なぜ国力差のある長期総力戦は可能だったのか。金融による「国力の水増し」はいかにして行われたのか。
発売即大重版が決まった話題書『太平洋戦争と銀行』では、植民地経営から戦費調達、戦争の後始末まで、お金から「戦争のからくり」を解き明かす。
(本記事は、小野圭司『太平洋戦争と銀行――なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか』の一部を抜粋・編集しています)
あの戦争を可能にさせた「国力の水増し」
〈思えば、つくづく無謀な戦争だった。
このように国力を大きく上回る規模の長期総力戦が、なぜ可能だったのか。
答えの一つは、金融による「国力の水増し」にほかならない。
(中略)
銀行員たちは勝利を信じて軍を支え、敵に追われながら軍の金庫番も務め上げた。そして終戦を迎えると、戦争で途方もなく膨らんだ有形・無形の負債の清算を余儀なくされる。彼らは敗北が明らかになっても、「信用維持」という銀行業に携わる者としての矜持を手放さなかった。〉(『太平洋戦争と銀行――なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか』より)
〈半年や1年であれば、「今あるもの」で戦えばよい。軍事力の勝負だ。ところが2年や3年となると、「作りながら戦う」ことになる。戦いは経済力の勝負に変質する。
昭和16年12月8日の午前6時、大本営は以下の発表を行った。「帝国陸海軍ハ今八日未明西太平洋ニ於テ米英軍ト戦闘状態ニ入レリ」(「大本営発表 昭和16年」アジア歴史資料センターRef.C16120664500)。
しかし日本は、すでに中国と4年を超える戦争の最中にあった。当時の中国の国内総生産(GDP)は、購買力平価ベースで日本の1.2倍だ(表1-1)。日本は朝鮮・台湾を算入して中国と同じ経済規模、満洲国も入れて中国を上回ることができた。
それが今度はGDPで5.2倍の米国、3.6倍の大英帝国(英国とその自治領・植民地)との戦争も始まる。オランダは国土をドイツに占領されたが、ロンドンに移ったウィルヘルミナ女王をはじめ亡命政府は、レジスタンスを支援して頑強に抵抗を続けていた。〉(『太平洋戦争と銀行――なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか』より)
〈3年後にはどうなったか。
この3年間、米国を除くとGDPに大きな変化は見られない(表1-1)。各国とも莫大な戦費を負担したにもかかわらずだ。これは各国で「経済統制」が機能したためである。
確かに各国は、作りながら戦い続けた。もちろん生産力には限界があるので、何かを犠牲にしなければならない。結果として庶民の日常生活が犠牲になり、その分が戦争目的に投入された。
ところで米国の底力には驚かされる。1944年のGDPは、1941年の1.5倍を超えている。これは年率に換算すると16%の成長率となる。平時であっても、これだけの経済成長はほぼ不可能だ。巨額の戦費もあわせて、まさに「異次元の経済力」だった。〉(『太平洋戦争と銀行――なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか』より)
なぜ「幽霊銀行」を作ったのか?
〈昭和19年度における大蔵省が手掛けた大仕事の1つが、昭和20年2月の「外資金庫」という名の特殊金融機関設立だった。手続き自体は「大仕事」という程のものではない。役員は大蔵省の次官・局長、日銀理事・監事、横浜正金銀行副頭取、朝鮮銀行副総裁、台湾銀行副頭取などが就任する大仰なものとなった。しかし実態は大蔵省外資局総務課に帳簿数冊と印鑑があるだけで、その帳簿・印鑑も大蔵省の職員1~2名が管理するという「幽霊銀行」だ。
なぜこんなものを設立したかというと、戦地・外地でのインフレがすさまじく、もはや「現地通貨借入金」では対応し切れなくなったためだ(表1-3)。現地通貨借入金で日本円による返済は先送りできたが、現地のインフレは「先送り」だけでは安心できないところまで来ていた。〉(『太平洋戦争と銀行――なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか』より)
さらに、「なぜ日本は「無謀な戦争」ができたのか…意外と知らない「戦争の舞台裏」」では、国力を大きく上回る規模の長期総力戦がなぜ可能だったのかについて見ていく。