高市首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が流行語大賞となりました。そんななかで、日本においては過労による精神障害が増加の一途をたどっています。2025年版「過労死等防止対策白書」で、精神障害による労災請求件数が3780件と10年度の1181件から3倍以上に増加しました。うつ病などの精神障害で労災認定を受けたケースは、業種別に分析したところ、外食産業と自動車運転では、18%超が過労死ラインを超える残業だったそうです。
日本の精神病は、人口10万人あたりの人数で、世界ダントツ一位。世界の精神科病床数(人口10万人あたり)は、OECD平均約68床。アメリカは21床。イギリス約23床。韓国が150床で、日本は、なんと269床。つまり、日本人の人口10万人あたり269床(OECD平均の約4倍)と途方もない数の精神病床があるのです。そのような状況なので「イタリアには精神病院がない」というと、大体の日本人は驚きます。
記事前編は【「半裸の女性が鉄格子にしがみつき…」精神病院で目撃した、壮絶な光景…日本の「精神医療」が世界に後れを取る理由】から。
精神病院を「全廃」したイタリア
精神病院の全廃などできるのかという疑問をもつ人にはイタリアの実例と日本での例をご紹介します。
イタリアにもかつてはマニコミオと呼ばれる巨大精神科病院がありました。欧州最大の2600人を収容する病院でしたが、隔離中心の治療法は、必ず人権侵害がおこり、人間の尊厳を奪うことになったあげく、治療も進まないということに気がつき、全廃の方向が決まりました。
一般的に日本人は、心に傷をおった患者は危険だと想像する人が多いのですが、これは多くの場合まちがいです。もちろん、幻想や妄想をもつことが多い統合失調症は、暴力的になることもあり、それは隔離の大きな原因になりました。しかし、それ以外の心の病は、暴力的になる気力もない患者が多く、治療するには隔離よりも、家族や友人、地域社会との関係改善のほうが大切であることが、欧米の医学界では常識になってきたのです。
患者の強制収容をやめたイタリアは、それに変わる地域精神保健センターによる在宅ケアを中心としつつ、医療機関での強制入院を例外的対応としておこなっています。濃厚なコミュニケーション。対等な人間関係や連帯。これを強化して、治療を進めつつ、医師は家庭に出向いて予防重視の考えで治療に臨んでいます。
日本での「イタリア流治療法」の事例
日本でも同様の治療法を行っているグループホームの治療法をみてみましょう。猪瀬直樹氏の『日本国・不安の研究―「医療・介護産業」のタブーに斬りこむ!』のなかで、千葉県八千代市の住宅街にあるグループホームの様子がこまかく描写されています。
<わおん障害者グループホーム(株式会社ケアペッツ)は全国各地にフランチャイズで展開中だが、八千代市の住宅街の空き家7軒で精神障害者、知的障害者などがそれぞれ3人から4人ずつ居住している。ふつうの一般家庭と変わらない木造2階建ての家の玄関を入ると、犬が1匹、尻尾を振りながら出迎える。><玄関の脇に個室が1部屋、リビングとダイニングキッチン、風呂場、トイレ、これは共有スペース。階段を昇った2階に3部屋、ごくふつうの間取りだが、違いは、個室がすべて鍵付きであること、つまりその点はアパートのように独立している。>
共有スペースのリビングに4人でいると孤独にはならないし、戻りたいときには各個室に鍵をかけて寝ればよい。男性棟と女性棟は別にしてあり、こうした家が、住宅街の中にバラバラに7軒ある。その7軒全体の27人を管理しているサービス管理責任者が1人、生活支援員、世話人、夜間職員を含め7人がスタッフとして常駐しています。
生活支援員は入居者の必要なサポートをし、世話人は料理や掃除など身の回りの暮らしの支え、夜間職員はダブルワークの会社員や学生が担当しています。
<入居者にはさまざまな障害者がいる。精神障害者、知的障害者、身体障害者、発達障害者。入居者の大半は一般企業の障害者雇用枠で就職している。例えば宅配便の倉庫で、仕分け作業で就労している知的障害者の男性、また夫のDVで右足の身体障害を抱えているうえに、今度は20歳になった発達障害の息子の暴力で精神障害者(PTSD)となった女性は、就労支援施設に通い地域新聞のポスティングなど軽作業の仕事をしている>等々。
このグループホーム入居の家賃3万7000円、食費2万5000円、日用品3000円、光熱費1万3000円、計7万8000円。家賃補助が国庫から1万円、地方自治体から1万円、利用者に支払われ、自己負担は5万8000円となります。しかし障害者年金6万5000円、就労による収入が別途あるので生活費には余裕が生じることになります。
就労支援の仕組みは不十分
国も現状の治療法を是認してはいません。厚労省は精神科病院の長期入院を減らそうと「精神保健医療福祉の改革ビジョン」で「受入条件が整えば退院可能な者約7万人について、10年後の解消を図る」としていましたが、33万人が29万人に減ったにすぎません。
これには、まだ日本人社会の偏見があり、心に病をもった人々への就労支援の仕組みが企業や組織で出来ていないことが大きいと思われます。こうして政府が削減努力をしているなら、その原因にある働きすぎの解消を、真っ向から否定する首相の発言には大いに疑問が残ります。もちろん、首相もインタビューで、全員ではなく、健康的に無理な人には強制はしませんと言ってはいますが、あの言葉で流行語大賞をとり、とうとうと「働け」を繰り返せば、今、心の病で休んでいる人には相当なプレッシャーがかかります。心の病だけではありません。引きこもりの問題も解決していません。2022年は、15歳~64歳で引きこもり状態にある人が国内で推定約146万人いるとされています。
最近、引きこもり世代が起こしたと思われる事件も増えています。淡路島で20年間引きこもり40歳の男が5人を刺傷した事件、福岡で30年引き籠もっていた61歳の男が、父親(当時88)と母親(同87)を殺害した事件などが典型例でしょう。
今、心の病や引きこもりなどで、社会で働く人が減っているのなら、それこそ「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」の首相が提唱する強い日本、強い経済力をもつためにも大きな問題なのです。普通に会社に勤務した経験がないか、あっても、国会議員の息子としてラクな仕事しか与えられていない自民党の世襲国会議員には、この現実はわからないでしょう。
高市首相の国民のために働くという心意気は立派ですが、首相の発言は、無知なブラック経営者に余計な勇気を与える可能性が高くなる可能性も十分あります。流行語大賞授賞は、それこそ撤回しても、中国のように抗議はきません。今からでも、首相が授賞を辞退することは、社会への大事なシグナルになるはずです。
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