大ブームのジンギスカンの中で、とりわけ根強い人気を誇る老舗店「成吉思汗(ジンギスカン)だるま」(以下「だるま」)。そんな同店がここ数日、店や味、行列とは一切関係ない理由で注目を集めている。
契機となったのはX上のとある投稿から。「ジンギスカンの人気店『だるま』は昔、北朝鮮と深い関係にあった」という趣旨のものだ。奇しくも12月10日~16日の1週間、政府が定める「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」と被ったこともあり、話題を集めていた。
実際のところ、この投稿が示すものはあくまで2007年に明るみとなった当時の経営者らに関する事件であり、今の「だるま」とは一切関係ない――。ただ、取材を進めていくと、ジンギスカンの本場・北海道の道産子たちは「今も『だるま』には行かないようにしている」との興味深い証言を得た。その“根深い理由”を探っていく。
【前編記事】『ジンギスカンブームに水差す事態、老舗の名店「だるま」に突然ヘイトが集まるワケ…メディア常連の店にいったい何が』よりつづく。
「諸手を挙げて喜ぶわけにはいかない」
「確かにジンギスカンは我々道民にとってソウルフードなのは間違いありません。ただ、私の感じる限り『だるま』だけは、道民もなるべく行かないようにしていると思います。それでも観光客の方たちは足しげく通うわけですが……」
こう語るのは、北海道で生まれ育ち、現在は同地や愛知県などに拠点を構え、経営コンサルタントを務める毛利京申(もうり・たかのぶ)氏。同氏もまた一道産子として幼い頃からジンギスカンに慣れ親しんできたひとりだ。
「昔のジンギスカンは、今みたいな新鮮な生の羊肉なんか無かった時代。冷凍の成型肉なんだけど、つなぎに豚の脂なんか使ってたから、焼いた時の煙がすごいのなんのって(笑)」と、ジンギスカン愛を冗談交じりに話す毛利氏だが、2024年の東京進出さらに今冬の2号店オープンなど、「だるま」の活躍ぶりについて話題を振ると、
「(東京進出を)諸手を挙げて喜ぶわけにはいかない」
と、口が重くなってしまう様子。いったいどういうことなのか。毛利氏、ひいては道民たちの気持ちを探るべく、あらためて「だるま」の成り立ちについて振り返りたい。
正式名称「成吉思汗だるま」の創業は昭和29(1954)年。昨年70周年を迎えたほか軌道屈指の老舗ジンギスカン店だ。創業者は在日一世の金官菊子(かねつか・きくこ)氏。早くして夫に先立たたれ、残された5人の子供を養うべく、商売を始めたという。
現在のジンギスカンの源流とも呼ばれる同店では、当時まだニオイが強く、食べることを避けられていたマトン(生後2年以上の羊肉)を使うことを選んだ。その理由は戦後の貧しい状況下「少しでも安い値段でお客様にお腹いっぱい食べてもらおう」という初代の考えだったという。
昔は道民にも愛される店だった
本格的に店が繁盛し始めたのは、初代の息子の妻であった金官澄子氏が2代目を引き継いだ頃からだ。2000年頃にはすでに多くのメディアで引っ張りだこ。澄子氏は雑誌の取材でこう語っている。
〈昭和29年創業当時は、すすきのでジンギスカン屋はうちだけでしたね。当時からずっと味付けは変わっていません。羊肉は北海道産のマトンを使っているんですが、コクがあるのでジンギスカン本来のうまさがよくわかりますよ。厚みがあってジューシーなのもうりです〉
実際、この頃はまだ、「だるま」を訪れる地元客も多かったと聞く。同店は、焼いた羊肉をタレにつけて食べる、いわゆる“後漬け”タイプ。味の決め手となるタレは、初代より続く秘伝のもので、当時から青森県産の最高級ニンニクを惜しげもなく使用。またジンギスカン鍋も特注品というこだわりようで知られた。
何より家族経営によるあたたかな接客や佇まいを愛するファンも多かった。郷愁ただよう1階の馬蹄型カウンターには七輪が備え付けられ、この七輪で日本酒を燗してくれる「焼き燗」はウラの名物だったとか。かつて北海道日本ハムファイターズで長く活躍した“北の侍”小笠原道大選手も「だるま」の常連だったという。
「北海道ではうれしいとき、悲しいとき、何かあったらジンギスカン」というフレーズを耳にしたことがある。その言葉を体現するように、確かに「だるま」は道民に愛されていたように思える。にもかかわらず、なぜ突然見放されてしまったのか。その理由は、やはり2007年の事件が尾を引いていた。
「東京に広めてくれてありがとう」という思いも
前出の毛利氏が当時の状況を明かす。
「2007年2月、所得税法違反の疑いで『だるま』本店や各支店で家宅捜査が行われ、当時の経営者だった金和秀(きん・ふぁす)らが同容疑で逮捕されたのです。何より道民の間でこの事件が話題になったのは、容疑者らがかつて朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)傘下団体の幹部を務めており、脱税分が北朝鮮に送金された可能性があるとして捜査が進められていたからです」
この事件では、「だるまの女将さん」として慕われた前述の2代目・澄子氏(徐澄子)が夫・金和秀と共に逮捕されたほか、義理の娘、つながりのあった在日本朝鮮北海道札幌商工会幹部4名の、計7名が逮捕。脱税額は、2003~2005年までの所得の過少申告分として、実に約1億7000万円に上った。
この頃といえば、2002年と2004年の二度にわたって小泉純一郎政権下で日朝首脳会談が開かれたタイミングと一致する。結果として日本人拉致被害者の5人が帰国に至ったが、当時の道民たちも「北朝鮮」というワードに対しては今以上に敏感だったに違いない。毛利氏が続ける。
「『だるま』はジンギスカンで稼いだカネを本国に送金し、ミサイル代にもしていたのではないか。まるで裏切り行為ではないか……。そんな話題でもちきりとなり、いつしか道民たちは店に行くことを敬遠するようになり、今も変わらないわけです」
毛利氏は最後に「もちろん、これまで様々なジンギスカン店が本州進出を目指しては消えていく中で、東京にジンギスカンを広めてくれた『だるま』にはありがたい気持ちでいっぱいです」と明かしてくれた。この複雑な思いが解消される日が来てほしいものだが。
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