不安と危機感から始めた「寿司学校」という自己投資
2019年の夏、私は100万円の費用と700時間の修行時間を投じて、寿司職人を目指した。
その当時私はまだ20代で、直前までIT系の企業でエンジニアとして働いていた。生成AIはまだ無かったが、業務の効率化や自動化が進むたびに、そう遠くないうちに自分の仕事はなくなっていくだろうという漠然とした不安を感じていた。
さらに追い打ちをかけるように、祖父母の介護を目の当たりにする機会があり、高齢化社会の厳しい現実を突きつけられ、日本の将来に対する危機感が日に日に強まっていた。
そこで考えたのが、手に職をつけて海外で働くという選択肢だ。ただ数年働くだけではなく、永住権を取得できる仕事をするには、日本人であることを活かせる技術が必要になる。そんなことを考えていたところ、ふと以前本で読んだ、寿司学校に通って寿司職人になるという話を思い出したのだ。
寿司学校とは、文字通り寿司について学ぶ専門の学校だ。国内で10以上の事業者が展開していて、東京を中心に、関西、九州、さらには海外にまで展開されている。
一般的な料理学校と違い、寿司に特化している点が特徴で、座学はほとんどなく実践が中心となる。魚の捌き方やネタの切りつけ方、握り方、巻物の作り方を学ぶだけでなく、基礎的な包丁の使い方、衛生面の知識といったものまで、寿司の技術を一通り習得できるカリキュラムが組まれている。
コース設定は学校によって多様だ。2ヶ月の短期集中コースが最も一般的だが、より短期間で学べるコースや、逆に半年以上かけてじっくり学ぶ長期コース、仕事をしながら通える夜間コースなど、受講者のライフスタイルに合わせた選択肢が用意されている。
古いところは2002年から存在し、6,000人以上の卒業生を輩出し、自分で店を開いてミシュランの星を取るような人も出てきている。
寿司職人について調べていくうちに分かったのは、世界中で寿司職人の需要は高い一方で、供給がまったく追いついていないということだ。世間的には「寿司職人になるには長い下積みが必要で、自分には縁のない世界だ」というイメージが強い。ところが実際には、寿司学校の普及によって未経験からでも短期間で基礎的な技術を身につけられるようになり、技術習得のハードルは格段に下がっている。この「難しそう」というイメージと実際の難易度とのギャップがあるせいで、まだ多くの人が本気で挑戦しておらず、その分だけ寿司職人を目指す人にとって大きなチャンスが残されていると感じた。
それまで料理をまともにしたことがなく、野菜炒めくらいしか作れないところからのスタートだった。希望よりも不安が大きかったが、理屈の上では正しいと信じて寿司学校に通うことを決意した。
学費を含めた費用は約100万円。2ヶ月間のカリキュラムと自主練習を合わせ、700時間の修行時間を費やすことになる。私にとっては非常に思い切った自己投資だった。
では、この寿司職人への自己投資から、私はどのようなリターンを得られたのか。本記事では、その全貌をお伝えしたい。
2ヶ月間でどうやって職人の基礎を叩き込むのか
2ヶ月間のコースというと、本当にそんな短期間で寿司職人としての技術を習得できるのかと疑問に思うだろう。だが、端的に言えば習得すべき技術の核は、「魚の扱い」と「シャリの握り」のたった二点に集約される。
種類は膨大だが、魚の基本構造はそう変わらない。3枚におろせて適切なネタの大きさに切れれば十分。シャリの握りは、10秒以内に一定の間隔で、きれいな形で、一定の重量で、空気を含んだ美味しい形で握れれば戦力になる。つまり、2ヶ月頑張れば技術の基本は十分に身に着けられると言える。
寿司学校では毎日同じような流れで授業が進む。午前中は毎日異なる種類の魚を捌き、その魚に合った仕立て方を学ぶ。午後はひたすら握りと巻物の練習をし、先生にちょっとしたコツを教えてもらいながら反復練習を重ねる。
2ヶ月間の短期学校とはいえ、無事に卒業するためには試験に合格しなければならない。その内容は、3分以内にイナダをキレイに3枚におろし、同じく3分で18個以上のシャリを握る、といったものだ。この合格基準は、ある大手回転寿司チェーンの幹部昇給試験の基準よりも厳しいらしく、高いハードルが設定されている。
試験をクリアするためには、授業だけでは到底練習が足りない。魚に関しては基本的に数をこなして身体で覚える必要があり、授業の量だけでは不十分だ。放課後や土日に市場で魚を買って個人練習をする必要がある。
私の場合は、安いアジを毎回数十匹買ってひたすら練習を重ねた。捌いたアジはもったいないので、なめろうにしたりフライにしたりして頑張って食べた。
シャリの握りも同様で、授業で余ったお米を持って帰って、レンジで何度も温めて使いまわしたり、ラップに包んでひたすら握る動作を繰り返したりした。通学中もラップで包んだシャリを常に手にし歩きながら握る練習をしたり重さの感覚を掴んだりしたものだ。
寿司学校に通う2ヶ月間、休日は寿司屋の食べ歩きをするくらいで、1日12時間程度は寿司の練習をしていた。初日は魚を捌いても身はボロボロ、握りはスーパーの弁当にも及ばない不格好さだった。同じような状況からスタートした周囲が、遥かに早く上達していくのを見て焦りもあった。しかし、大学受験勉強のように隙間時間も有効に活用し、集中して練習を重ね、なんとか合格基準ギリギリで卒業することができた。2ヶ月間、約700時間の集中した訓練が私を寿司職人へと変えたのだ。
入店2日目からお客様用の寿司を握る…!
