さまぁ~ずの大竹一樹さんとの結婚後、母として、妻として、そして一人の女性として、感じたこと、考えたことを、フリーアナウンサー中村仁美さんならではの目線で綴るFRaU Web連載「騒がしくも愛おしい日々」(隔月更新)。
子育てを始めてからあっという間に14年。3人の息子くんたちが少しずつ自立していく姿に嬉しさを感じつつも、手が離れていくことに正直寂しさも……。そんな相反する2つの感情で心が揺れているという中村さんが、これまでの子育てを振り返ります。
子供の幸せを最優先に願うからこそ夫婦で揉めることも多かった、と語る中村さんがたどり着いた「親にできること」とは?
3人の息子たちの成長に心が揺れ動く日々
時が経つのは本当に早いなあ……と、この時期お決まりの感傷に、今年ももれなく浸っています。
ガラにもなく、年末に向けて少しずつ不要なものを処分しようかな、と家の中を見渡すと……子供部屋には大量に積まれている長男・次男が着たお下がりが。
最後に、誰にも見せられないくらいボロボロになるまで三男が着たおして、もう充分役目を果たしたお古達を、いよいよ手放すときの寂しさといったら……。
部屋がお下がりで溢れていて、早く処分したい! と、常々思っていたのに、相変わらず自分勝手な親心です。
そう、子供を授かり親になってから、私の心はいつも相反する2つの感情が行ったり来たり……
セットしたばかりの髪の毛を、息子にぐちゃぐちゃにされながらお着替えをさせ、食事中なんだけどな~と思いながら、呼ばれてトイレでおしりを拭いてあげていた、あの頃。
この夜泣きは、いつまで続くの? と、泣き止まない息子を真っ暗な部屋でひたすら抱っこし続けたあの夜。
あの時の願いが無事に叶った今。
もう誰も、夜眠れない! なんて泣くことはなく、寧ろ起こしに行っても全然起きない!
季節感や色合いめちゃくちゃな着心地のみで選んだ服を、勝手にひっぱりだして自分で着ているし、トイレにはこっそりiPadや携帯を持ち込んで、私に激怒されている。
唯一“赤ちゃん”だった三男も、夫の抱っこでは、まもなく足が床につきそう!
抱きしめると分厚くて「ああ~大きくなっちゃったなあ~」と、夫と悲鳴にも似た声をあげながら、受け入れ難い“ラスト赤ちゃん”の成長を再認識。
早く大きくなって、なんでも自分で出来るようになって欲しいな、と、あんなに願っていたのに、今は、あの頃のように、ママ~ママ~! と、泣きながら求めてくれることは、もうないのか、と、その現実になんだか心がキュッとします。
では、もう一度赤ちゃんを1から育てたいか? と聞かれたら、それはもうお断りで、こうして大人に近い感覚で、行間を読みながら会話ができるようになった長男との時間や、次男のはちゃめちゃな感覚に驚かされ笑うしかない毎日や、しっかりと言葉にして甘えてきてくれる三男との夜寝る前のハグの習慣とか……何にも代え難い幸せを感じるのです。
いい加減にして! と大喧嘩した翌日には、はあ、なんて愛おしいんだ……と、心はゆらゆら忙しい。
「知らなかった世界…」男の子の子育ては今も驚くことばかり
そんな風に心揺れ動きながら、親になり気が付けば14年です。
ここまで親として何を学んだかな? と振り返るのですが、姉妹で育ち、女子校出身の私にとって、男の子の子育ては、いまだに戸惑ったり、驚いたり、信じられないことばかりの連続です。
性差で語ってはいけない時代かもしれませんが、でもやっぱり女子には分からない世界がある、とつくづく思います。
1つのことに集中していると、どんなに呼んでも“聞こえない”ことは、かなり早い段階で知りました。男の子特有の友達関係に勝手にハラハラする日があったり、身体的にも、私の知らなかったことが次から次へと起こります。
中学生になり、ぐんぐんと体格が大きくなっていく長男は、日々体の節々が痛んで、筋肉量が毎日のトレーニングに追いついていないよう。
では、筋トレをすればいいのか?というと、丁度成長期だから、今筋肉に負荷をかけすぎると背が伸びないかもしれない、とか。
周囲のお友達からは、この年代の男子によくある腰椎分離症になったから、気を付けてね、とか。
私も学生時代、陸上部で毎日ヘロヘロになるほど走っていましたが、その頃にはほぼ身長も止まっていたので、そういった成長過程での筋肉の痛みや怪我などの経験がほとんどありません。これまた、知らなかった世界です。
こんなにラーメンが大好きで、白米と味噌、肉を主食とする息子達を育てている人がいるなんて、これまで思いもよりませんでした。
「“親”としてできることは…」私の子育ての真髄
今、私の知らない“3つの人生”を、もう一度、横で一緒に歩ませてもらっている……
自分達の歩んだことのない道だから、また、変化の早い時代の中では、私たち親の経験はほとんど参考にはならず、さらに夫婦で統一された教育方針がないままで、その日その時で、どうにか乗り越えてここまできた感じです。
夫に、子供の成長の節目が来るたびに教育方針を聞くのですが、相変わらず、「教育方針なんてねえ! 無事に生きていてくれればそれでいい」と、言い放たれて終わりです。
そんな夫と私ですから、これまで、子供のことで揉めたことは数えきれないほど。
子供が生まれた時、夫とじっくりと考えをすり合わせ、なるべく1つの方針で私達らしい子育てをしたい、と夫婦の未来を思い描いていたのですが、話すたびになぜか言い合いになる。
細かいところで折り合えない私達。
勿論2人とも子供たちの幸せを最優先に思っての事。
ただ、夫婦といえども、それぞれ全く違う環境で、全く違う人生を歩んできて、それぞれがその先で交わった“今”を幸せだと思っているわけですから、それはお互いに納得できないことも。
だから我が家は、ずっとダブルスタンダードです。
子供たちが混乱するのでは? と心配になる日もありましたが、“世の中には、こんなに近くても、全く違う価値観で生きている人がいるんだ。そして、そんな人とも一緒に生きていけるんだ”と、息子達が多様性を学んでくれている、と、プラスに考える事にしました。
息子達も、そんな2つの価値観を上手に利用することを覚えたようです。
どんな親でも、どんな環境でも、その毎日をどう捉えるかは、息子達次第。
親が良かれと思って整えた道も、子供たちが自分で選んだ道も、はたまた意図せず進まざるをえなかった道も……
どんな道でも、息子達次第で、それはレッドカーペットにもなれば、道なき道、茨の道にもなる。
親として、私達にできることは、数えるほどしかないのかもしれません。
となると、“親”としてできることは……
“あなたはママとパパが、どうしてもどうしても会いたくて、神様に切にお願いして生まれてきたのよ”と、伝えること。
“あなたが生まれたその日から、私達は最高に幸せなピカピカの道を歩んでいる”と、感謝すること。
やっぱり毎日伝えなきゃ、と、あれから14年経っても変わらず思うのです。
3人もの息子を14年も育ててきて、親として学んだことは、それだけですか?と言われそうですが。
結局最後は、いつも同じ“この事”に行きつく。
となると、夫の「教育方針なんてねえ! 無事に生きていてくれればそれでいい」と言うのは、もしかしたら、私の子育ての真髄なのかもしれない、と、フッと思った2025年。
今年もありがとうございました。
また来年です。
良いお年をお迎えください。
★次回の更新は来年2026年1月。お楽しみに!