「上司のひと言をさらっと聞き流せない」「ゆらいでしまう自分を変えたい」「気づけば自己否定でまとめてしまう自分がいる……」――。
こうした状態は「いのちの泉が枯れている」場合が多いと著者の稲葉俊郎さんは言います。稲葉さんは西洋医学だけでなく、東洋医学や代替医療、心理学も修めた医師です。
治療現場や旅先での出会い、温泉、演劇、アート、本などを通して、「いのちの力」がよみがえる方法を、著書『肯定からあなたの物語は始まる 視点が変わるヒント』より抜粋してお届けします。
自分の居場所がなくなるワケ
過去に原因を探すことは
解説であって 解決ではない
いつでも
現在という地平に立っている
人生はいろいろとうまくいかないものだ。私もそうだが、人生を振り返ると数えきれないほどの失敗がある。失敗で多少なりとも心は傷つく。ただ、生存して生き延びることが重要だった野生時代から、人間の心の働きは共通していて、体の傷が自然に治るように、心の傷も自然治癒のプロセスで自然に治っていく。心の傷も自然の力にうまく委ねながら修復し、誰もがなんとかやっている。
ところが、心の自然治癒力を邪魔してしまう要因がある。それは自己否定の回路である。心の世界で自己否定のレールをグルグルと走り始めると、そのルートを修正してくれる存在が現れない限り、自分はもうダメだ、生きている価値がない、という自己否定の終わりなき回路から出られなくなる。自己否定は強化されてしまう。
もし自己否定の回路が浮かんできたら、プツリとハサミで断ち切るように、回路を遮断してみる。悪習慣を断ち切るように。
肯定からしか物語は始まらないのだ。未来を見る。過去はすでに完了し「おさまっている」のだから。
反省は大事だが、自己否定とイコールではない。たとえば、「自分」の心の世界を自分の部屋だと考えてみる。自己否定は、自分の部屋から追い出されるようなものだ。そもそも自分の居場所がなくなってしまう。どんな存在にも、必ず居場所が必要だ。
あなたの居場所を確保するためにも、肯定から、あなたの物語は始まる。
人は自己否定で「まとめる」方法をどこかで学んでしまっている。その思考方法は根本から断ち切る必要がある。人間は他者と共鳴する生き物だ。あなたは他者との共鳴の中で自己否定を学び取ってしまっている。そもそも、学びにも、いい学びと悪い学びがある。一度学んだものでも、悪い学びは捨て去ることが、よりよい学びの一環だ。
そのことをラーニング(learning)に対して、アンラーニング(unlearning)と呼ぶ。日本語で一言で表現するのは難しいが、誤った学びや古くなった学びを捨て去る、という意味だ。人は得ることには熱心になるが、得たものを捨て去ることは意外に難しい。自己否定は、誤った学びとしてアンラーニングするべきことの代表だ。
自己否定は、他者否定とセットになっている。無闇に他者を否定する人は、おそらく自分を否定された被害者でもある。子どものころ、「あなたはダメな人間だ」「あなたのことは嫌いだ」と言われると、言葉は心のトゲとして刺さったままになっていることがある。心の傷は自然に修復すると述べたが、たとえば家族や友人のように信頼して大好きだった人から否定されたら、心への衝撃は大きい。大人になってもトゲは刺さったままで傷は長く癒えない。
悪意ある催眠術
子どもにとって家族は世界のすべてであり、親から愛されるかどうか、肯定されるか否定されるかは、生存に直結するほど重要だ。親から愛されようと、無意識に思考パターンが醸成され選択されていく。「自分はダメだ」という考えは、すべての負の体験を合理的に説明できるオールマイティーカードとして選択される場合がある。
もちろん、子どもの考え方や性格は、親の愛だけでなく、学校での人間関係を含めてあらゆる環境から影響を受けるものだ。ただ、若いときに選び取られた考え方こそ、根深いものになる。根っこは、いつまでたっても本人に根元から影響を与え続ける。
ものごとには負の面だけではなく必ず正の面もある。正と負のふたつの面があわさっている。ところが、自己否定や他者否定といった否定的なものの考え方を無意識に選び取ってしまうと、負の面に強く吸引されるように、ものごとの一面性だけを執拗に見つめ続けてしまう。
否定的なものの見方は、自分から他者へ、他者からまた別の他者へと連鎖していく。何世代も何十世代も、受け継がれている場合もある。自分が否定されたという過去の傷は、復讐のようにして他者へ向けられることで連鎖していく。
その解決法は、否定を発する他者とは物理的な距離をとり、自分を肯定する力を奪われないようにすることだ。
もし物理的な距離がとれない場合は、心理的な距離を保つこと。影響を受けないほど、心理的な関係性を断ち切る必要がある。心理的な関係性とは、心と心のつながりのことだ。断ち切るのは、その心と心のつながりだ。心の世界は目には見えないが、良くも悪くもつながりあっている。心と心のつながりは、実は大きな力を持っている。だからこそ、ときには勇気と強い意志を持って関係性を断ち切ることも大事だ。そこには包み込んでいく母性だけではなく、切断する父性が求められる。自分自身を守る必要がある。
一方で、親子きょうだいでも恋人や夫婦でも衝突して喧嘩することはあるだろう。そんなときは心理的な距離をとる。おたがいの意見が異なっているとき、その違いを違いとして受け止められないことがある。「違い」を「同じ」にしたくて、自分の考えに執着して歩み寄れないことがある。相手が謝らずにいると、なんて頑固なのだろうと思ってしまうが、こちらから謝れない自分自身がそれ以上に頑固だったりする。鏡のようなものだ。ただ、そんな修羅場でも、相手との心理的な距離さえ保てていれば、相手との関係性は壊れることはない。こうした場合、心理的に距離をとってもおたがいの心と心が完全切断まではせずに、つながってさえいれば、表面上の喧嘩や衝突も、関係性が深まるために必要なものだ。
心と心のつながりを断ち切ると、目に見えなくても必ず相手に伝わる。逆の場合も同様で、つながりを保ち続けていれば、必ず相手に伝わる。私たちの表面的な関係性は、見えない世界での心と心とのつながりこそが支えているものだ。
相手を否定しようとする人の目的はシンプルだ。それは否定的な言葉を投げかけ続けることで、「どうせ自分はダメなんだ」と、相手を自己否定の穴に落とすことだ。その目的を達するまで、執拗に追い込み続ける。
他者否定が日常になっている人間が近くにいたら心の中で関係性を断ち切ろう。他者否定と自己否定とは、鍵と鍵穴のような関係になっているからだ。「他者否定」をする人は、「自己否定」の人とセットの関係でしか居場所がないのだから。ここで言う鍵と鍵穴の関係とは、相性がいいというわけではない。「他者否定(NO)」をする人は、「自己肯定(YES)」の人とは相性が悪いものだ。居心地が悪くなる。だからこそ、相手が否定的な心の状態に陥るまで、延々とゲームのようにラリーを続けてくるのだ。
深呼吸して落ち着く必要がある。
そもそも、あなたはどういう人と関係性を結びたいのだろうか。相手は否定を求め続け、いずれ否定を受け入れるしかゴールがない。悪意ある催眠術のようにあなたの理性を少しずつ奪っていく。
人間は自らの運命の脚本家であり、同時に演出家であり舞台俳優としての役割も兼ねている。
しっかりと目を開けて、深い眠りから目覚める必要がある。人生は有限だ。ボヤボヤしているとあっという間に人生の幕が閉じる。あなたが心からしたいことを実現するために人生という舞台は準備されている。