寿司学校には実にさまざまな人が集まっていた。10代の若者もいれば、60過ぎの年配の方もいる。IT業界から転身してきた私のような人間もいれば、飲食業界でキャリアアップを目指す人、定年後の第二の人生として寿司職人を選んだ人もいた。
新聞配達の仕事をしていた60過ぎの男性は、卒業後、スーパーの鮮魚コーナーで再就職先を見つけ、投資を回収していた。年齢や経歴に関係なく、本気で学べば十分にチャンスが開かれていることを強く実感した。
私はというと、卒業後は都心のターミナル駅の商業ビルに入る中高級店で働いた。客単価1万円で、おまかせコース一本で握りを出すタイプの店だ。客足は安定していて連日満席状態。30席弱の客席が昼は2回転、夜は3回転するような繁忙店だった。企業が運営していて複数の店舗があり、月に8日程度の休みは取得できるなど一般企業に近い労働条件が整備されていた。
入店初日、できることはほとんどないので掃除や片づけなどを命じられた。事前の話から、客前で握らせてもらうのはどんなに早くても1年はかかるだろうと覚悟していた。
ところが突然、営業が落ち着いた頃に大将に呼び出され、「余ったシャリで握って見せてみろ」と言われた。慌てて10貫ほど握ってみると、大将が「よし、明日から3番手に入ってテーブルの握りを担当しろ」と一言。青天の霹靂だった。
ちょうど店舗拡大のタイミングで人員が不足していて、少しでもいい人がいれば即戦力として育てる想定だったらしい。これは寿司学校で最低限の技術を身につけていたからこそ得られたチャンスだろう。実際、働きながら技術を身につけることはなかなか難しいようで、お店に5年以上いるベテランスタッフもいたが、彼はまだツケ場に立ったことはなかった。
給与は手取りで月30万円台。寿司学校に投資した約100万円は、数ヶ月で回収することができた。しかも働きながら技術を磨けるのだから、これほどコスパの良い投資はない。入店2日目から実際にツケ場に立って握ることとなり、最初は文字通り足が震えたが、毎日1000貫近く握り続けたおかげで、1ヶ月が経つ頃には余裕を持って日々の営業をこなせるようになっていた。
幻となった「海外からの高待遇オファー」
そんな風にして濃密な時間を過ごした後、海外で働くチャンスもあった。そのお店はニュージーランドで最高評価の賞を数年連続で取り続けている有名店だ。実際にお会いしてお話をしてみると、ぜひうちで働いてほしいというオファーをいただけた。しかも3年働けば永住権が取得できる高待遇で。
海外のジャパニーズレストランで働くワーキングホリデー利用者は多いが、その大半は安価なレストランで、悪条件でこき使われるという。そうではなく、きちんと料理のキャリアの充実に繋がり、継続性のある条件で働ける選択肢を得られたのは嬉しかった。もっとも、ちょうどコロナ禍が本格化した時期と重なってしまい、海外就労は断念せざるを得なくなったのだが。
私の場合は実現しなかったが、よくニュースになるように海外で出稼ぎしている知人もいる。海外では年収1000万円以上の案件がゴロゴロある。しかもホワイトな労働時間で。世界的に移民に厳しくなっている状況はあるものの、求人サイトを見る限り寿司職人においては今も需要が高い状況が続いているようだ。
また、時には出張寿司を手掛けたこともある。出張寿司はネタとシャリを事前に仕込み、お宅やオフィスに伺い、目の前で握って提供していくエンターテインメント性の高いケータリングサービスだ。毎回違う場所で違う雰囲気の中で握ることができ、刺激がある。
経営者の集まりや著名人の集まり、エレベーターが家についているような富裕層の家で握るなど、本当にいろいろな場に伺った。不思議なことに、社会的地位の高い相手であっても、職人という立場でカウンターを挟めば対等な形で話せる。社長だろうが著名人だろうが、寿司を握る職人として接することができる。これは技術があるからこそ得られる特権で、サラリーマン人生ではなかなか得難い経験だった。
コスパの総括―この自己投資は成功だったのか?
