことができる。
あらゆることをわがこととして受け止めながら、ものごとの断片に自分自身の姿を発見する。光と影とを重ねあわせて、自分に起こるものごとを観察してみる。現在もそうだし、過去に起きた出来事もそうだ。過去は、現在の自分がどのように位置づけ定義づけるかで、山の頂上にも谷底にも見えてしまうものだ。
私という存在は、常に現在の地平に立ちながら、過去も未来も創造している。
今ここにいるのは、私であり、私を動かしている体、体の感受性を受け取る心。それらを静かに支える調和のいのち。この最小限で最高のチームが、私というものを複雑に織りなし、今ここで私という音色を響かせている。