小泉八雲の妻・セツを主人公にしたNHK連続テレビ小説『ばけばけ』。ギリシアで生まれ、いくつもの土地を経て、日本にたどり着いたハーン/八雲。その後に出会い、妻となったセツとの共同作業で、『怪談』をはじめとする、数々の名著を生み出すことになる。
なぜ八雲は、日本人の暮らしや心を、日本人以上に深く見つめ、描き出すことができたのか――。ドラマの放送に合わせて、民俗学者・畑中章宏が満を持して書き下ろした“小泉八雲入門の決定版”『小泉八雲 「見えない日本」を見た人』(光文社新書)より、一部を公開する。
千坪以上の庭がある一方で、一坪の庭もあり、花壇も緑もない庭もある
八雲は「庭」に立ち、「庭」を見つめながら、日本文化の底流を探り、感じとっていった。
松江城の堀端に建つ根岸家屋敷の庭は、八雲に屋敷を貸した根岸干夫(たてお)の先代、根岸小石(しょうせき)によって1868年(明治元年)につくられたものである。つまり、八雲がこの屋敷に暮らす二十数年前に築庭されたわけで、それほど古いものではない。
しかし八雲はこの日本庭園に、人工の時間と自然の時間との混じりあいを見いだしている。
そもそも、日本の庭とは花園(フラワー・ガーデン)のことではない。植物を栽培するのが目的で造られるものでもない。十中八九、日本の庭には、花壇らしきものが見当たらない。緑の小枝をほとんど見かけない庭もある。もちろん例外的ではあるが、緑の草木は一切なく、すべてが岩と小石と砂だけでできているものもある。つまり、一般的には、日本の庭は山水の庭なのである。とはいっても、一定の決まった広さが必要とされるわけではない。一エーカー(約4千平方メートル、約千二百坪)ほどの庭もあれば、何エーカーもある大きな庭まである。また、一坪くらいしかない庭でも構わない。 (「日本の庭にて」『新編 日本の面影』池田雅之訳、角川ソフィア文庫、2000年)
日本には床の間に飾ることができるほど小ぶりに考案された庭もある。そこには、日本の風景が生き生きと美しく縮小され、再現されているのだ。
長く親しまなければ理解できない日本の庭「石の美」
また日本の庭の美が何であるかがわかるためには、石の美を理解する必要がある。
石にもそれぞれに個性があり、石によって色調と明暗が異なることを、十分に感じ取れるようにならなくてはいけない。そうでないと、日本庭園の美しさの真髄が心に迫ってくることはないだろう。 (同前)
外国人の場合、どんなに審美感覚が優れていても、この感じかただけは、努力して培(つちか)わなければ得られない。日本人の魂は、目に見える形にかんするかぎり、外国人には遠くおよばない――自然を理解していると、外国人であるはずの八雲はのべるのだ。そして西洋人の場合、日本人の石の用いかたや選びかたに長く親しまなければ、石の美しさをほんとうに感じとることはできないというのである。
“日本の庭”の借り手にすぎず、来日してからもそれほど時間を経ていない八雲が、ここまで言いきれるのはどうしてだろう。八雲は短期間のうちにいつしか、人工と自然の均衡から成りたつ、庭の一部になっていたのだろうか。