かつて“双子タレント”として兄・広海とテレビで活動し、現在はスタイリストとしてアパレル業に携わりつつ、実業家としても活躍するFUKAMI(深海)さん。ADHD・LGBTQIA+当事者であることを公表していますが、過去には両親による育児放棄・児童相談所からの脱走といった波乱万丈な人生を送ってきました。
その生い立ちに起因するように「愛着障がい」によるトラウマを抱え、「自分は普通の幸せを手に入れることなんてできない」と思っていたそう。そんなFUKAMIさんが、なんと愛する人と結婚することにーー。
本稿では、ネグレクトを受けた経験から人を信じきることができなかった深海さんが、自身と向き合い、アメリカ人と結婚に至るまでのドタバタ劇を綴った新刊『たどりついた リトル・ピース』(ワニブックス刊)より一部抜粋・編集し、その波乱万丈なエピソードを、前後編でお届けします。
ある日勧められた「精神科のセラピー」
真剣な恋愛から逃げるように、ふわりふわりとカジュアルな恋愛を楽しんでいた私に、“変わるきっかけ”を届けてくれたのはあるひとりの男性でした。
あるとき、恋愛と真剣に向き合おうとしない私を見かねたのか、「セラピーを受けて自分自身のトラウマと向き合ったほうがいい」と言われたんです。「そうすれば、もっと自分の人生が豊かになるだろうし、いい恋愛もできるだろう」って。
日本ではまだ一般的でないかもしれないけれど、海外ではメンタルヘルスケアのためにセラピーを受けるのはごくごく普通のこと。なので、私は彼に勧められるまま精神科のセラピーを受けることにしました。そこでは「認知行動療法」からスタート。それは、日常生活で起こる問題を整理して、考え方(認知)や行動に働きかけながら、気持ちをラクにしていく心理療法。
「どうして自分は、いつもこうなってしまうのか」と、自分の中にある心の悪循環と向き合い、その悪循環を生む思考の癖や行動パターンを変容させていくんです。
私の場合は、主に「なぜ、自分はひとりの人を愛することができないのか。本気の恋愛から逃げてしまうのか」を相談。その原因を先生と一緒に話し、探しながらセラピーは進んでいくのですが……。この世には、いろんなセラピストがいて、そこには「合う合わない」の相性もあるんですよね。だからこそ、私はいろんな病院に行きました。
今の先生に決めたのは、クライエントに対して「あなたは◯◯(病名)です」とラベリングしないところがいいなと思ったから。なかには、一度のセラピーでラベリングをする先生もいて、私にはそれが合わなかったんですよね。
「あなたはこうです」とレッテルを貼られると、逆に違うところを探して否定したくなるというか、そもそも疑い深い性格でもあるので、その後のセラピーにバイアスがかかってしまうんです。
今通っている精神科の先生は、私の話をひたすら聞いて、「そのときにどう思いましたか?」と質問を投げかけながら、私の思いをどんどん引き出し、掘り下げてくれます。
セラピーを通じてわかった「愛着障がい」
今考えると、幼い頃から、あまりにも大変な出来事と向き合ってきたので(当時は気づいてなかった)、知らぬ間に、イヤなことには“蓋”をする癖がついていました。
「何かおかしいぞ」と感じながらもずっと見て見ぬふりをしてきた、セラピーはその“蓋”を開ける作業の連続。思い出したくない出来事に触れたり、聞かれたくないような質問をされることもあるのですが、それが新しい理解を届けてくれたりして。
「本当の自分は、こんなことを感じているんだ」「こんなふうに変わりたいと思っているんだ」なんて、本当の自分の思いに気づくことで、自分自身を徐々に受け入れてあげることもできるようになった気がします。
そんなセラピストの先生とのやりとりのなかで把握したのが、自分自身の愛着障がいです。
「愛着障がい」とは、子供が成長するなかで本来必要な、安心できる人との関係がうまく築けなかったために心や行動の発達に影響が出る状態のこと。愛着障がいになると、対人関係が不安定になり、相手に依存することもあれば拒絶することもあったりと、その症状はさまざまです。
私の場合は主に回避型。無償の愛を信じていないからこそ、誰かと親密になりそうになったり、誰かに執着されそうになったりすると、逃げたくなってしまうタイプ。セラピストの先生いわく、その原因の大半は両親とのリレーションシップのなかにあるそうで、特に母親との関係性が大きく影響するそうです。
だからこそ、両親の思い出と向き合うのは必須作業。それはときに苦しくもありましたが、その作業を経たことで、いろんな側面から家族を見ることができるようになりました。
両親には思うことがたくさんあるけれど、「ちょっと待てよ、この人をいったん全くの他人だと考えてみると、その気持ちも理解できるような気がする」と、「好き」や「嫌い」といった感情ではなく、俯瞰で考えることができるようになりました。
「可哀想な人だった」…変容した父への想い
幼い頃は父を憎んだこともあったのですが、セラピーを経た今では「可哀想な人だった」と思えるようになりました。
実は、父は2025年の春に亡くなったんです。父の死を知ったのは、亡くなってからかなり時間が経ってからなのですが、その知らせにきちんと心を痛めることができたのは大きな変化だったような気がします。以前の私だったらきっと、自分の心にパタンと蓋をして、見て見ぬふりをしていたと思うから。
父に関しては気持ちが整理されつつあるのですが、母に関してはまだ感情の整理過程にあります。向き合いたいと思ってはいるものの、母のことを知らなすぎるので。
でも、以前と比べて母への思いも変化しています。少し前の私だったら母には「絶対に会いたくない」と言っていたと思うのですが、今では「会っても合わなくてもどちらでもいい」と思うように。それだけでも、少しずつ変わることができているのかもしれないなと感じるようになりました。
…つづく<両親によるネグレクト、愛着障がいを乗り越え…LGBTQIA+当事者を公表する、メディアで人気のFUKAMIが見つけた幸せのカタチ>でも、FUKAMIが波乱万丈の人生から掴み取った幸せを語ります。