2025年も終わりに近づいている。年末年始は改めて実家や家族のことを考える人も多いことだろう。
78歳の泉ピン子さんが主演する『声舞劇 終活を始めた途端、55歳の息子が帰ってきました。』(2026年4月より上演)の原作は、保坂祐希さんによる小説『「死ねクソババア!」と言った息子が55歳になって帰ってきました』。主人公は75歳のシングルマザー・晴恵。大学進学をめぐる意見の食い違いから「死ね、クソババア!」と捨て台詞を残して家を出て以来、ほとんど音信不通だったひとり息子が、突然非の打ちどころのない嫁を捨てて帰っってくる。後期高齢者と55歳の息子が何十年ぶりにひとつ屋根の下に暮らしはじめるのだ。
10月28日には制作発表を行い、記者会見にはピン子さんと、共演の佐藤隆太さん、あめくみちこさん、星野真理さんと登壇、トークイベントも開催された。
ピン子さんのエッセイ『終活やーめた。元祖バッシングの女王の「ピンチを福に転じる」思考法』では、ピン子さんは自身の終活をやめたことや両親のことも綴っている。特に「正真正銘のファザコン」と語るほど、お父さんから受けた影響は大きいのだという。
舞台は母と息子の話だが、父と娘の話を本書より抜粋にてお届けする。
40歳のとき、81歳の杉村春子さんと共演
年齢を重ねて、いろんな経験を積んだら、人は生きやすくなると思いますか? さて、御年 77歳の私がズバリお答えしましょう。答えはNO! あー、でも3割ぐらいはYESかな。人間って面白いもので、精神の成熟と肉体のしなやかさって反比例していくようなところがあるんです。歳をとると、若い頃に悩んでいたことが馬鹿らしいなと思えるくらい精神的には強くなれる。一方で肉体は衰弱し、どんどん自由が利かなくなってきます。あとは、否が応でも自分の「残された日々」、つまり人生のタイムリミットを意識せざるを得なくなります。
我が身を振り返ってみると、私は 20 ~ 30 代の頃、早く大人になりたい気持ちが強か った。私が大大大尊敬する女優の杉村春子さんと私の主演ドラマ「おんなは一生懸命」で共演させていただいたのは、私が 40 歳、杉村先生が 81 歳のときで、当時先生は精力 的に舞台にも出演なさっていました。
森光子さんも、私が女優を始めたときは「お母さん」役が定着していたし、舞台の「放浪記」なんかは、森さんが 41 歳のときに初演、それから 89 歳まで続けられたのです。「女優の先輩たちは、幾つになってもその時々の花を咲かせることができる。なんてカッコいいんだろう!」と憧れていました。だから若い頃の私にとって、「加齢」はピンチどころかチャンス。歳を重ねるごとに降りかかってくる試練も“芸の肥やし”だと思えば耐えられました。
子供の頃から父が大好きでした
一方で、今でも女優って因果な商売だな、としみじみと思い出される場面があります。それは父ががんになったときのことです。 私は、正真正銘のファザコンで、子供の頃から父が大好きでした。父の職業は浪曲師でしたが、日常の何気ない一瞬をエンタメにして楽しんじゃうような不思議な魅力があったんです。中学生のとき、杉村春子先生の舞台「女の一生」に連れていってくれたのも父。日本初のブロードウェイ·ミュージカル「マイ·フェア·レディ」なんかも一緒に観ました。
ずいぶん、いろんなことに挑戦させてくれました。「これからは英語の時代だ」と言っては、日比谷にある英語学院に通わされたり、「これからはゴルフだ!」と、ゴルフクラブをプレゼントしてくれたり。でも、何より感謝していることは、読書を勧めてくれたこと。松本清張はほぼ全て読破したし、「三国志」なんかは、一章ごとに 感想文まで書かされました。江戸の風俗なら三田村鳶魚、文章のうまさでパッと違う世界に連れていってくれる内田百閒。当時の愛や結婚をテーマに描いた石川達三の本に夢中になったりして。
父は、やることなすこと、全部徹底してるんです。私がキャバレーの仕事で忙しくなったとき、「忙しくて寝る暇もない」ってブツブツ文句を言ってたら、次の月から、ピタッと仕事がなくなって。事務所の専務をやっていた父が、「仕事があるだけで有り難いのに、文句を言うなんて生意気だ」ってことで、事務所の職員に、絶対に私に仕事を入れないように指示したんですって。当時、ギャラの精算日が10日だったのに、一円ももらえなかったこともあります。
◇仕事がないときには「あるだけで有難い」と思っても、ついつい愚痴ってしまうこともある。ピン子さんがお父さんのことが大好きだったのはきっと、ただただかわいがるのではなく、子ども扱いせず、芸の素晴らしさも厳しさもきちんと教えてくれたからなのかもしれない。
後編「「がんです」泉ピン子が「女優って因果な商売だな」と感じた…父が60歳の時の別れ」では「因果な商売だな」を実感した父の病気と別れについてお伝えする。