ここまで明るい面を紹介してきたが、実は現在、私は本格的な寿司の仕事に関わっていない。年に数回、出張寿司を行う程度だ。
大きな理由は、コロナ禍で海外の状況を見定める間に家庭を持つなど自分を取り巻く環境が変化し、ライフスタイルを優先して長野県に移住したことにある。確かに出張寿司なら東京でも仕事はできるが、移動の費用や時間がコストに加算されるため、相当な単価の仕事でないと収益化が難しい。東京と違って中高級の寿司店が限られるため、働き方の選択肢は少ない。かといって、お店を構えて寿司屋をフルタイムでやる気概もない。
思うに、寿司職人修業のリターンの恩恵を強く受けられるのは、自分で開業する気満々の人か、都市部の寿司屋で雇ってもらう人、海外での出稼ぎを明確に目指す人などが主だろう。
金融資産と異なり自己投資の場合、技能を身に着けても持っているだけでは何の価値にもならない。またIT系のビジネスと違って身体を張って稼ごうとするなら、場所や時間、稼ぎ方などの制約を綿密に考えないとリターンは最大化されない。
私の場合は残念ながらそのような考えを持たずに投資してしまったため、現在はスキルが塩漬け状態になっており、そこまで寿司職人の恩恵を受けられていないともいえる。当初の目標であった海外移住も未達成だ。
ここまで読んで、コスパが良いと感じた人もいれば、いや大変そうだ、コスパ悪いなと感じる人もいるかもしれない。「100万円と700時間をかけて、結局今はほとんど使っていないのだから、無駄だったのではないか」という意見もごもっともだ。
それでも、やはり寿司職人修行はコスパが良かったと思う。
金銭的な投資回収は数ヶ月で完了した。月30万円台の給与で働き、100万円の初期投資はすぐに回収できたのだからこれだけでも十分なリターンだ。
さらに、寿司職人として働く間に得た経験や人脈も大きかった。サラリーマン人生ではなかなか経験できなかった不思議な体験は、今のライター業にも活きている。
「働き方の選択肢を得られたこと」も大きい。手に職で稼げる選択肢や海外で働ける可能性は、日々の生活の中で大きな精神的支えとなっている。日本が衰退していき海外への出稼ぎが騒がれ、またホワイトカラーの仕事がAIによって奪われ始め、ブルーカラーに注目が集まる中、「いざとなれば寿司で食べていける」という選択肢があることの安心感は計り知れない。
自己投資の魅力は、努力次第で投資したものが失われることはないという点だろう。技術をさびつかせないよう自己鍛錬を怠らなければ、金融資産のように価値が目減りするリスクは少ない。場合によってはその力を発揮しづらい局面も出てくるが、それも状況が変わればまた活躍の機会は得られる。
そして何より、自分を磨くプロセスそのものが、他では得難い充実した経験になった。もちろん、もっとうまくやれただろうという反省はある。しかし不思議と後悔はない。
借金を背負ったり、健康を著しく損ねるなど、取り返しのつかない負債を抱えない限り、そこで得られる経験や自信、人とのつながりは確実に自分の「財産」として残る。お金では買えない、かけがえのないものをこの自己投資からは得られた。
本記事を読んで少しでも興味を持った人には、寿司職人に限らず、ぜひ自己投資に挑戦してもらいたいと思う。100万円と700時間という投資で、人生の選択肢を増やすことが、きっとできるのだから。